東京 五色不動まいり2.目黄不動 永久寺


東京 五不動まいり
その1はこちら
https://note.com/ryuka1126/n/nb43fc39ef879

「五色不動」「五不動」まいりと言われますが、

目黄不動尊は二つあるので、
実際には、「六不動」になります。

神示に沿って、二番目の目黄不動尊へ。

こちらは永久寺。

東京都台東区にある
天台宗の寺院です。

最勝寺からは、電車で
45分ほどの所にあります。

天台宗のウェブサイトによると、

(前略)
永久寺の歴史をひもときますと遠く14世紀南北朝騒乱の頃とされます。ただ当時は真言宗のお寺で名称も唯識院と呼ばれていたようです。このことは當山の板碑に書かれているのですが、板碑のいたみが激しくそれ以上詳しいことが判読できないのが残念です。その後の歴史の流れの中でいくたびか戦乱などによって焼失し、再建を繰り返してきました。時には道安和尚という高僧によって諸堂伽藍が整備され、名も白岩寺と改められ、禪閣として隆興をきわめたこともあったようです。また寺院名も時に大乗坊さらに蓮台寺と変遷を重ね、宗旨も先にあげた真言宗から禅宗そして日蓮宗と移り変わってきたようです。
江戸時代に入って、出羽の羽黒山の圭海という行者さんによって天台宗の寺となります。さらに寛文年間、幕臣山野嘉右衛門、号して藤原の永久という方が、諸堂を再建し境内地も拡張・整備され、寺院名も永久寺と改められ、中興の祖となられました。
泰平の世となった寛永年間(1624~43)の中頃、東海道など五街道が整備されますと、街道の道中安全を祈願することが幕府によって命じられました。その時、上野寛永寺の天海大僧正の発願によって江戸府内の由緒ある古刹が五色不動として五街道沿いに定められました。その際、南北朝以来の古刹であり、また日光街道(今の昭和通り)に面した永久寺が目黄不動尊として指定されたのでした。
ここに南北朝以来の古刹は天台宗目黄不動尊永久寺として大成したのでした。
(以下略)

と記載されています。

最寄り駅は、
日比谷線三ノ輪駅。

最寄り駅から永久寺までは、
徒歩1分ほどです。

お寺に入ると、
走馬灯のように、
六道輪廻をめぐっている風景が見えました。

一瞬のことですが、
地獄道
餓鬼(がき)道
畜生(ちくしょう)道
修羅(しゅら)道
人間界
天上界が次々と、目の前に現れました。

六道に繋がるような謂れがあるのかも、と思い調べると

江戸時代に圭海によって、天台宗の寺院となった。
当寺はこれまで「唯識院」→「白岩寺」→「大乗坊」→「蓮台寺」と寺名の変遷を繰り返したが、寛文年間(1661年 - 1673年)に現在の「永久寺」に改称し、定着した。
山田浅右衛門家に先立って死刑執行人をつとめた山野永久が刑死者の供養のためにこの寺を再建した。寺号の「永久寺」は彼の名に由来する。山野永久が使った刀槍が寺宝として伝わっている。
と、ネットの記事などに出てきました。

山田浅右衛門家、山野永久が
大勢の死に関わり、
死はすなわち、六道輪廻のどこかに生まれ変わるから、
六道巡りが目の前に現れたのでしょう。

参拝客は誰もおられず、静かにお参りができました。

お寺の入口すぐに、
不動堂があります。

永久寺の
目黄不動尊は
静かなエネルギーですが、
それでもかなり強い氣を
放っておられました。

(不動堂の中は撮影禁止です。)

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