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宗教。

私は宗教がどちらかと言えば嫌いです。
特に「この宗教に入らなきゃ不幸になりますよ!」と訳の分からない理由で勧誘して来るタイプの人は特に嫌いです。

幸福か不幸かは、当人が決める事であって、他人が決めるモノではない。と私は思うからです。

義実家は創価学会に入ってます。
うちは祖父母や親戚が創価学会でしたが、そこまで熱心ではありません。
ゴンギョ?とやらもしてませんでしたし。
祖父母の葬儀も創価学会ではしてませんし。

まぁー義実家は熱心な信者っぽいですね。
朝昼夕のゴンギョ?も欠かさずやってますし。会合ってやつも義実家は欠かさず行ってます。
私と旦那はしてませんし。行きませんけど。
というか、私の場合は納得して、創価学会に入った訳ではありません。
義母から人数足らないから絶対来て欲しい。って懇願されて、渋々行ったら終わり頃に信者に取り囲まれて、息子は信者の腕の中でキャッキャッして遊んでるし。ぶっちゃけ人質状態やんね?(真顔)
そしてそして、ここで断ったら義母の顔に泥を塗る形になりますよね〜?(真顔)って感じで嫌々渋々入信する事になりました。

その後は面倒臭い事のオンパレードでした。
会合行きましょ!→嫌です。時間ありません。
聖教新聞取って!→要りません。ただのゴミです。テレビ欄無いし。金掛かるだけ。資源の無駄。

1番面倒臭い事は「仏壇買え。」でしたね。
危うく包丁ぶん回してやろうか?ってレベルのしつこさでした。
「あなた方家族が幸せになる為には仏壇を購入する事が正義だ!」みたいな勢いで連日言われ続けましたねー
買ってませんけどね‎(  ー̀֊ー́ )✧︎ ‎ドヤッ

で、最終奥義で1番偉い?人を連れて来た事がありましたが、その時も断りましたねー

だって、要らないし。
その時は息子も1歳にもなっていなかったんですけどね。
まぁ、好奇心旺盛な時期でしたし。
義実家に行けば、よく仏壇までずり這いしたり、ハイハイで行ったりしてて、灰をよく倒してたんですよね。

例えば、線香あげてる時に息子が倒したらどうする?責任取れる?
灰をもしも口に入れたらどうする?責任取れる?
火事になったらどうする?責任取れる?
責任、取れませんよねぇ?
なんて、思ってました。

心の拠り所にしたい。って人はすれば良いと思います。 でも、興味関心が無い人間にまでしつこく勧誘するのは如何なモノか?って個人的には思います。
その人にとっては、信心する事が幸せなのかもしれません。
でも、自分がそうだからと言って、相手もそうだ。とは限りませんよね。

信心すれば、空腹を満たしてくれますか?
満たされませんよね?仙人じゃあるまいし。

信心すれば、お金が降って来ますか?
降って来ませんよね?自分自身で働かなければお金は得られません。

それに、幸福の定義。不幸の定義は人それぞれだと私は思います。
宗教云々は関係ない。と思います。

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