【反証可能性、科学、宗教、言葉のインチキさとそれによる混乱】

考えることが楽しくて楽しくて仕方がない43歳の男子です。どうもこんにちわ🐂✨


さてさて。。

今の世の中で語られる科学は科学ではなくなっている。まあ、科学でなくても良いし、科学とか科学的というのは1つの方法やあり方として有用なものであると思うけど。

混乱するのは、全く科学的でないものが、科学として「科学が一番正しい」みたいなことを言っている無茶苦茶さだなぁと感じる。

破綻している。

試しに反証可能性という言葉を調べてみると

「科学と異なり、疑似科学・宗教・神話・伝統等は反証可能性を認めず、そのため

・自らが誤る可能性を認めない

・自らが誤っているか否かを確認するテストを考案できない
・検証不可能な説明(アドホックな仮説)で言い逃れようとする

といった特徴がある。一見すると科学的な情報であっても、その情報が反証可能性を認めていなければ、その情報は科学の領域から捨てられることになる」

とあるが。。。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7#:~:text=%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7%EF%BC%88%E3%81%AF%E3%82%93,%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%82%82%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82


「それって科学じゃないから」といって問答無用で突っぱねるやり方はこの「自らが誤る可能性を認めない」

に、思いっきり該当するので、科学自体は科学してるのかもしれないが、現代の世の中を大きく動かしている「科学っぽいもの」はまさに科学でないものですな。

昨今の世界におけるコロナ行政の根拠となっている論理とか、ワクチンを強制化しようと動いている「フー」とかはもう本当に科学でない自称「科学」の代表みたいなものですな。

彼らは自分が間違っている可能性を認めませんからね。

日本においては、コロナワクチン接種が始まった年から、明確に超過死亡が激増していて、その数字だけ見るとまあ、戦争が起きているくらいの勢いで人がお亡くなりになっている。

因果関係は確かに証明はできないのかもしれない。

しかし、この傾向が始まったのはコロナワクチンが始まってから、というタイミングは間違いなく現実としてある。

「コロナワクチンというものが人民の生命を守るための手法としては間違っているかもしれない」

と考える、

つまり「自らが誤る可能性」を考える材料としては十分なはずだが。

ワクチンが誤っている「可能性」すら認めない、というやり方でここまで突き進んだあり方はやはり、

「自らが誤る可能性を認めない」

つまり「科学に非ざるもの」の要件にドンピシャと言わざるを得ないと言えるのでは?

今回は1つの分かりやすい例として、この「ワクチン行政」に言及しただけで、この事が言いたいのではない。

言葉が逆転しているような感覚を主張したいのです。

そう、「科学が良い悪い」とか「宗教が良い悪い」ということを言いたいのでもないのです。

なんか、言葉と実態が乖離してたり逆転してたりして無茶苦茶になってないか?そして、そのための混乱にも気付かず、なんかしっちゃかめっちゃかなことになってないか?

そう、最近、今更ながらイエス・キリストという人について考えたり調べたりしているのです。

あの人、個人のことをよく見ると、「私を信じなさい、神を信じなさい」みたいなことを、言ってるのか?なんか、あんまり言ってない気がするんですよね。

言ってたとしても、

「宗教や神を信じないやつはブッ殺す」

みたいなことは言ってないのです。

むしろ、そういうものに「ファック・ユー!!」と中指立ててた人だと思うのですよね。

「信じないやつはブッ殺す」と言い出して、実際に人を殺しまくってたのはあくまで宗教の名前を冠した「組織」なんですね。

古今東西、全てのキリスト教会全てがそうだったわけではないですが、「異端」ということで人を殺しまくっていた人々は、まさにイエスとその教えとは真逆。

なのにただ「宗教」として一緒くたにされている、この言葉というもののインチキさ具合。

今度は科学とかいうものが出てきたが、その根源の1つである反証可能性、「自らが誤る可能性」を認めないという、まさに教科書通りの似非科学となってしまっているのに、科学としてまかり通っていて、

「じゃあもうそれ宗教じゃないか!」

といいたくなるが、イエスの事を調べ考えると、

「宗教という言葉がそもそも変な事になっているじゃないか!」

と叫びたくなってくる。


そう、科学と宗教というたった2つの言葉を例に挙げるだけで、こんなにも混乱している。

言葉に対するインチキなあり方が、この現行世界の混乱を招いている。

今の世の中、煮詰まりまくっているその原理の一つはこういう抽象的な領域にあるんじゃないかなあ?と

なんとなく感じたのです。

しかしまあ、未だにこのことを言葉で明確に述べる能力を私は持ちませんが、

「なんとなくわかった」

ので、私の中ではもうだいぶスッキリしたのです。


この混乱は今生きている誰かが仕掛けている可能性もあれば、太古から仕組まれたものを誰かが受け継いで悪用している可能性もあり、太古に誰かが仕組んだものに、現在全ての人が踊らされている可能性もあり

そのあたりの事を考えるために、キリスト教、ユダヤ教、仏教、また、それらよりさらに古く、それらに影響を及ぼした占星学という文化に最近行き着き、

ここに来て価値観が崩壊しまくり、そして体系もクソもなく、バラバラのぐちゃぐちゃで全く地に足がついていない状態で手探り

その在り方は赤ちゃんのような感じですな

(そもそもむしろ赤ちゃん時代が最も人間として高度の段階では?みたいな疑念さえも生まれて来ておるのです)

何が言いたいというと、考えるのが楽しくて仕方がないのです。

なんか脳味噌󠄀に仕掛けられたよくわからない仕掛けが1つ、また1つと解きほぐされてもうぐちゃぐちゃ。

それが、楽しいのです✨

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