見出し画像

令和四年九月二十五日 天津神明宮(あまつしんめいぐう) 千葉県鴨川市


私の住まいの大家さんはたいへん良い方でいつも親切にして頂いているのだが、こちらのご主人がバイク乗り。本日は一緒に千葉のバイク神社の一つである房州伊勢の宮「天津神明宮」を訪れた。
「バイク神社」という名前を初めて耳にする方もいらっしゃるかもしれないので、簡単に説明しておこうと思い調べると、事の他複雑であった。バイク神社の他に「オートバイ神社」「ライダーズ神社」もあり、「元祖」「認定」などを理解するのに時間がかかりそうだったのでまたの機会とする。地域活性化を目的に平成二十年(2008)頃スタートした神社を皮切りに、現在全国に16ヶ所程あるようだ。



御祭神は、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)、八重事代主神(はやえことしろぬしのかみ=えびす様)、大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)

公式サイトの御由緒には「神代のむかし、大国主命とともに日本を治めておられた事代主神は天孫に国土を献ってのち、海路はるばる当地においでになり、東方鎮護の神として永くこの地にお鎮まりになったため、人々は宮殿を建て、もうけ明神(えびす様)と尊称したと伝えられています。
その後、鎌倉に武家政治の基を開いた源頼朝公が戦に敗れて安房の地に逃れてきたとき、源家の再興を伊勢の大廟に祈願され、みごと成就されたことにより、天下平定ののち、西暦1184年(寿永3年)、当地に伊勢より神霊を勧請し、もうけ明神とともにお祀りされたのが「房州伊勢の宮」と仰がれる当社であります。」とある。


ボニーを離れた駐輪場に停め、一ノ鳥居に戻る。宮川と書かれた橋を渡り、木製の神明鳥居をくぐる。

参道を少し歩くと二ノ鳥居が見えてくる。こちらも木製。

境内の入り口に到着。三ノ鳥居は石製の神明鳥居。

手水舎には龍の像が多いがこちらの神社は御由緒にある大国主命(大黒様)と事代主神(えびす様)が迎えてくれる。

抜け感のある境内から拝殿へ。

神額をはじめ金の装飾が映える。

額の書は「神明神社」と推測されるが、確かめようと神社に電話するとその通りだった。その際、書の製作者は幕末の幕臣で剣・禅・書の達人と言われる、かの「山岡鉄舟」だと教えて頂いた。


次に神社の東側、なぎなみ山の頂きに「伊邪那岐大神」、「伊邪那美大神」が祀られている「諾冉(なぎなみ)神社」に向かう。

急な山道をそれなりに登った後にまるでここが出発点のような「頂上へ百段」の立て札が現れる。手前の「鹿の木」はスルーしてしまったが、鹿の頭のような形をした樹木があったようだ。

「がんばれ!!あと五十段」。急な階段の上前日の悪天候で少し足元がぬかるんでおり結構きつい。翌日はきっちり筋肉痛になった。

神社にお参りはしたものの、登り切った達成感からか撮影を忘れてしまった。海を臨む山頂からの景色は美しかった。



境内東側、いちょうの樹の下の小さな石宮、「孫釣(まごつり)神社」
境内東側の奥に祀られる「八幡神社・春日神社」。向かって右に「御神水」、左に「井戸神祠」


色々なデザインの大黒様、えびす様の小像が並ぶ境内社
県指定天然記念物「まるばちしゃの木」。当地の自生は本邦北限とされ価値が高いと言われる。


駐輪場にある茅の輪くぐりならぬ「二ノ輪くぐり」。安全を祈る。


天津神明宮では、十月十七日に伊勢神宮にて執り行われる新嘗祭にならい前日の十六日に例祭が行われる。また二十年に一度の式年遷宮時には「式年鳥居木洩祭」にて一ノ鳥居、ニノ鳥居の建て替えをおこなうなど伊勢神宮に準ずることの多いこの神社の御朱印は、これも伊勢神宮同様社名を記さないと説明を受けた。(前回参拝した名古屋の白龍神社の御朱印にも社名が書かれていないが同様の意味があるのだろうか?)

バイクでの参拝者には「鉄馬道」と書かれたまだ乾かない御朱印が移るのを防ぐ紙を挟んでくれる。


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 39

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?