見出し画像

令和四年六月十一日 ウルトラマン考

ウルトラマンを美しいと思う。

見出し写真に選んだ、クリスマスプレゼントのウルトラマンを前にご満悦な表情のお子様は、56年前の自身のようだが、記憶には無い。1966年7月17日がウルトラマンの放送開始日である。その二日後に5歳の誕生日を迎え、クリスマスにソフビを買ってもらったようだ。(記事を書くにあたりこの写真を思い出し、アルバムを見て'66年と分かった。因みにこの写真は、毎冬は東北に雪景色を撮影に行くなど、そこそこ趣味としての腕前のよかった亡き父が、自宅に設えた小さな小さな暗室で焼き付けたものである。懐かしい。)

ずっとウルトラマンを美しいと思ってきた。5歳から思ってきた訳ではないが。

ここで言う「美しい」ウルトラマンとは、ご存知の方には恐縮だが、所謂、「初代ウルトラマン」と呼ばれるAタイプ、Bタイプ、Cタイプである。ただAタイプは、「異星人(生物)」としての存在感はあるが、またまだコンセプトを形にしたプロトタイプのように見える。それが撮影によるボディスーツの劣化に伴いBタイプ、Cタイプと製作されるにつれ、よりモダンに洗練され、ツルッとした質感とともに「宇宙人」ぽっくなっていったように思う。従って個人的にはBタイプとCタイプが美しく、特にCタイプのマスクの造形は秀逸であると思う。また均整のとれたウルトラマンのプロポーションは、この時代としては非常に手足が長くスタイルの良かったスーツアクターもこなした俳優の古谷敏氏なくしては成立しなかっただろう。

A type
B type
C type


その後、引き算のウルトラマンのデザインとは正反対の、足し算の「ウルトラセブン」が登場する。こちらは装飾美としての完成度は高く、また合体する戦闘機、怪獣よりも異星人が多く登場するストーリーも含めて夢中になったが、次の「帰ってきたウルトラマン」あたりで興味は失せる。ウルトラマンエース以降は、新しいものを志向するがための「デザインのためのデザイン」となっていき、ツノが生えたり、親が登場したりと迷走が始まる。ストーリーにも初期にはあった思想、哲学、社会問題・批判などのテーマが希薄になっていき、現在は、新人男優の登竜門としての番組に成り下がってしまったのではないだろうか?観ていないのでいい加減な見解かも知れないが・・・。

ウルトラセブン/帰ってきたウルトラマン/ウルトラマンエース


そんな中、2021年、庵野秀明氏総指揮の映画「シン・ウルトラマン」の制作発表がおこなわれる。ウルトラマン好きは皆、どんな姿で登場するのか興味があったに違いない。


それがこちらである。

湾岸あるいは湖岸にヌボーと立つ、肋の浮いた欠食児童のような不気味な姿。ウルトラマンのシンボルとも言える「カラータイマー」がないことも話題になった。断片的な情報だけを公開し、消費者の興味を引くティーザー広告的ビジュアルである。A タイプへのオマージュ、原点回帰宣言に受け取ったが、このまま映画の中に登場するのには抵抗があった。なぜならこれは「美しい」ウルトラマンではない。


その後、劇中に登場するウルトラマンの姿が公開される。
劇中CGの原型となる「第二号雛形」と呼ばれるもの(こちらの写真は複製品)と
劇場公開用ポスターのビジュアルである。前者と後者では若干ニュアンスが違う気がするが、ウルトラマンのボディをスーツ着用から生身の肉体と解釈し直したことも相俟って、宇宙人らしさ感じさせる造形に落とし込まれたと思う。マスクは限りなくCタイプに近い。肉体はマッチョな「ヒーロー造形」は影を顰め、適度な筋肉がついた美しい肉体として表現されている。

故・成田亨氏の原案を忠実に再現したということではあるが、庵野氏自身もリアルタイムで観ていた世代として、テレビ用のヒーロー造形に違和感を持ち続けていたのではないかと勝手に想像する。


そして56年ぶりに手にしたソフビが次の写真。決してフィギュア収集が趣味ではないが、アートとして手元に置いておきたかった。ご覧のように56年前とはクオリティの差は歴然である。各社さまざまなポーズで販売しているが、こちら高さ60センチの製品が気に入った。このウルトラマンに限らず、おもちゃは技術の進歩で大人を満足させるレベルにまでなった。

時々、何故ウルトラマンは日本で生まれ得たのかと考える。
宇宙開発の先進国であった当時のアメリカやソ連ではなく。

アメリカでは60年代には宇宙をテーマにしたテレビドラマはあったし、その後ヒーローという意味では、スーパーマンやスパイダーマン、バットマンが登場した。しかし、いずれも超人的ではあるが、(マスクなどに覆われはするものの)人間の姿をもつヒーローとして描かれる。

日本人は、この時代に異形の異星人をヒーローとして造形した。
どうしてそんな発想ができたのだろう。妖怪などの異世界、異形のものがすでに存在した土壌があったからだろうか。

あと面白いと思うのは、怪獣退治のためとはいえ、結果的に平気で街を破壊する。アメリカのヒーローは基本的に街を破壊しないし、他人に迷惑をかけないないように思う。ウルトラマンで描かれる「破壊」は、小さな子供がせっかく積み上げた積み木を簡単に壊す際の快感に通じるものがあるようにも思う。

個人的な疑問を書き連ねたが、きっとどこかで誰かが考察しているだろう。


最後になるが、成田氏はウルトラマンという異星人を「真実と正義と美の化身」と定義づけて形にしたが、ある意味、「神」を表現したかったのではないかとも思う。神は、光とか知性を持ったエネルギーなど、形のない存在として語られることが多いように思う。また姿を伴って人々の前に登場する際には、人種や文化に沿った形を纏う。もしどの文化にも受け入れられる唯一の形を与えるなら、存外ウルトラマンのような姿になるのではないか、など偏った主観で神様に強引につなぎ、また次回から参拝の記録を再開しようと思う。

新しく使用する御朱印帳は、引き続き「織物御朱印帳OKO」様の作品である。
今度は「白龍」、美しい・・。


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 30

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?