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令和四年七月十日 神田明神(かんだみょうじん) 東京都千代田区

公式サイトによると「正式名称・神田神社。 東京の中心ー神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、豊洲魚市場、108町会の氏神様です。「明神さま」の名で親しまれております。」、「社伝によると、当社は天平二年(730)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村ー現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。その後、将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶二年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。慶長五年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、九月十五日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました」、「江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和二年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて『江戸総鎮守』として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。」とある。

御祭神は、縁結びの神様、だいこく様=大己貴命(おおなむちのみこと)、商売繁盛の神様、えびす様=少彦名命(すくなひこなのみこと)、除災厄除の神様、平将門命(たいらのまさかどのみこと)。


江の島の青銅鳥居は有名だが、こちらの鳥居も青銅の薄板を貼り付けたようなデザイン。先に随神門が見える。


随神門の左脇に御由緒と手水舎


昭和五十年に昭和天皇御即位五十年の記念事業として新たに再建。総檜・入母屋造。二層建て・屋根は銅板瓦棒葺。各所に配した文様は伝統的なテーマをもとにしつつ、オリジナルなデザインを使用しているらしい。朱に緑が映える。

だいこく様の「因幡の白兎」の神話をモチーフにした彫刻
こちらは鼠。だいこく様の命を救った鼠の話か?


御神殿は、伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一といった近代神社建築・都市建築を代表する建築家により設計された。昭和九年に竣功。権現造。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿であるとのこと。


天を仰ぐだいこく様。石造りとしては日本最大。


獅子山。江戸時代に関東三大獅子の一つとして奉献される。



魚河岸水神社
御祭神/水神、弥都波能売命(みつはのめのみこと)
大伝馬町八雲神社
江戸神社
御祭神/建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
浦安稲荷神社
御祭神/宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
三宿稲荷神社
御祭神/宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
末廣稲荷神社
御祭神/宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 33

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