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令和四年一月一日 自宅にて

新しい年が明けた。正月らしく、酒を片手にだらだら書いてみる。       二月で後厄が終わる。ひょんな事から起業時より方位を観る先生にお世話になっているが、その方の厄年の考えは一般的なものより一年早い。本厄は「さすが本厄」という感じであったが、今年の二月以降、運気は上昇に転じる(らしい)。方位的なものを信じるかどうかはともかく、やはり経営というものは失敗が恐ろしいので(共同経営なので経営者の孤独というものは半減されている気はするが)、験担ぎと言えなくもないが、結果15年会社が継続しているので良しとしたい。

さて、本年最初の見出し写真は、会社のデスクに昨年十月頃からお祀りしている龍であるが、冬期休暇で少し会社を空けるので家に連れ帰った。経営者には神様をお祀りしている人が多いと聞くが、それも一つの経営努力だとすれば、やってみるのも悪くはないかと思い、始めた。本当は神棚を設営するのが良いのだろうけれど、一足飛びには難しい気がするので、取りあえず個人的にお祀りし、毎朝、水を供え、こっそり龍神祝詞などを唱えてみたりしている。龍の置物を探すにあたり、スタッフもいる会社であまり仰々しい、所謂「龍然」としたものを祀るのも少し気が引けたので、もっと表現のアプローチが異なる龍はないものかと探してやっと見つけたのがご覧の真鍮製の小さな龍である。どこから見ても美しく、凜々しい顔つきや姿かたちは大変気に入っている。埼玉県在住の作家、平島鉄也氏の手によるものだが、他の作品も大層魅力的である。因みに名前は「龍神ボニー」とした。バイクと同じ名前でいいのかと子供に突っ込まれたが、こちらも良しとしたい。

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ホントにだらだら書いている・・。

今の60は昔に比べるとまだまだ若いというが、刷り込まれた定年の数字の暗示によるものなのか、60を境にシュリンクしていく人は多いような気がする。さらに70近くにもなると体力的にきつくなってきたという声をよく耳にする。バイクを買ったというと口の悪い友人などからは「アホやな」と言われる。しかしシュリンクしていかないためには「アホやな」といわれることを65までにどれ位できるかだと勝手に思っている。10年前に始めた活動のあてもない演技のレッスンもまだ続けている。こういアホな事を続けていければ、70代もまだまだ頑張れる気がする。何せ子供が小さく、70過ぎまでは働く必要がある。

話は変わる。

スピリチュアル的な力と呼ばれる”見える” ”聞こえる” ”感じる”といった力が一切ない、でも人気の八木勇生さんではないが、私自身も全くない。それでも不思議に感じていることはある。独立志向も東京志向も皆無であったにもかかわらず、現共同経営者で、以前勤めていた会社の年の離れた優秀な部下に誘われ45歳で独立、起業、上京。最も縁遠っかた経営(といえるかどうか)というものを行いながら、世の中から不要と言われる時が潰れる時と腹を括り、未だ維持。こちらで再婚、子供にも恵まれ、乗るはずのなかったバイクに跨がり、神社などを訪問し、今に至る。以前職場のあった京都では、神社仏閣が溢れているのに、殆ど参拝などしなかったのに・・。思い返せば、高校・大学受験、就職など自分の実力以上のところにご縁を頂いた。最低限の努力や決断はしてきたと思うが、それ以上に何かの意志が働いている気がずっと拭えない。60年も生きているので、叩けば埃の一つや二つは出るが、それすらも大目に見てもらって導かれてきた気がする。後10年程神社巡りを続ければ、何か見えてくるだろうか?

また話は変わる。

東日本大震災、コロナと人々の価値観は大きく変わったが、まだまだ価値観の急速な変化は続くように思う。そんな世の中を生きて行くためには、決してそれについていくための外向きのベクトルではなく、内向き、つまり自分に向かうベクトル、人としての自分に今一度きっちり向き合えるかどうかが大切な気がする。

そして、自分に向き合うことをサポートする装置として存在しているのが神社ではないか。最近そう思ったりする。

言ってることがややこしくなってきたので、そろそろ終わりとする。

新しい年が明けた。さあ今年も頑張ろうか。


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 12




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