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令和四年八月六日 北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ) 山梨県富士吉田市/富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ) 静岡県富士宮市


当初、知人と一泊で日光・菖蒲が浜にツーリング&キャンプの予定であったが、この日、現地の天候が不安定予測であったため、富士市の丸火(まるび)自然公園にあるキャンプ場に切り替えた。例によって、近くの神社を検索し、こちらの二社に立ち寄ることにした。

しかし、キャンプ地でもマスクは外せませんかね?団体ならまだしも、カップルだった気がしたが...。今や「空気感染」。それはどういうことか? 反マスクでも反ワクチンでもないので、大人はメリット、デメリットを考えた上で自身が判断すればいい。しかし、子供が気の毒だ。自分では決められない。さらに5〜11歳に対し、型落ちワクチン接種の「努力義務」まで承認される。

なのに、こんなものがある。 

厚労省のHPの深い所にある資料、「第82回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、令和4年度第8回薬事・食品衛生審議会薬事分科会医薬品等安全対策部会安全対策調査会(合同開催)」。この中の「コミナティ筋注5~ 11歳用・集計対象期間における基礎疾患等及び症例経過」を見る限り、何をもって推奨し、なぜ接種を急がせるのか、全く理解できない。子供の発症に対してワクチンが「無関係」であるという評価はほぼ無いに等しい。日本人はタガが外れたか?それとも素人なので読み違えているのだろうか?

マスクで溢れる街中を見て「大衆」という言葉が蘇る。恐怖を煽れば人は同じ方向を向くことを学習したものはいるはずである。

神は何を思う?

話が最初から大分外れた。


先ず、北口本宮冨士浅間神社。                       こちらの神社は、富士登山吉田口登山道の起点にあたり、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつで世界文化遺産に登録されている。      

ご由緒は、「景行天皇四十年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。」と公式サイトにある。

ご祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)の夫婦、木花開耶姫命の父神様・大山祇神(おおやまづみのかみ)の三柱。


神額に「冨士山」の文字が書かれた一の鳥居をくぐると、左右に苔むした灯籠が並ぶ参道を往く。ワ冠の「冨」の使用には諸説あるようだ。

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左手に「仁王門礎石」。神仏混淆(しんぶつこんごう)時代、三重塔、鐘楼、仁王門など、仏教色の濃い壮麗な堂塔があった。残念ながら現在はこの礎石しか残っていない。

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右手には「角行(かくぎょう)の立行石(たちぎょういし)」。        慶長十五年(1610)の冬、富士講の開祖、角行東覚がこの地を訪れ、富士山霊を遥拝し、この石上で30日間爪先立ちの荒行をおこなった。

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そのまま進むと、朱の大鳥居が見えてくる。

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神額には三國㐧一山(さんこくだいいちさん)の文字。三國とは、インド、中国、日本のこと。江戸時代には三國は「全世界」を意味していたという。

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随神門。左右二体の随神様がご祭神をお守りする。

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神楽殿。近日薪能が開催されるようで準備の最中であった。

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神楽殿の横には手水舎。富士講の富士八海(内八海)のひとつに泉瑞(せんずい)と同じ水源から引かれているらしい。

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見上げると龍の頭部の並ぶ彫刻。

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丁度注連縄を飾り直していたが、とにかく御神木の大きさには驚かされる。

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拝殿向かって左手にそびえるのが「冨士太郎杉」。樹齢約1000年。

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右手には「冨士夫婦檜」。二本の檜が途中で別れ、再び寄り添う。別れてもまた再び出会えるという「縁結び」の木。こちらも樹齢約1000年。

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拝殿の欄間や虹梁上には、獅子、龍、獏などが余すところなく彫り込まれている。

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拝殿内上部には大きな天狗の面。富士山には「富士山太郎坊」という大天狗が棲むと言われる。また富士山の五合目周辺は「天狗の庭」と呼ばれるらしい。

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本殿後方の鳥居は「登山門」と呼ばれる。ここが吉田口登山道の起点となる。鳥居の奥に見えるのは「祖霊社」。

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祖霊社の後方から一般道に出て200m程歩くと元宮とも言える「大塚丘(おおつかやま)」がある。日本武尊がお祀りされている。

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続いて「富士山本宮浅間大社」に到着。とにかく広い。境内の広さは約17000坪、徳川家康公寄進の神殿、楼門を中心とした御神域は御神徳の偉大さを物語る。

ご祭神は北口本宮浅間神社と同様、三柱の神。こちらの社は、富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、富士山信仰の広まりと共に全国に祀られた千三百余の浅間神社の総本宮と称されるようになった。

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二の鳥居脇の「源頼朝」像。源頼朝・北条義時・武田信玄勝頼親子・徳川家康らが篤い崇敬を寄せた。源頼朝は、富士山麓で巻狩り(軍事演習)を行なった際に、駿河国一之宮である富士山本宮浅間大社に参拝、流鏑馬(やぶさめ)を奉納した。

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この楼門は慶長十九年(1614年)、次の本殿・拝殿は、慶長九年(1604年)に徳川家康により造営される。

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拝殿とその後ろの本殿。寄棟造の社殿の上に三間社流造の社殿がのる、二重の楼閣造となる珍しい形式で「浅間造」(せんげんづくり)と呼ばれている。

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湧玉池(わくたまいけ)。富士道者はこの池で身を清めて六根清浄を唱えながら登山するならわしになっている。

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水屋神社には、水汲み所が用意されている。霊峰・富士山から湧き出すバナジウムがたっぷり含まれた水を持ち帰ることができる。

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最後に、余談ではあるが、7月27日に家族で伊東市を訪れ、宿泊施設の隣にある「大室山」に登った。(こちらにも浅間神社がお祀りしてあった。)8月11日には懇意にしている大家さんと沼津港に日帰りツーリング。結果、二週間あまりの間に三度も富士の地に赴いた訳だが、その行き先は全て相手が決めてくれたのである。


龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 35



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