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じいちゃんばあちゃんの馴れ初め

これは僕が書き残しておいた方がいいなという話を書いておこうと思う。もう亡くなったじいちゃんとばあちゃんの馴れ初めの話だ。

じいちゃんは目が見えなかった。嘘みたいな本当の話だが、戦時中に上官の家で開かれた飲み会で出てきたお酒が、工業用のメチルアルコールが混ざった粗悪なものだったのだ。メチルは飲むと視神経がやられて失明してしまうことがあり、『目散る』なんて揶揄されていたくらいだ。戦時中、特に終戦間際は社会情勢の不安から酒類の需要が増加し、生産が追いつかずにそういった質の悪いお酒が出回っていたらしい。

じいちゃんからは、「戦闘機の訓練をしていた」「飛行場で上官に殴られた時の傷がまだある」なんて話を聞いたことがあった。核心に触れる話を聞いたわけではないのであくまで僕の推察に過ぎないのだが、おそらくじいちゃんは特攻隊にいたのだと思われる。その不安やいかばかりだったろう。酒に逃げたくなる気持ちも、若い隊員に酒を振る舞ってやろうという上官の漢気もよく分かる。率先して酒を飲んだ上官は翌朝そのまま亡くなり、集まった仲間たちの多くもじいちゃんと同じように視力を失ったそうだ。

視力を失ったじいちゃんは盲学校に通うことになった。じいちゃんはマッサージ師、古い言い方だと『按摩さん』だった。目が見えないなりに生きる手段を身につけねばならない。「目の見えない人はな、家がお金持ちだったら三味線を習って三味線弾きになるか、そうじゃなかったら按摩さんになるしかなかったんや」そんなふうに話して聞かせてくれたこともある。盲学校では点字や、按摩の技術を学んだようだ。その盲学校の学食で、食堂のおばちゃんだったのがばあちゃんだった。

ばあちゃんは戦争で旦那さんを亡くし、女手ひとつで娘3人を育てていた。戦争未亡人ということで国からの寡婦給付金も支給されていたようだが、なかなかそれだけで生きていくのは難しい。ましてや戦後の混乱期である。女性が仕事を見つけるのもなかなか大変だったろうが、何かの縁が導いたのかもしれない。そうして学食のおばちゃんと学生として2人は出会うことになる。

じいちゃんから、『ばあちゃんとの最初のデート』の話を聞いたことがある。ばあちゃんは食堂で使う食材の買い出しに行かねばならなかった。なかなか食料も手に入らない世の中である。闇市のような所にも行って買い物をしなければならなかったが、そういう場所にはガラの悪いゴロツキがいたらしい。女性一人で行くのは怖い、という話をじいちゃんにこぼした。そこでボディガードを買って出たのがじいちゃんだった。目が見えなくなったとは言え、『特攻隊上がり』の若者である。わしが一緒にいればゴロツキも手を出して来ないだろう。手を繋いで闇市まで出かけて、じゃがいもを買って帰ってきたんや、と、じいちゃんが見えない目を細めて僕に話してくれたのは、ばあちゃんが亡くなったお葬式の日の夜だった。

盲学校を卒業したじいちゃんはばあちゃんと一緒になり、自宅で按摩さんを開業した。ばあちゃんはお惣菜屋さんをやっていたらしい。既に娘も3人いたくらいだ。ばあちゃんの方が20近く歳上の姉さん女房だった。2人の間にも一度子どもは出来たのだが、ばあちゃんが高齢だったこともあって流産してしまう。ばあちゃんの連れ子の娘3人はもう嫁いでいたし、養子を取りましょうとなって迎えられたのが僕のお父さん。つまり僕はじいちゃんばあちゃんと血の繋がりはない。それでも僕はじいちゃんばあちゃんの孫だし、じいちゃんばあちゃんのことは大好きで尊敬していた。

ばあちゃんが50歳くらいの頃、ばあちゃんには心臓の疾患が見つかった。手術が必要な心臓の弁の不調だったが、血管が細かったばあちゃんは手術するのも難しく断念せざるを得なかった。お医者さんからは60歳まで生きられたら奇跡だろうと言われていたそうだ。そこでじいちゃんである。按摩さんだったじいちゃん、毎朝毎朝ばあちゃんをマッサージして血流を良くして、心臓への負担を軽くして、なんとばあちゃんは100歳を越えるまで長生きしてしまった。お医者さんもさっぱり意味が分からないと驚いていたらしい。愛の形も色々あるけれど、僕の考える理想の愛の姿はじいちゃんばあちゃんだ。

じいちゃんからもばあちゃんからも、もっとたくさん話を聞いておけばよかったなぁと今さらながら思う。それはもう叶わない。でもこうやって誰かの思い出が誰かに残るというのは素敵なことだなと思う。

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