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もたれかかる

昨日はとても落ち込むことがあった。仕事がうまくいかなくて、自分の不甲斐なさに腹が立って、夜遅くにボコボコに凹んでヘロヘロになって帰ってきた。

ずっと俯いて地面を見ながらとぼとぼと帰っていると、後ろから何となく自分と同じような重たい足音が聞こえることに気がついた。足を止めて顔を上げて振り返ってみると、そこにいたのは知らない女性だった。僕は女性と目が合った。女性も酷く落ち込んでいるように見えた。

「あなたも落ち込んでいるんですか?」僕が何か言おうとするよりも先に、そう声を掛けてきたのは女性の方だった。「あ……はい」僕は驚きながらもそう答えた。「私もとても落ち込んでいるんです。仕事がうまくいかなくて、自分の不甲斐なさに腹が立って、ボコボコに凹んで…」「ヘロヘロになっているんですね?」「そうです」そう言葉を交わして僕たちは少し笑った。何の偶然か、僕たちはあまりに同じように落ち込む同士だった。そこから少し間があった。

「少しもたれかかってもいいですか?」女性はそう言った。僕は無言で頷いた。僕たちは背中合わせになって、誰もいない夜の路地裏の細い道で互いにもたれ合った。相手の重みや温かさが心地よかった。今思えばどう考えてもおかしなシチュエーションだったが、その時は何故かそうすることが自然なことのように思えた。どれくらいの時間そうしていたのだろう?やがてどちらからともなく身体を離すと、僕たちは再び向かい合った。「人という字はこうやって出来たのかもですね」「そうですね」「ありがとうございました」「こちらこそありがとうございました」短い挨拶を交わして小さく頭を下げると、女性はくるっと踵を返した。2、3歩進んだところで女性は一度立ち止まって振り返った。「『もたれる』という字はどう書くかご存知ですか?」「…いいえ、知りません」「私もです」最後にそう言葉を交わして少し笑って、僕たちは別れた。不思議な出来事だった。もしかしたらこれは夢だったのかもしれない。でも僕の背中には、確かにあの女性の小さな背中の温もりと感触が残っている。

『もたれる』という漢字は、『凭れる』もしくは『靠れる』と書くようだ。中国拳法では体当たりのことを『靠(こう)』と言う。八極拳の『鉄山靠(てつざんこう)』という技なんかは聞いたことがある人もいるのではないだろうか?『もたれる』という漢字なのは何となく腑に落ちた。

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