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あの夜の乳首

タイトルからしてもう酷いが、今日は下世話なことを書こうと思う。猥談が苦手な方は申し訳ないがここで引き返していただきたい。明日はきっと子供じみた愉快な話を書きますので(まだ何も思いついてはいませんが)。



それなりの数の女性と枕を交わしてきた。人間の裸、とりわけ女性の裸というものはすべからく美しいものだ。中でも女性特有の乳房や性器などの部位は、本当にそれぞれみんな形や色が違っていて、とても神秘的で美しいものだなと毎度感嘆する。そう、毎度感嘆していたはずなのである。

昨日、仕事中にぼんやりと、過去に関係した人を思い浮かべては、あの人はどんな乳首をしていたっけななんてことを考えていた。我ながら気持ち悪いなとも思うが、現実逃避にくだらないエロいことを考えるというのはまあ人間なら誰しもあることだとご容赦願いたい。そんなわけで乳首に思いを馳せていたのだが、驚くほど記憶が曖昧で、どんな乳首をしていたかが思い出せなかったのだ。あんなにも感嘆し感動していたはずなのに、である。

ここでは何度か書いてきたが、僕は記憶において視覚情報が優位な人間である。ちょっとした思い出も鮮明な映像として記録されていることが多い。にもかかわらず、乳首の形すら記憶していないというのは一体どういうことなのだ。思い返してみると、乳首の形状だけでなく、そういう行為の間の視覚情報の記憶も、全くないわけではないが極端に乏しいことに気づく。部屋を暗くしているからだろうか?興奮して無我夢中になっているからだろうか?代わりにおぼろげにある記憶は、相手を触ったり触られたりした感触だった。それに気づいた僕ははっと得心した。

自分は視覚優位な人間であり、いかなる時も何よりも視覚情報に過敏なのだと思っていたが、それよりも触覚、手触りにおいてより敏感なのだ。性行為というものは触覚情報の洪水である。相手に触れること、触れられること、普段やらないコミュニケーションである。対して視覚情報に関しては、確かに普段はお目にかからないようなものを見るとは言え、入ってくる情報の量は変わらない。おそらく触覚情報の処理に脳のリソースを多く使うことにより、視覚情報を鮮明に記録する容量が不足し、結果として乳首の形状すら記憶が曖昧になるというセーブデータのエラーが発生しているのだ。

あの人はどんな乳首だったっけなと、そんなくだらない妄想から始まった思考だ。しかし自分の記憶の仕組み、感覚情報の処理の優先度、五感の優位性について考え、興味深い気付きを得ることが出来た。自分を知るというのはすべからく楽しいものだ。これからもこういう些細な気付きを大切にしていきたいものだ。

……と、ここまで書いてふと、性行為中の視覚記憶が曖昧なのは単にメガネを外しているからなのでは?という身も蓋もない可能性に気付いてしまった。これもまた興味深い気付きだ。いつか機会があったらメガネを外さずに、或いはコンタクトを付けて致して検証してみることにしよう。

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