映画をたくさん見た日々
大学で演劇を学んでいた(中退したけど)。確か演技基礎みたいな科目の最初の授業の日、先生が、「舞台や映画をたくさん見なさい」と言った。そりゃ当然だ。先生は続けた。「見たものは絶対に忘れます。いつ何を見てどう思ったか、感想をノートに書き残しておきなさい」なるほど、確かにそれもそうだ。やってみよう。善は急げだ。大学の帰りに無印良品でリングノートを買って帰った。
とは言え、田舎から出てきたばかりの世間知らずの若造である。舞台を見ようにも何を見に行ったらいいのかまるで分からなかった。何でもいいから片っ端から見てやればいい、なんてことが出来るお金もない。なんならチケットの取り方さえままならない。それでも見に行ったいくつかの舞台が正直チケット代に見合う満足度ではなかった、平たく言うとあんまり面白くなかったのも良くなかったのだと思う。当時まだ毎週刊行されていたエンタメ情報誌『ぴあ』を毎週買って(こんな注釈を付けねばらなぬことに驚く)、演劇欄をパラパラと眺めてはうーんとため息をつくばかりになっていった。代わりに映画をたくさん見た。
住んでいたアパートの割と近くにTSUTAYAがあった。そういえば当時はまだ、ビデオからDVDに変わり始める直前だった。当時、行きつけのTSUTAYAでは旧作4本1000円でレンタル出来た(今のようなサブスク配信もない時代、『ビデオを借りて見る』という文化があったのだ、という注釈も必要なのかもしれない)。毎週4本借りてきて、翌週返しにきたついでにまた4本借りて帰った。アニメシリーズや、格闘技や、時々AVなんかもレンタルしていたので毎週映画を4本見ていたわけではないが、それでも毎週2、3本は必ずレンタルで映画を見た。
映画館にもなるべく通った。演劇を見に行く、は残念ながら定着しなかったが、それでもぴあは毎週買っていて、紙面では公開中の映画が短いあらすじと解説で紹介されていた。面白そうだなと思った映画はふらっと見に行った。そうこうしているうちにお気に入りの俳優や監督、なんならお気に入りの映画館も出来てくるものだ。この人の出ている映画をもっと見てみよう、この監督の撮った他の映画も気になる。持ち前のマニア気質も相まって、映画の本を買って読んだりもするようになった。毎週のレンタルと月に数度の映画館。ピーク時は年に100本か200本くらいの映画を見ていた。そしてもはや授業にさえまともに出なくなって中退街道を爆進するようになってからも、あの日授業で先生に言われた、「見た映画をノートに付ける」だけは続いた。結局ノートは4冊を重ねることになった。
あの頃、感受性もビビットだった20歳前後の時期に死ぬほど映画を見たことは、今も表現の世界にいる身として大きな糧になっている。今思えば大学をドロップアウトしたのも、自分はみんなに比べて演劇を知らなすぎた、自分には何もないというコンプレックスが大きかった。映画をたくさん見たという実績は、そのコンプレックスも埋めてくれた。感想をノートに書き残すということも、毎回作品について振り返って、作品と同時に感想という形で自分の心の動きを観測するという点で、1本の映画から得られる経験値を1.2倍にしてくれるような効果があったように思う。忙しくなったり、ネットが普及して映画の感想をブログに引っ越ししたりしてノートに書くのは中断しまったのは今思えばとても悔やまれる。
エンタメが多様化、飽和化した現在。「映画をたくさん見なさい」はおそらく昔よりも難しくなっている。各種サブスク配信で気軽に見られるというメリットが出来た反面、youtubeやTikTokなど、隙間時間でつい見てしまうようなエンタメも膨大に増えた。そういうものよりも映画を見た方が身になるような気はするが、僕はその理由を上手く説明出来ないし、youtubeを100時間見ることだっておそらく表現する上で血肉になることには違いない。映画をたくさん見なさいなんてのももしかしたら古い考えなのかもしれない。しかしそれでも、映画をたくさん見たあの日々があるから今の自分はある。それは間違いない。最近はすっかり見る本数も減ってしまったけれど、面白い映画はたくさん摂取し続けたいものだ。
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