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遅すぎた覚醒者

雨粒がゆっくり止まって見えたのが、私がこの能力に目覚めた瞬間だった。意識を集中すると周りがゆっくりに見えるほどの動体視力を得ることが出来る。どうしてこんな能力を得られたのかは分からない。数日前に風邪をこじらせて3日も寝込んだのが原因かもしれない。

スポーツや格闘技の分野で、めちゃくちゃ強みを発揮出来そうな能力だ。しかし能力に目覚めた時に私は既に40歳だった。ずば抜けた動体視力があってボールやパンチが止まって見えたとしても、身体能力まで上がるわけではない。私は昔から運動音痴だった。学生時代はずっと美術部だったし、学校の体育の授業以外でスポーツをやった経験はほぼない。最近は年相応に贅肉も付いて余計に動けなくなってきたところだった。試しにと申し込んでみたボクシングジムで、私はほぼ止まって見えるパンチに為す術なく殴られた。ダメだ。私はこの天賦の能力を諦めてドブに捨てるしかなかった。

ボクシング解説のYouTuberとして成功するまで、チャンネル開設から3年かかった。井上尚弥という稀代のチャンピオンと同じ時期に生まれ合わせたことも運が良かったのだと思う。「肩でフェイントを入れてからジャブを当てているんですね」「バックステップだけで相手のパンチを外しましたよ」「一瞬で8発のパンチを、しかも上下に撃ち分けている。これは才能と言うよりも普段から重ねてきた練習の賜物なんでしょうね」動体視力を活かした細かい見どころを、スローモーションの動画を載せて解説する動画は人気を博した。

動画の企画で一度だけ、井上尚弥選手と対談させてもらったことがある。1時間だけと念を押されてきっちり時間通りに終わった有意義な対談の帰り際、彼は僕にそっと耳打ちをしてくれた。「……上田さん、あなたももしかして、『ゆっくり見える能力』があるんじゃないですか?」私は目を丸くした。彼も私と同じ能力を持つ能力者だったのだ。驚く私にニッと歯を見せて帰って行く井上選手の背中は、大きく輝いているように見えた。あぁ!私に若さとボクシングの才能があれば!或いはリングの上で彼と巡り会えていたかもしれなかったのに。でもそれは分不相応な願いなのだ。YouTuberとして成功しただけでも良しとせねばならない。対談の動画は大いにバズった。

私たちだけじゃない、世界にはおそらく様々な能力に目覚めた者たちがいる。ある者はその能力を活かし、ある者はその能力を持て余して、私のように生きているのだろう。私のこの能力が更に覚醒して未来予知能力となり、多くの能力者を束ねるリーダーとして世界を守る仕事をするようになるのはまだ少し先の話だ。

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うえぽん
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