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ナンバーワンへの道

思えば何の取り柄もない人生だった。誰にも注目されず、愛されず、特別なことなんて何もない30余年だった。人生で一度くらいスポットライトを浴びたい……そんなふうに思い詰めた俺のような人間が、通り魔事件を起こしたりするのかも知れない。いや、違う。やっぱりああいうことをする人間は俺なんかとは違って特別な何かを持っているのだ。そんな大それたことは俺には出来ない。俺は誰にも迷惑をかけない、ささやかな野望を実行することにした。今やっているサッカーのスマホゲームのイベントで、ランキング1位を取ると決めたのだ。

ガチャを回して選手を獲得し、育成して、自分の理想のチームを作ることが出来る、ありふれたサッカーゲームだった。システムや戦術は設定するが、試合そのものは自動で進行する。俺のようにゲームも下手な人間でも楽しめる仕様になっていた。次のイベントはプレイヤー同士の対戦イベントではなく、CPUのチームを相手に試合をすると貰えるポイントを貯めて、最終的に合計ポイントのランキングに応じてアイテムやレアカードが貰えるというイベントだった。これならピンポイントで惜しみなく課金して周回さえすれば1位を狙うことが出来る。俺の人生を変える挑戦が始まった。

イベント期間は10日間。まずはイベントで貰えるポイントにボーナスが付く期間限定選手を手に入れる所からだ。俺はひたすら課金して無心にガチャを回した。ボーナス選手を11人揃えていよいよイベント開幕だ。試合を周回するのに使うスタミナ回復アイテムはこのイベントのために溜め込んでいた。まずはそれを全て投入してイベントを進める。ランキングはすぐに全国100位前後まで上り詰めた。しかしそこからの壁は厚く、なかなか100位以内に食い込めない。イベントボーナス選手を複数枚引いて重ねてよりボーナスを多くする必要があるようだ。俺は更に課金をしてガチャを回した。この時点で課金額は8万円になっていた。一体どこまで課金することになるんだろう……俺は震えた。躊躇うな。この日のために貯金してきたんだ。俺はボーナス選手をほぼ全員MAXまで重ねた。これで1試合でもらえるポイントは限界値に近い。あとはひたすら周回するだけだ。休まず周回を続け、イベント初日の夜にはとうとうランキング2位にまで登り詰めた。やった!

ランキング1位だったのは、これまでの数々のイベントでも上位ランキングの常連で名前を見た覚えのある、【ミニクロワッサン】というプレイヤーだった。俺だってほぼ寝ずに周回しているのに、【ミニクロワッサン】とのポイントの差はなかなか縮まらなかった。3位以下とは大きく差がつき、おそらく1位争いは俺と【ミニクロワッサン】の戦いになる。勝負は俺が有給を取ったイベント後半の7日間になるだろう。俺は仕事の空き時間の全てをイベント周回に費やし、なんとか【ミニクロワッサン】に食らいついていた。

休みに入り、いよいよ勝負は佳境に突入した。手持ちのスタミナ回復アイテムはもうとっくに使い果たし、ひたすら課金してスタミナを回復させて周回するフェーズに移行していた。【ミニクロワッサン】とのポイント差は徐々に徐々に縮まってゆく。これだけポイントの推移に注視していると、【ミニクロワッサン】の動向が見えてくるものだ。ポイントの増加が止まる、おそらく食事を摂っているのだろうとか、少し仮眠を取ったなとか、夜も3時間しか寝ずに周回しているんだなとかが分かるようになってきた。そうだ、相手だって人間なのだ。だったら勝つためには人間を辞めればいい。俺は文字通り不眠不休で周回を続けた。睡眠時間は2時間、食事の間もトイレの間も休まず周回、風呂はシャワーで15分。ついに俺は【ミニクロワッサン】を躱してランキング1位になった。イベントは残り2日。このまま走り切れば俺は1位になれる!安い給料からコツコツと貯めていた貯金は随分と目減りしてしまっていた。でも関係ない。どうせ結婚もしないし、家を買うとか車を買うだなんてこともないだろう。使うあてのなかった金だ。なら人生で一度きりの1位を味わうことに全て使ってもいい。最後の2日間、俺は一睡もせずに周回を続けた。そして俺は全国1位になった。

イベントが終了してメンテナンスが明けて1位が確定した瞬間、俺は声を上げて咽び泣いた。ずっと何もない人生だった。それが初めて1位になったのだ。言葉にならない興奮と感動と達成感で打ち震えた。イベント報酬のレアカードはジダン選手と、☆5確定チケットが2枚、あとは育成アイテムと資金がいっぱい貰えた。でもそんなことはどうでもいいのだ。1位になったということ、それが何よりも重要なのだ。疲弊し切った身体を引きずるようにしてコンビニに行って、ハンバーグ弁当とストロングゼロとケーキを買って帰ってきて、俺はささやかな祝杯をあげ、泥のように眠った。こんな幸せな眠りは記憶になかった。

その日から俺は、1位になったことのある男になった。それ以外には相変わらず何もない、しかし全国1位になったことがあるという事実は俺の周りの景色を少しだけ変えてくれた。俺は以前よりも少しだけ自信を持って、少しだけ前向きに生きられるようになった。つらいことや悲しいことがあった時にも、俺はあの時1位になったんだと思うと頑張れるようになった。ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン……という流行り歌があった。でも俺はそれは違うと思う。ナンバーワンになったからこそオンリーワンになれるのだ。ゲームで1位になったという経験を経て、俺はようやく自分もオンリーワンなのだと思えるようになった。月並みな言い方をするならば、これが自尊心だとか自己肯定感だとか言われるものなのだろう。これまで生きてきてついぞ持ち合わせることのなかったものをやっと手にして、俺はようやく俺になれたのだ。会社の同僚に誘われて、来週俺は生まれて初めて合コンというものに行くことになった。もしかしたら何か変われるかもしれない。世界にはこんなにも希望が溢れていることを知った。変わるきっかけは何でもいいのだ。俺はこのゲームに出会えたことを心から感謝している。

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