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がにまた行進曲

いくら金のためとは言え、俺はどうしてこんな仕事を引き受けちまったんだろう…。必死になって階段を転げ落ちながら、俺は酷く冷静にそんなことを考えていた。

この作品と言えばここ、というくらい有名な、所謂『階段落ち』のシーンである。と同時にめちゃくちゃに危険なシーンでもあった。俺たちのように身体を鍛えたスタントマンでも、打ちどころが悪ければ酷い怪我をすることだってある。いくら見せ場を独り占め出来る『オイシイ』役どころだからと言って、誰もやりたがらないというのが実際のところだった。いつしかこの役には危険手当という名目のボーナスが付くようになって、そのたった2万5000円に目がくらんで今まさに階段を転げ落ちているのが俺なのであった。

階段はあとどのくらい残っているのだろうか。体の表も裏も満遍なく何度も硬い階段の角にぶつけて、もう痛いなんてもんじゃなかった。そりゃあ俺だってアクションのプロだ。痛くないように怪我をしないように受け身を取ろうと思えば、例えそれが階段だろうが出来ないことはない。しかしそれ以上に、俺は役者のプロなのだ。刀で斬られて階段を転げ落ちている男が受け身なんかを取るだろうか?俺は刀で斬られて既に死んでいるか、そうじゃないとしても立っていられない程の傷を受けて階段を落ちているのだ。役者として、受け身を取るだなんて恥ずかしいことは出来なかった。ただ勢いよく、我が身よ砕けよとばかりに派手に階段に身体を叩きつけながら俺は転がった。そういえば『粉骨砕身』だなんて四字熟語があったっけな。骨を粉にして身を砕いて頑張る。何だ、今の俺のためにあるような言葉じゃあないか。ゴキッという異音とともに股関節が外れ、あまりの痛みに意識を失った瞬間、俺はそんなことを考えていたのをはっきりと覚えている…。

俺の事故は随分と世を騒がせることになってしまった。撮影所は安全管理を問われて所長が退き、現場で直接の指揮を取った監督は業界から干されてしまった。俺が文字通り命懸けで頑張った映像も当然お蔵入り。俺は事故の後遺症で脚がまっすぐ出せなくなって役者もスタントマンも引退することになった。馬鹿なことをしたもんだと思わないこともないが、これは俺の役者としての誇りゆえに起きた名誉の負傷だ。役者は引退することになったが、撮影所のお情けで拾ってもらった助監督の仕事も今は楽しくやらせてもらっている。これが俺の人生、悔いはない。いつか自分で映画が撮れるような身分になったら、そんな不器用な人生を生きたしがない役者の話を撮ってみたいものだ。タイトルは…『がにまた行進曲』なんてのにしてみようかと思っている。

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