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フライングスピニングドラゴンシュート

決勝戦の相手が富士見野第四高校に決まった時、俺はこのままじゃ絶対に勝てないと思った。ゴールデンコンビと称された羽田と湊、坂本兄弟、ドイツ帰りのスーパーゴールキーパー若山を擁する富士見野第四高校は優勝候補筆頭だった。俺たちはもっと強くなる必要があった。

必殺のドラゴンシュートを改良したフライングスピニングドラゴンシュートは、練習中にたまたま生まれたものだった。ジャンプして回転しながら撃つことによって、理論上は従来のドラゴンシュートの4倍の威力を出すことが出来る。若山の守るゴールを破るにはこれしかない。しかしフライングスピニングドラゴンシュートはまだ未完成で、威力もコントロールもまだまだだった。俺は試合までの1週間、フライングスピニングドラゴンシュートを完成させるために山篭りをすることにした。監督やチームメイトにも行く先は告げず、ただ部室に「絶対に強くなって戻ってきます」とだけ置き手紙を残して行った。それが俺の覚悟だった。

特訓は苛烈を極めた。ジャンプと回転を保ったまま正確にボールを捉えるため、俺は滝壺に飛び込むトレーニングを繰り返した。何度も何度も。空中で姿勢を制御するためのトレーニングだが、それ以上に死の瞬間の意識を体得するためだった。人間は死の瞬間にこれまでの人生を走馬灯のように見ることがあると言う。一瞬を、これまでの人生分の時間で振り返る感覚。その感覚を会得すれば、きっと正確にボールを捉えることが出来るに違いない。俺はそう信じて繰り返した。「練習は嘘を付かん。結局試合では愚直に繰り返した練習がものを言うんじゃ」吉良監督の言葉が頭に浮かぶ。しかしなかなかこの感覚をモノにすることは出来なかった。やはり無理なのか……そんな考えが頭をよぎった山篭り最終日、疲労でフラフラになった俺は自ら跳ぶのではなく足を滑らせて滝壺に落ちてしまった。あっ、と思った刹那、自分の周りの世界がゆっくりと流れていくのが分かった。これだ!ようやく俺はフライングスピニングドラゴンシュートを完成させたのだ。俺は山を降りた。

部室に戻ると、学校は大騒ぎになっていた。俺の残したメモは閉め忘れていた窓から吹き込んだ風でロッカーの裏に飛ばされていた。サッカー部員の突然の失踪。山篭りの間の生活費にと親の金を勝手に持ち出したのも問題になっていた。警察に捜索願いが出され、それでも見つからずに顔写真まで公開して情報を募集し始めたのが俺がいなくなって5日目のことだったらしい。俺は普通にめちゃくちゃ怒られ、1ヶ月の謹慎処分となった。当然決勝戦に出ることは出来なかったが、チームは3-1で普通に勝った。スーパーゴールキーパー若山の守るゴールを3度破ったのは、コーナーキックからのヘディングシュートと相手のハンドで得たPKと、キックフェイントからゴール隅を狙いすましたコロコロシュートだった。キーパーがどれだけ凄くてもゴールが決まる時は決まる。それがサッカーなのだ。俺はそんな単純なことを忘れていた。

あれから18年、なんやかんやあって俺は地元の銀行で働いている。結婚して娘も産まれて今年で2歳。あの日体得したフライングスピニングドラゴンシュートはあれ以来ずっと封印したままだが、俺は幸せだ。あの当時の仲間たちもみんなそれぞれ大人になって普通に働いているが、スーパーゴールキーパー若山だけはプロのサッカー選手になって、J2のモンテディオ山形で第2キーパーをやっている。

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