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英雄の18年

18年前の8月、台風の時に田んぼの様子を見に行って増水した川に流されて死んだと思っていた父が、北太平洋の小さな島で生きていると連絡があった時、私は誇張でも何でもなく、目ん玉が飛び出るくらい驚いた。18年前だぞ?北太平洋まで流されて生きてるなんてことがあるか?ともあれ父が生きていたのは事実で、私はカナダ経由で18年振りに日本に帰ってきた父と涙の再会を果たすこととなった。

18年振りに会う父から聞かされた話は、耳を疑うような大冒険譚だった。あの日、暴風雨の中父は間違いなく川に流された。しかし父は、かつて元寇の時にモンゴル軍と戦った水軍の子孫で、神風の吹き荒れる海を鎧を着たまま泳いで敵の船を攻めるための古式泳法の継承者だったのだ。あの時父がいなくなっていなければ、私も10歳になったらそれを継承するはずだったらしい。濁流に飲まれながらも父は習い覚えた古式泳法で川を下って海まで出た。海は川以上に大荒れだったらしい。父は沈まないようにするのが精一杯で遠い沖まで流され、黒潮に運ばれて流れ着いたのが北太平洋の小さな島だったらしい。

長い漂流で憔悴した父を救ってくれたのが、島に住む夫婦だったそうだ。人口30人にも満たない小さな島。漁に使う小舟はあったが、他の大陸に渡る術もない、電気もないような小さな島だった。快復した父は言葉も分からぬまま見よう見まねで漁師の仕事を教わり、夫婦を助けて暮らした。やがて父は、何年かに一度、島を定期的に襲う海賊の存在を知る。父はただ島の人たちを救いたかった。水軍の血を引く父は、古式泳法だけではなく、海の上船の上で戦う古武術も継承していた。父はそれを島の人々に教え、武器や船を用意して海賊の来襲に備えた。そして時は来た。島民たちは一致団結して戦い、海賊の船を沈め追い払った。父は島を救った英雄となった。父の名前が英雄(ひでお)だったのは、少々出来過ぎた偶然だったかもしれない。

父の恩に報いようと、島のみんなは協力して父が故郷に帰るために尽力してくれたのだそうだ。それでも父がカナダに送り届けられるまでには3年を要した。ようやく辿り着いたカナダから日本政府を通じて連絡があり、やっと日本に帰って来られるまでに18年、そして現在に至る、というわけだ。海賊との戦いで父は左目を失っていたが、それ以外はすこぶる健康だった。

父の大冒険はメディアにも取り上げられ、父は時の人となった。父の手記は書籍化されて出版され、堺雅人さんの主演で映画化も決まって来年の秋に公開になる。父は今年55歳。老後はまたあの島で暮らしたいと言っていて、私は父の希望を叶えてあげたいと考えている。島の岬の先っぽには島を救った父の彫像が飾られているのだそうだ。私はそんな父を誇りに思っている。そもそも台風の日に田んぼの様子を見に行くなんてバカなことするんじゃないよとも思っているけれど。

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