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「コミュニケーションをより良く豊かにするためには、 私たちは常に進んで対価を払おうとする。」

コミュニケーションなくして、人間は存在することができない。
コミュニケーションは、人間の基本的な特徴のひとつであり、
コミュニケーションをより良く豊かにするためには、
私たちは常に進んで対価を払おうとする。

――アラン・ケイ
(アメリカの計算機科学者・教育者・ジャズ演奏家)

みなさんは、スマホを使っていますか。立ち上げて、アプリを順番に見ていった時、何らかの形でコミュニケーションにつながっているものは、どのくらいあるでしょう。
写真は、そのまま共有したり、SNSにアップしたりすることができます。音楽は、プレイリストを共有することができますし、カレンダーだって家族や仲間とスケジュールのやり取りができます。ゲームはほとんどがフレンドとつながっているし、Kindleのような読書アプリにはアンダーラインを共有する機能があったりします。
あるいは、翻訳ソフトだって、コミュニケーションの補助の役割だと考えれば、この中に加えることができるでしょう。

「消滅危機言語」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
現在、世界には7000ほどの言語がありますが、そのうち2500が消滅の危機にさらされているといいます。
(「言語の消滅危機―日本語も他人事じゃない」)
文化の多様性の観点からすれば、これは大きな問題です。ですが、その背景にコミュニケーションへの欲求が存在することも、否定できない事実です。この場合のコミュニケーションは、経済的な利益を得るためのものという側面が大きい。少数言語を用いる民族が経済的に不利な環境に置かれているという事情が、この状況に拍車をかけているのです。
(「増え続ける「消滅危機言語」」)
このような事実からも分かるように、言語の壁を乗り越えることは、より多数の人々とのコミュニケーションを実現する上で、欠かせない問題なのです。

そもそも、人間が生み出してきた技術やシステムは、コミュニケーションが可能な人間の範囲を拡大し続けてきました。
船舶、鉄道、飛行機――長距離の移動コストの低減は、人の移動をより流動的にし、一人の人間が一生涯に出会う人間の数を飛躍的に増大させました。
平等性の理念もそうです。封建的な階級制度の下では、人々は自由にコミュニケーションを取ることができません。平等が実現されたことで、誰とでも自由にやり取りすることが可能になったのです。
出自、民族、宗教、年齢、性差、経済的格差――人間が乗り越えるべき壁は、一向になくなりません。それでも、より自由なコミュニケーションに向けて努力を続けてきたのが人類の歴史です。今も、抑圧されている人々の立場に立ち、彼ら/彼女らの声に耳を傾け、そこにある壁を壊すべく活動している人がたくさんいます。
一見すると、相手を支配しようとする欲の方が強そうにも見えますが、人類の歴史はそれを否定します。人が人を支配しなくていい方向へと、歴史は進んできました。誰も支配せず、誰にも支配されない人生が、その辺にゴロゴロ存在しているのが現代です。

そう考えると、アラン・ケイのこの言葉にある「対価」が一体なんであるか、考えずにはいられません。
「お金」と言ってしまうのは、少し想像力が足りないですね。もしも、豊かなコミュニケーションを手に入れるのに「お金」が必要だというなら、「お金」を十分に持たない人とはどうやってコミュニケーションを取れるというのでしょうか。こちらがいくら「お金」を払っても、その場に貧しい人々がいないのでは、本末転倒です。
だとすると、「対価」とは何なのでしょう。
もしかすると、それは「我」かもしれません。
コミュニケーションは相互理解を促進します。自分から遠い価値観の人と直接やり取りをすれば、カルチャーショックから、自分の持つ文化や思想を相対化することにつながります。
個人間の差異がなくなるという話ではありません。その世界では、自分のアイデンティティを得るのに、国や民族に頼る必要がないのです。
全ての人と思うがままにコミュニケーションが取れる世界が実現した時、人間はどこに向かうのでしょうか。何を目指すのでしょうか。

そういえば、人間がコミュニケーションを取りたいと思ってきた相手は、何も人間だけではありませんでしたね。
さて、全ての存在とコミュニケーションが取れるようになった世界、あなたは何の声を聞きますか。何に向かって話しかけますか。

Photo by Science in HD on Unsplash

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