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「スケッチブックの中なら、可能性は無限だ」

いったんパソコンの前に座ると、完成にしか向かう道はない。
だが、スケッチブックの中なら、可能性は無限だ。

――トム・ゴールド
(スコットランドの漫画家・イラストレーター)

中学時代、一番好きな科目は数学でした。
定期試験や模試などで、一番点数が取れたのは英語でしたが、好きな科目となれば圧倒的に数学でした。
一番、長い時間取り組んだのも数学です。
何をそんなに長時間やってたのかって、解けない問題とひたすら格闘することです。
これまで習った公式や解法を色々と組み合わせ、ノートに式を書き続ける。同じ図形を何度も書いて、思いつく限りの補助線の引き方を試してみる。鳥の声を聞いて慌ててベッドに入り、翌日も同じ問題に挑戦する……
向き不向きで言えば、向いていなかったのかもしれません。先生から解法を教えてもらって、あまりの単純さに開いた口が塞がらなかったのも、二度や三度の話ではありません。
(数学の解法の単純さは、すなわち美しさです。僕の考え方は、今から思えば美しくなかったのだろうと思います。)
ただ、試行錯誤の過程は本当に楽しかった。ノートが正解に至らなかったプロセスで埋まっていく過程が楽しかったんです。

今日の言葉にある「パソコンの前に座ると」というのは、人によって変わってくるでしょう。「原稿用紙や試験問題を前にすると」かもしれないし、「机の前に座ると」かもしれない。人によっては「先生がいると」かもしれないですね(ごめんよ)。
正解までの道筋が見えている時、正解に至るまでの過程は作業になります。
攻略本を見ながらやるゲームは空しいものです。攻略サイトを見てしまうと、アイテムをゲットした喜びよりもアイテムを取り逃した後悔の方が大きくなります。
作業には、無駄と失敗が結びついているのです。

間違った解法に埋め尽くされたノートは、無駄でも失敗でもありませんでした。それは、ゲームの中で「試行錯誤した時間」や「冒険を楽しんだ時間」と同じ意味をもっていました。
「無限の可能性」なんて、ちょっと気恥ずかしくなる言葉ですが、ノートを開けばそこに当たり前のように転がっているんです。
たまには、正解を忘れて遊んでみませんか。

Photo by Rachael Gorjestani on Unsplash

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