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美しいラーメンと落語と人生の無意味

用事があって新宿に行った。早めの夕ご飯に、はやし田というお店で美しいラーメンを食べた。

つやつやの油膜に覆われていてアツアツだった。濃厚な鶏の旨味が広がる。全粒粉の麺がポキポキで美味しい。それにしてもなんて美しいラーメンなんだろう。端正だ。

早めに夕ご飯を食べたのは、ある場所に行くためだった。久しぶりの寄席だ。「落語は業の肯定だ」と言ったのは談志師匠だ。聞いている人間の業まで肯定してくれるから、私は落語が大好きだ。今日は若手の真打が初めてトリを取るという。

なんともパワフルで、イカれた落語だった。意味なんて無かった。登場人物の無意味な生き様を、客席が一丸となって肯定した。

私が過去に書いた記事に、こんな記述がある。

寒天はプリプリで、お豆はふわふわ。真夏でも、熱いお茶がよく合います。 この夢のような出会いには一体どんな意味があるんだろう。残念ながら意味なんて多分無くて、それは私が人生を紡ぐことも同じでしょう。そんなこと忘れて舌の上の味覚を楽しみましょう。

当時の私は人生の無意味さを気にせずに豆かんの味を楽しむことができた。

それが今はどうだろう。私は毎晩人生の意味を探して絶望しているではないか!人生の無意味さに動じなかった私はどうしてしまったんだろう。

寄席に行ってよかった。体調の悪い自分もおおいに肯定してくれた。そしてどうやら良い方に導いてくれそうだ。

人生の無意味を取り戻すのが今の目標だ。例えば理由が無くても早めの夕ご飯を食べられるように。

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