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OHANA-ROBOTが大ウケするまで               


1.自己紹介

 現在,北海道大学農学院の学生です.昨年10月より休学し,札幌を離れて4ヶ月が経ちます.大学では農学の勉強をし,休日は農家に遊びに行き,長期休暇には農家インターンや農村滞在をしてきました.4年生からはスマート農業の研究室に進みました.そこから1年半ほど,高価なセンサを使って無人農用トラクタのソフトウェア開発に携わったり,気分転換に圃場内をトラクタでドライブしたりと,色々な経験ができました.
 さて1年半もいると様々なラボの闇が見えて失望したり,環境に飽きて視野が狭まったりするものです.今回ばかりは嗜好を変えて,北海道の大規模農家の逆の中山間農家が良いなと思いました.ちょうど春に熊野古道を歩いたときにその土地の魅力に惹かれていたところでした.4人ほど現地の農家と連絡を取って熊野古道周辺の農村を訪れました.爺さん達が開拓した山奥の秘境にある茶農家で一日中除草をし,梅・みかん農家と果樹園巡りをし,自給農を営む家族・親戚一同と稲刈りをしました.その他,茶の実と温泉水で服を染色し,イノシシの肉を食べ,川をほって温泉に浸り,川遊びや鮎の友釣りをするなどの経験ができました.
 銘水と温泉が湧き出し、川では鮎や鰻がとれ、山では山菜や鹿や猪がとれて,茶が旨く,人のコミュニティが生きている.私はまさにここに《豊かさ》を見出したのです.この経験から,産業主義的な農業ロボットを研究・普及するスマート農業の社会的意義を認めつつも価値を相対化して,別の方向性を提示することを考え始めました.修士1年の秋,一昨年のことです.

ラボのすごいデモ
秘境の茶畑

2.《豊かさ》の価値をめぐって

 私が見出した《豊かさ》の本質を,やや深掘りしてみましょう.先ほどの例からは,多数の人間の多大な労力によって自然との共生関係が築かれた里山地域という性質を抜き出してみました.ここで,圃場環境が全く極端に正反対の,北海道の十勝地方での滞在経験を紹介します.とある町に農業インターンしたことがきっかけでその後も農協や農家とご縁があり,遊びにいったときのことです.農協が所有するハウスを貸し切って仙鳳趾の牡蠣をメインにBBQをして,スナックの主人が仕留めた蝦夷鹿をルイベで食べ,その町の日本で指折りの種牛農家がくださった黒毛和牛を食べて,お土産に野菜と自家製いくらの醤油漬けをもらいました.こちらの町は山や川や海に近く、ジビエや山菜,海の幸,肥沃な土地に恵まれていています.地域のコミュニティもあり,経済的にも余裕がありました.里山で《豊かさ》を発見した後の訪問でしたが,こちらも豊かであると感じさせられました.一見すると後者の町の方は,山間部同様の《豊かさ》があるうえに,農家の経営規模が大きく経済的に優位である,つまり最強じゃないかというのが私の抱いた感想でした.しかしこれ,どうでしょうか.国の土木事業として山を開拓して平地にするパイロット事業がありますが,やはり山には山の暮らしが,平地には平地の暮らしがあるのです.熊野古道沿いの農村でいえば、山の農村では自給的嗜好の強い農耕民が多く,少し外れて平地が多くなってくると,規模や機械や作物から,農家の生活スタイルや家族構成まで,性向が伽藍と変わってくるのです.この辺は,群馬県の上野村でお馴染みの内山節氏が指摘している通りです.ということは,選択は個人の価値観の問題に帰着するわけです.山が絶対一番良い,という客観的主張ができれば都合が良かったのですが,そういう訳にはいきません.ただ,平野で生まれ育ち札幌という都市空間で学生時代を過ごした身からすると,山の暮らしは良いなと思っています.私が知らない町を見て,海,山,川,里が町の近くにあって,それらと共生している人が存在すればその町は良いなとなるわけです.

蝦夷鹿のルイベ大好き.
種牛農家直伝のすき焼き.「ざらめでカラメルソースを作っておき,肉を焼く.卵白メレンゲを包んで,卵黄ソースにつけて食べるのが本当の食べ方なんだ.俺は面倒だから普通に食べるけどね」

3.何となくロボットを作ってみる

 こうして私の夏休みは,大きな価値観の転換→転換した価値観の相対化がおきて,この経験を北海道に帰って何人かの先生や農家や友人に話しました.赫々云々の対話を経て,中山間地域向けの農用ロボットがあれば持続可能性な農村地域につながるという考えに至ったのです.私はこのアイデアが大変気に入りましたし,日に日に想いが強くなりました.そして,大学構内で学生が営んでいる畑の一画を貸してもらえることになり,次年度からそこで開発することも決まりました.畑を管理している先生とは仲が良く,その年は雑草の美味しさについて教えてもらったので,雑草と共生するかわいいロボットが良いという話になりました.
 とりあえず,クローラが作れたらカッコ良いなと思って,作ることを決断しました.しかし私はロボットを作ったことがありませんし,周りにも作る人はいません.農業ロボットの研究室ですが,ハードウェアを作る人は殆どいないのです.そこで,自転車やトラクタを観察したり,本を買って独学したり,工業大学生に会いに行って教えてもらったりする中で,クローラに必要な部材がわかってきました.初心者なりにCADで設計をし,部材を購入し,それでもできなくて数週間読書に現実逃避することもしょっちゅうでした.外注するお金や特殊な工具がなかったので,簡易的な工具で板に1日中穴を開けたり,深夜を狙ってアブナイ加工をしました.部材の購入は当然全て自腹でしたので,ラボの膨大な研究費というものが私にとってちっとも役に立たないことや,人間社会が壮大な茶番であることを学びました.縷縷を経て,試行錯誤の末にようやく自作の2輪クローラを動かすことができました.曲がりなりにも初めて自作したロボットを,仲の良い先生に一番に見せに行ってビールで乾杯し深い喜びに満ちた研究室での夜.構想から5ヶ月,修士1年の2月のことでした.

処女作のロボットで,初号機セリカと名付けた

4.如何にしてOHANA-ROBOTになりし乎

 その頃の私は資金が尽き,就職活動をせず,博士課程に進む気も無く,指導教員と話が合わず「研究」ができない,世間体ではどうしようも無い大学院生に成り下がっていました.
 私はこの2月頃にChatGPTというものを知りました.加えて,偶然Twitterで「未踏事業締切まであと3日」という投稿が目に止まり,調査しました.未踏の求める応募者像が,全て自分のことを言っているようでしたが,同時に私には実力不足にも思われました.これに人生を賭けてみることにしました.未踏なんだから,未踏的なことがしたい.私の理解者は未踏にしかいない.置きにいった研究なぞクソ喰らえ.こうして,未踏的なプロジェクト「中山間でも使える! 対話可能な選択的機械除草ロボットの開発」を立ち上げて,指導教員は放っておいてこれを研究の集大成にしようと考えました.振り返ってみると私の提案書は,情熱と覚悟と反骨精神に溢れ,哲学と世界観に満ちたものですが,技術的には穴だらけで良く通ったなとも思いました.
 そして6月.無事採択され,お金の心配が一旦は無くなったので,改良に改良を重ね,貸してもらった畑も開墾し,外で走行実験ができるようになりました.合宿にロボットを持っていったらウケて自信になりましたし,思うように成果が出ずに悩み続けた日々を過ごし,都会人に思想が全く理解されない経験もしてきました.特に,実験用の畑はお世辞にも良い環境ではありませんでした.凹凸が激しく段差も多く,狭い通路や岩などの障害物によってロボットを持ち上げないと通れないような場所までありました.また,何者かが植えたズッキーニが広がりすぎて,大豆の作物列の追従が最後まで完遂できなかったです.圃場の環境整備は非常に重要であることを身を持って知りました.
 12月には,札幌を離れて実家で開発を進めることにしました.うちの婆さんが買っていたシルバーカートに着想を得たり,「分かりやすく新しい」ものが理解されやすくてウケるというアドバイスをいただき,また,結局人は音と光が好きだということがわかりました.スピーカをつけて植物を解説させたり,婆さんを追従したりと,開発した機能を少し変えただけで随分と楽しいロボットになりました.未踏の影響で電子楽器に興味を持ち始め,DJやシンセに手を染めるようにもなりましたが,「畝を跨ぐためにこの形状をしている」→「フィールドデスクとして使えてロボットの上でDJができる」という発想の転換にも繋がりました.ロボットの上で楽器演奏やプログラミングをすることが私のライフスタイルになりました.これは,ロボットが私のライフスタイルによってカスタマイズされた,と考えることもできます.このロボットは,ただ畝を跨いで除草するというものを超えて,OHANA-ROBOTになったのです.
 あとは伝え方の問題です.O先生から,聴衆はLLMが搭載されたスマホ脳云々とアドバイスをいただき,除草以外の映像が重要だと指摘してくださりました.正月明けすぐに親戚の畑でデモをしたり,婆さんが料理やロボットを操縦したりと,色々なシーンを撮りました.加えて絵本を作って思想が伝わるようにしました.オープンソース化してドキュメントやホームページを作成しました.報告会では発表以外の時間の展示が許されたので,良い感じに仕上げていきました.展示用に用意された机は使わずに,ロボットの上で完結させました.展示も発表も,世界観と実装内容が多くの人に伝わって,私の気付かぬ魅力を見出してくれたり,色々と想像を膨らませてくれたり,大いに笑っていただいたり,,,そんな発表でした.
 発表後は絵本を沢山欲してくれたり,一番良かったと言ってもらったり,数万円の焼肉を奢ってもらったりと,嬉しいことが沢山ありました.

OHANA-ROBOTの展示.ライトアップして絵本と映像を展示し,植物解説の音声を流しつつ,シンセをいじる人

 そういえば,一つだけ忘れていることがありました.実は,O先生に野菜を持ってくるよう言われ,婆さんに紅白なますと佃煮を作ってもらっていたのです.常温保存だったので,なますの酢の匂いが強く,感覚過敏の方のいる会場内で出すのを躊躇っていました.それで結局,休憩時間にこっそりO先生一人にだけ紅白なますを食べてもらい,あとは恥ずかしくて片付けてしまいました.残りものは全て,次の日筑波大構内のベンチで一人寂しく食べましたとさ.めでたしめでたし.


ホームページや動画も是非ご覧ください.
https://ryujikoyasu.github.io/ohana-r...

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