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犬聞録第2話/犬との会話

以前書いた犬の霊の続きを書いてみようと思う。

金縛り状態から一撃を与え、無事にスーパーカー消しゴムを取り戻した後から、常にそいつが後ろを付いて回るようになった。
風呂とトイレは苦手なのか扉の前までだが、それ以外はずっと付いて来る。
寝ている時も足元に居るのが分かるほど気配が強いが、悪意が無いのは金縛りに遭わないので明白だ。
特に害はなかったので放っておいたのだが、ある日とんでもない事に気が付いた。

当時住んでいた家は8階建てのマンションで、分譲だったためペットの飼育は自由だった。
3階に住んでいる老夫婦がマルチーズを飼っており、1階のエントランスで遊んでいると犬の散歩に行く夫婦とたまにすれ違う。
その日も友達とエントランスで遊んでいたとき、エレベーターの扉が開き老夫婦が犬と一緒に出てきた。
挨拶をして犬の頭を軽く撫でると、頭の中に低い視線で近所の公園を歩く映像が流れ「早く行こう」といった感情が流れてきた。
一瞬思考が止まったが、その犬がいつも通っている散歩ルートだとすぐに気が付いた。
さすがに少し怖くなって、友達が帰ると一目散で家に戻った。

それから数日後、公園で4~5人とかくれんぼをして遊んでいた。
小学生とは何事もすぐに忘れてしまう年頃である。
先日の犬の事など忘れ、いつもの隠れ場所であるベンチ裏に行くと、ベンチに繋がれた柴犬がいる。
そのベンチの後ろ側は斜面になっていて、横に寝そべると近くに来ない限り見つかることはない。
犬が吠えると場所がバレるので、何気なく犬に「吠えるなよ」と言った。
その瞬間頭の中に「吠えると怒られるから吠えないよ」と感情が流れてくる。
会話とは少し違って感情が言葉に変換されて流れてくる感じ。
試しに続けた。
「何してるの?」
犬はこちらを見つめたまま、頭の中に感情が流れてくる。
「ボスが戻ってくるのを待ってる」
同時に白髪のおじいさんの姿も頭に流れてきた。
しばらく隠れていると頭に流れてきたそのままの姿のおじいさんが近づいてきた。
おじいさんは寝そべる私を見て「もしかしてこいつに何かされたか?」と犬を指し聞いてきた。
「いえ、かくれんぼしてるんです。犬は大人しくていい子ですよ。」
「そうか、良かった。吠え癖があったから心配したよ。」
そう言うと犬のリードを解き、かくれんぼの邪魔をしないように気を使ってか、背をかがめながら行ってしまった。

犬と会話が出来る。
子供ながらにスゲーとなった。
犬の霊の影響は間違いないのだが、自分に新たな能力が芽生えたような気分だった。
ただ当の犬の霊とは会話は出来ない。
何度か「お前の仕業か?」と聞いたことがあるが、何の感情も流れては来なかった。

それからしばらく経ち、クラスに転校生がやってくる。
5年生の新学期が始まってすぐだったと記憶している。
転校生が男子だったと分かった時のクラス中の男子の落胆と、喜び合う女子との温度差が激しかった。
先生に促され教室に入ってきた奴は小太りで満面の笑顔だった。
親の仕事の都合で半年間だけの在学らしい。
たとえ短期間であっても田舎者の小学生は仲間意識が強く、クライメイトになったからには仲間だと認識する。
最初は内気だったそいつも、みんなが積極的に話しかけてくる環境にすぐ打ち解けた。
「やすあき」という名前だったので、その日のうちに「やっちゃん」というあだ名がついた。

やっちゃんの家は学校の東側の坂を上り、右側の路地を入った突き当りにあった。
昔ながらの平屋で庭もそれなりに広く、その奥には手入れされていない畑もある。
家主が元々農家だったようで、庭の右端に農機具などを入れる資材置き場のようなものもあった。
広い庭に加え行き止まりという立地も合わせて、大声も出せる快適な遊び場となった。
やっちゃんのお母さんも小太りで、足が不自由らしく片足を引きながら歩いていた。
それでも遊びに行くと必ずオニギリやカレー、ラーメンを人数分以上に出してくれる優しいおばさんだ。
転校ばかりで、またすぐに転校してしまう我が子を受け入れてくれた、短い友人達に対するお礼だったのだろうと大人になった今思う。
小腹の空いた小学生が一心不乱に食べる光景は今でも忘れられない。
やっちゃんも太るはずである。
で、やっちゃんの家には雑種の犬がいた。
結構大きい犬で、資材置き場の中に置かれた犬小屋に繋がれていた。
資材置き場の奥だったので最初は気が付かなかったが、女子が「あ!犬がいる!」と見つけた。
おばさんが「その子がいるから引っ越し先に庭がいるのよ」と女子に説明していた。
不思議な犬で吠えることも尻尾を振ることもなく、無感情でこちらを眺めていた。
試しに近づいて話しかけてみる。
もちろん周りの友達に変に思われないように。
「お前元気ないな~」
「・・・・」
こちらを見るが無反応だ。
今度は手の匂いを嗅がせながら話しかける。
「具合でも悪いんか?」
甲を上に向けて手を近づける。
すると何の前触れもなく私の手に噛みついた。
本当に噛みついただけで、噛みついたまま微動だにしない。
その瞬間、後ろから凄まじい気配が盛り上がった。
例えるなら東映の映画で最初に流れる波のような感じだ。
その凄まじい気配と同時に「ごめんなさい」という感情が頭に流れ、その子は口から私の手を離した。
女子が叫ぶ中、おばさんも「大丈夫?ごめんね」と大慌てで救急箱を持って走ってくる。
痛みは一切無かったが、噛まれた箇所は貫通しており、空にかざすと小さく空が見えた。
恐怖心も一切無く、怖がらせてごめんなと犬に謝り、おばさんにタクシーで近所の病院へ連れて行ってもらった。

その日の夜、やっちゃんのお父さんとお母さんが菓子折りを持って謝りに来た。
うちの親は「いきなり手を出したこの子が悪いんです」と言い、「ワンちゃんを怒らないでやってください」と伝えていた。
やっちゃんの両親が帰った後、お袋にしこたま怒られたのは言うまでもない。
寝る時に布団の中から足元のそいつに話しかけた。
「俺に噛みついたからお前は怒ったの?」
予想通り何の感情も流れてこない。
ただなんというか、悪い気はしなかった思い出である。

それから数日後、凝りもせずみんなでやっちゃんの家で遊んでいた。
犬小屋の周りにはゲートが付けられていた。
不憫に思っておばさんに聞いた。
「ねえ、犬の名前なんて言うの?」
「チェリーだよ」
「じゃあ、チェリーと散歩に行っていい?」
おばさんは驚いた表情で「駄目よ、また噛むかもしれんし」と首を横に振る。
「いや、大丈夫だと思うよ、ちょっと話してくる」
そう言って犬小屋に走ったが、おばさんもまさか本当に話に行ったとは思ってないだろう。
「チェリー、こんにちは」
私が近づく前から尻尾を振っていたチェリーの感情が流れてくる。
「こんにちは。噛んでごめんなさい。」
「大丈夫だよ。それよりも散歩に行こうか?」
散歩というワードが出た瞬間、やっちゃんとチェリーが見知らぬ川沿いの広場を走り回る光景が広がった。
そして「行きたい」という喜びの感情が流れて来ると同時に、胸を締め付けるような寂しさで心が包まれた。
もしかして散歩に行ってないんじゃ?
そう思った私はおばさんに聞いた。
「ねえ、チェリーの散歩ってあまりしてないの?」
おばさんはバツが悪そうに答える。
「そうなのよ、行かなきゃとは思ってるけど、おばさん足が悪いでしょ?」
「散歩係はあの子なんだけど、日が暮れるのも早いし、越して来たばかりで最近行けてないのよ」

チェリーが最初無感情だったのはストレスが原因だったようだ。
優しい子だから不満を表に出さず、自分の中に押し込めていたのだろう。
それが私が手を差し出した瞬間に弾けたのだろうと思った。
その日を境に、やっちゃんの家で遊ぶ時は最初にみんなでチェリーの散歩に行く事にした。
散歩に行く度に「うれしい、たのしい、大好き」とドリカムの歌のようにやっちゃんに向かって感情を爆発させていた。

夏休みが終わり、やっちゃんは転校していった。
最後の日、ワゴン車に座るやっちゃんの横から顔を出すチェリーに言った。
「元気でな」
「またね」とチェリーも応える。
もう2度と会う事はないのに、みんなで散歩に行く光景とともに、また行くんだという感情が流れてくる。
どうやら犬には引っ越すという概念がないように感じた。
「何があっても出来る限りチェリーの散歩はしてやってな。」
そう伝えるとやっちゃんは大きく頷いた。

数年後、やっちゃんからチェリーが永眠したというハガキが小学校宛に届いた。
私たちは中学生になっていたが、当時の担任がまだ在籍しており元学級委員長に連絡してきた。
みんなで便箋に返事を書いて返信したが、やり取りはその1往復で終わった。
やっちゃんとは社会人になって偶然再会するが特に書くような事も無い。

犬の話はまだまだあるので、次回以降に書いていこうと思う。

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