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犬聞録第4話/犬と猫、そして釣り

今日も犬の話。
ただ今回は釣りがメインで犬との絡みは少ない。

私の趣味のひとつに釣りがある。
ルアーでの大物釣りも楽しいが、私が好むのは地味な鯵のカゴ釣り。
真っ暗な海面にポツンと光る電気ウキを、のんびり眺めるのが至福のひととき。

小学生の時の同級生に「だいちゃん」がいた。
だいちゃんの両親は家の近くにある小さな市場で八百屋さんを営んでいた。
だいちゃんの家は市場とは別なのだが、店の中に居間があるので、だいちゃんと遊ぶ時は八百屋で遊ぶ。
もちろん我が家の食卓に並ぶ野菜はだいちゃんのお店の野菜。
遊びに行くと旬の野菜を土産にくれるが、子供の私にとっては微妙な土産である。
そのだいちゃんのお父さんに釣りの面白さを教えてもらった。

ある日だいちゃんの家で遊んでいるとお父さんが来て言った。
「今夜イカを釣りに行くけど一緒に行くか?」
釣りをした事がない私にとって、魚ではないイカをどうやって釣るんだろう?と興味津々だった。
「行きたいです!」
親の承諾も得ていないのに即答した。
「じゃあ夜の9時過ぎに迎えに行くからね」
「夜の海は寒いからジャンバー着とけよ」
ワクワクしながら家に戻った。

家に帰るとお袋はまだ帰ってきていない。
時間はまだ18時過ぎだったので我が家では当たり前。
テレビを見ていると20時前にお袋が帰ってきた。
手には弁当を持っている。
この弁当はH弁当等と違い居酒屋さんが裏メニューで出す弁当で、全てが完全に手作りで無茶苦茶美味しい。
だいちゃん達とイカを釣りに行く事を伝えると、
「じゃあ急いで食べないと」
そう言って食卓に弁当を広げた。
弁当を食べている間、お袋は季節外れの上着や長ズボンの用意をしてくれる。
釣りに行くとしか伝えていないのに、防寒衣料が出てくる事に大人は物知りだなと思った。

21時を過ぎた時、玄関のチャイムが鳴る。
急いでドアを開けると、だいちゃんとだいちゃんのお父さんがいる。
お袋が挨拶をすると、だいちゃんのお父さんがレジ袋に入った野菜を渡し、お袋がお礼を言う。
面白いやり取りだ。
エレベーターを降り外に出ると、市場の駐車場で見かけるワゴン車が止まっている。
その車に乗り込むと犬がいた。
考えるとだいちゃんの「家」には遊びに行った事が無い。
なので、だいちゃんが犬を飼っている事も知らなかった。
道中、犬がしきりに話しかけてくる。
「誰?誰?あんた誰?」
「だいちゃんの友達だよ、よろしくね」
周りの人が聞いても変に思われないよう、当たり障りのない返事をした。

釣り場である波止場に車を止めると、ドアを開け外に出る。
たまに大きな船が停留するとだいちゃんのお父さんが教えてくれる。
等間隔で並んでいる電灯の脇に釣り座を構えると、犬のリードを電灯に結び、だいちゃんのお父さんは準備を始めた。
周りを見渡すと数人の釣り人がいる。
みんな暇なんだなと子供ながらに思った。
準備をしながらだいちゃんのお父さんが言う。
「イカの餌は鯵が一番。その場で釣った鯵の方が寄ってくるから、まずは鯵を釣るぞ」
竿を伸ばし、仕掛けを付けると私とだいちゃんに手渡す。
だいちゃんが実演しながら釣り方を教えてくれる。
「下のカゴにこの餌を詰めて、下まで落としたらこうやってしゃくって止めるんだよ」
そう説明した直後に「来た来た!」と言ってリールを巻く。
15センチ程度の小鯵が3匹かかっていた。
私も同じように餌を詰める。
はじめての撒き餌の臭いに戸惑いながらもカゴに餌を詰める。
ベールを返し、海中に糸を送り出す。
ぼーっとしていると、だいちゃんが言う。
「ほら、糸は張っとかないと駄目だよ、少し巻いて」
言われる通りに糸を張り、竿をしゃくっていると、手にビビビッと振動が来る。
そのままリールを巻くと鯵が2匹かかっていた。
たまに大きな鯵もかかるので、それはクーラーボックスに入れる。
小鯵をイカ釣り用の仕掛けに生きたまま付けて軽くキャストする。
電気ウキの光がとても綺麗に浮かぶ。
「あとは待つだけだ」
そう言うとだいちゃんのお父さんはタバコに火を点けた。
私とだいちゃんは鯵が途切れないので、そのままサビキ釣りを続行する。
「たくさん釣っても食べ切れないから、小さいのは逃がしてやれよ」
だいちゃんのお父さんが笑いながら話しかける。

「うお~すげ~」
叫ぶだいちゃんを見ると、サビキ針全てに鯵がかかっている。
鯉のぼりというやつである。
だいちゃんと一緒に鯵を針から外していると急に視界に影が入る。
「いや、影じゃない」
そう思った瞬間、竿が動き出す。
慌てて竿を握ると竿が引っ張られる。
何かと思ったら黒い猫だ。
猫が釣りあげた鯵を咥えて逃げようとしていたのである。
咥えていた鯵は小さかったので猫にやってもいいが、竿がしなるばかりで猫が離さない。
鰤でもかかったのかというほど竿がしなる。
よく見るとサビキの針に猫の前足が引っかかっている。
だいちゃんが針を外してやろうと近付くが、猫は威嚇しながら後ずさりする。
猫は生死がかかっていると思っているため物凄い力で竿を引っ張る。
私の力も限界になり、「もう手に力が入らない」と思うと同時に、例の気配が後ろから出てきた。
猫が急に動きを止める。
私の後ろをじっと見つめたまま、全く動かなくなった。
だいちゃんのお父さんが猫の動向を確認しながら、ゆっくりと近付きゆっくりと猫の足から針を外す。
その間も猫は私の後ろを見つめたままだった。
私の後ろの気配がフッと消えた。
猫は鯵を咥えたまま視線を私に移す。
「大丈夫か?鯵ならやるから慌てるな」
だいちゃんのお父さんが猫に話しかけるが、猫はそのままゆっくりと歩いて行ってしまった。
気が付くとだいちゃんの犬が起き上がってこちらを見ている。
「びっくりしたな~」
当たり障りのない言葉で犬にしゃべりかける。
気配の事を聞かれるかと思ったが、流れてきたイメージは鯵の骨が混じった切り身。
「早く食べたい。楽しみ」
ウキウキしながら尻尾を振っている。
「早く帰ろうよ」とうるさい。
だいちゃんに「この犬、鯵が好きなの?」と聞くと、刺身を作る時に出る脇骨をやっているとの事。
犬が生魚を食べるとは意外だった。
そしてこの子との絡みはこれで終わった。

猫の騒動からしばらくすると、イカ仕掛けのウキがす~っと沈んだ。
「お、来たかな?」
だいちゃんのお父さんがニコニコしながら竿を握る。
沈んだウキがゆっくりと動いたかと思ったら、沖に向かって走り出した。
「よし!」
だいちゃんのお父さんが竿を立てる。
竿が先ほどの猫くらいにしなる。
イカとのやり取りをしていると、水面に透明な物体が浮上してきた。
だいちゃんがタモを出し、お父さんがその中にイカを入れる。
大きなイカでだいちゃんではタモが上がらず、だいちゃんのお父さんが上げた。
タモを地面に置いたと同時にイカが墨を吐く。
「あぶね~」
だいちゃんが慌てて避ける。
だいちゃんのお父さんがイカの目元をチョップすると、イカの色が一気に真っ白に変わった。
「こうやって〆るんだよ」
ビニール袋にイカを入れながら教えてくれた。
「よし、2杯目に挑戦だ」
そう言って餌用にキープしている鯵を再度仕掛けに付ける。

その夜の釣果はイカが5杯、大きな鯵が10匹くらいで小鯵が80匹くらい。
家に着くと時間は0時を回っていた。
「釣れました?」
出迎えたお袋が差し出すボールに、だいちゃんのお父さんがイカ2杯と鯵を入れる。
「立派なイカと鯵じゃないですか。さすがですね」
お袋が礼を言うと、だいちゃんのお父さんは嬉しそうに笑っていた。

だいちゃんのお父さんは数年前に他界した。
私はだいちゃんのお父さんに連れてきてもらった波止場で今も夜釣りをしている。
対象魚はイカでなく大鰺、仕掛けはサビキではなくカゴ釣りになった。
電気ウキも豆電球からLEDに代わり、あの日の夜の光よりも一層明るく輝いている。

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