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読み書きのれんしゅう

#ソーシャルイシュー会議
https://twitter.com/ryo_masuzawa/status/1247696215426228224
昨日このイベントでメディアリテラシーについてクロストークを聞いたり、議論したりと楽しい時間を過ごさせて頂きました。

振り返ると、自分のメディアリテラシーって高くないなと。


ファクトと意見を区別した上で情報を読んだり、それを元に自分の意見を発信していくことでしかメディアリテラシー は向上しないと思いました。


僕は誰か

関西の私大→1年半ほど社会人→2年半ほど浪人→'19 国立医学部入学
今は2年生。
なぜ医学部を目指そうと思った理由は、たくさんある中で一つをあげると小学校の卒業文集で「医者になりたい」と書いたから。

また今年の夏にトビタテ留学Japanという文科省の奨学生に選ばれ
イギリスのUCLに公衆衛生の研究留学する予定でしたが、コロナの影響でいったんNG。

さてさて、どうなることやら

僕の留学内容である公衆衛生は英語でいうと"Public Health"
医学の中でも個人ではなく、社会全体の健康問題を扱う学問です。コロナ対策も広義では公衆衛生に含まれてくるかなと。

UCLはじめイギリスの大学は「〇〇が健康に悪い」という社会問題を提示するだけでなく、それを解決する実行力も持っていると感じています。
そこで研究だけではなく、彼らがどう社会を変えようとしているのかを勉強します。行けるかわかんないけど。。


コロナ問題でわかった僕のメディアリテラシーの低さ

自己紹介が長くなりましたが、コロナ情報が錯綜している中ニュースがよくわかんなくなりました。
クルーズ船、布マスク、PCR検査するしない論争など。

ヒーローがしばらく時が経つと悪者になったり、優秀な人が夜を徹して休みもなく、一生懸命考えた施策が袋叩きにあったり、この短期間で何度もあったと思います。

そんな中、僕はわかりやすいニュースを読んでただけでした。

でも、それを続けていると
政府・専門家(よくテレビにいる専門家芸人ではない)・研究機関の情報の何が正直よくわからなくなる。

もちろん専門家の方のとても大切な情報を無料で公開して頂いたことはとても助かりました。

わからなくなった理由として
・朝令暮改が日常茶飯事
・ファクトと意見がごっちゃごっちゃ
・恣意的に切り取られている
・間違ったデータ、PDFのデータ(笑)
・理論を読み込む上で必要な数学的知識が僕にない
など色々あると思いますが、結局は僕のメディアリテラシーが低いのが理由かなと。


メディアリテラシー が低いのは構造のせい?

以下は僕の意見です。
そもそも、僕がメディアリテラシーが低いのは、SNSが変えてしまった情報送受信の構造に受け手である僕や送り手であるメディアが対応できなかったことが原因の一つでもあると思います。

ひと昔前の構造主義とマクルーハンのメディア論を参考にすると

SNSの登場で情報の受け方がガラッと変わり、それに合わせるように送り手も変化したと思います。SNSの閲覧に最適化したスマホが同時に発達したことも加速させたのかと

受け手はSNSというフィルターを通すことで情報をキュレーションできるようになる。
そしてその構造に対応するように、読んでもらえるように送り手は要約する、キャッチーなニュースにするなどで、紙媒体ではなくWeb媒体にあったファストニュースが席巻し始めたように思います。

おかげで消化しやすい情報だけを摂取できるようになりました。

しかし、コロナのように日々状況が変化し、誰も単純化できなく、自分で真偽を判断しなければならない情報を前にして、ファストニュースに慣れた僕は情報の消化不良を起こしたように感じました。

知らずに知的メタボになっていたのだと思います。

そんな中、Newpeaceの増沢さんが上記のイベントを企画しているのを見つけ、参加させて頂きました。


知的メタボ解消のため、文章を読む書く

冒頭でも書きましたが、ファクトと意見を区別した上で情報を読み、それを元に自分の意見を発信していくことでしかメディアリテラシー は向上しないと思います。
そこを怠ると消化不良を起こして知的メタボになる。

ヒントとなったのは、登壇者の瀬尾さん(https://slownews.com/)の言葉

「アメリカのニュースではメディアでファクト(通信者)と意見(新聞社)が
分かれている。日本は両方新聞社やっていることが多い。」

たしかに日本のメディアはファクトと意見の境界が曖昧。
メディアリテラシーを高める方法は人によって違いますが、少なくともファクトと意見を分けることで情報を消化しやすくなるのではと思います。

また、イベントの引用

「アメリカのニュースはスポーツと政治がよく読まれる。
 日本はスポーツと芸能。」

スポーツ・芸能はファクトだけで完結できるコンテンツであるが、政治は意見も必要。
残念ながら、政治などを含めて日本って意見を言いづらい空気。
一方、欧米は自分の意見をしっかり持っている気がします。教育、国民性、権利を勝ち取ってきた歴史的背景か、どの要因がわからないけど。
それが正しいかはまた別の話ですが、言論の多様性が日本に比べてあるのかなと

内省、思考の整理、そして多様性のためにも自分の意見を書いて行こうと思います。


ここ最近、ネットでいろんな人と話せて楽しい。

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