令和2年(わ)第1282号 京都アニメーション事件のまとめ(公判1回目~5回目)
2019年7月18日に発生した事件の裁判が、2023年9月5日に始まった。
これから最大32回ほどの裁判が開かれて、2024年1月25日に1審での判決が出るものと思われる。
事件の内容などについては省く。
第1回公判
報道によると、青葉被告は起訴内容について認めている。
特に謝罪の弁などはなく
「こんなにたくさんの人が亡くなると思っておらず、今はやり過ぎたと思っています」
と言ったようだ。
弁護側は
心神喪失、心神耗弱を理由に無罪。もしくは減刑である。
このように主張。
検察側は
責任能力が完全に残っていたと主張。
妄想などではなく、筋違いの恨みによる復讐だ。と主張する。
検察の求刑内容については不明。
裁判の争点は、犯行当時に責任能力があったか無かったかである。
検察は基本的に負ける戦はしない。
つまり、有罪になるものしか起訴しないので、弁護側の主張は破棄されると考えられる。
また、当時の捜査から以下の事が分かっている。
裁判の結果はどうなるか分からないが、殺意を持って突撃していることが伺える。
その結果、36名が犠牲になっているので、永山基準からしても死刑判決は避けられないと考えられるだろう。
第2回公判
第2回は終日、証拠調べを行ったようです。
つまり、争点である「責任能力」に関する証拠調べ。
青葉被告が京都アニメーションに関心を持った要因は、涼宮ハルヒの憂鬱。
影響をも受けて小説を書くようになって、京都アニメーションの公募に2度応募したが、落選。
その後に投稿サイトへ投稿したが、読まれなかったためにサイトを退会した。
また証拠の1つとして、逮捕後の警察官との会話も流された。
「パクられた・・・小説」
昼頃に提出されたのは、事件前に青葉被告の元に通っていた訪問看護や介護の担当者による面会記録。
自立したいと話していた事や、「つきまとっているんじゃないよ」と叫び、包丁を突き付けた事もあったようだ。
被告の母からの供述調書も提出された。
父からの虐待があった。などの内容が盛り込まれていたようだ。
参考メディア
次回の公判は9月7日。
第3回では被告人質問が始まる予定です。
第3回公判
第3回公判では青葉被告に対する被告人質問が行われた。
弁護人「事件直後の音声を聞きましたよね」
被告「はい」
弁護人「『お前ら』とは誰ですか」
被告「警察の公安部」
弁護人「どうして公安だと」
被告「警察(の現場到着)が早かったので」
弁護人「『何度も言ってるだろ』とも言っているが」
被告「2ちゃんねるでも伝えてきたので」
弁護人「現在の体の状況を確認します。自分で立って歩けますか」
被告「それはできないと思います」
弁護人「汗とかの機能は」
被告「汗腺をほとんど取っ払ってしまっているので、頭と胸以外は汗はかかないです」
弁護人「体温が高くなることが自分でも分かりますか」
被告「ちょっと分かりにくいですが、感じるときもあります」
《生い立ちの話に移る。埼玉・浦和出身の被告は9歳のときに両親が離婚。兄と妹とともに当時トラック運転手の父親に引き取られた》
弁護人「離婚前後で分けて聞きます。(離婚前の)家計の状況は」
被告「普通でした。中の下くらい」
《家族でディズニーランドへ行ったり、兄とゲームで遊んだりした思い出が語られる》
弁護人「離婚後の生活を聞きます。お父さんはトラック運転手の仕事をしていましたか」
被告「辞めて無職でした。そのころから糖尿病になった」
弁護人「生活保護を受けたのは」
被告「中1のころ。食べていくにも困ったときもありました」
弁護人「具体的には」
被告「50円の冷やし中華を買うために千円持ってスーパーへ行った。そしたら、47円のカップラーメンを見つけた。父に相談したら『50円だと20個だが、47円だと21個買える』と。1個増えたのを家族で喜んで食べた」
弁護人「離婚後、お父さんに変化は」
被告「正座させられたり、ほうきでたたかれたり。離婚前はなかった」
弁護人「中学2年以降、学校に行かなくなった」
被告「全く行かなくなった」
弁護人「理由は」
被告「何となく、ずるずると」
《被告はその後、フリースクールを経て定時制高校に進学する》
弁護人「中学時代にアルバイトをしていた」
被告「中2から新聞配達」
弁護人「年齢にしては早い」
被告「金がなかった。そんなことは言ってられなかった」
弁護人「期間は」
被告「2カ月ぐらい。3回ぐらい寝坊してもうダメだと」
《弁護側は冒頭陳述で中学時代、被告は人のいない道を選んで通学しており、理由は「人がいるとその人が話しかけたり、寄ってきたりすることがあったから」と説明していた》
弁護人「人が寄ってくるとは」
被告「人混みの中だと、寄ってきて何かを言おうとしているのが感じられた」
弁護人「悪いこと、攻撃してくる感じ」
被告「そうなります。主要道路を避け、遠回りして通学していた」
弁護人「医者や保健の先生などに相談は」
被告「ない」
弁護人「どれぐらい続いた」
被告「(定時制)高校の初期ぐらい。自然になくなっていった」
《36人が死亡、32人が重軽傷を負った令和元年の京都アニメーション放火殺人事件で、7日から始まった青葉真司被告(45)=殺人罪などで起訴=の被告人質問。弁護人の生い立ちに関する質問は続く。一時無職だった父親は、タクシー運転手となり生活は安定。生活保護の受給もなくなった。被告は、埼玉県庁で文書を仕分けする仕事に就いた。やりがいを感じ、同僚との交友関係も深めていた》
弁護人「県庁での仕事はいつまで」
被告「定時制高校を卒業するまで。東京の専門学校に行くので辞めた」
《一時はガソリンスタンドの仕事も掛け持ちしていたが、同時期に辞めている》
弁護人「もし(地元の)浦和に住み続けていたら、仕事を続けても良かった」
被告「あそこだったら続けても良かった」
弁護人「月の収入は」
被告「県庁で10万円弱、ガソリンスタンドで7万円。父に言われて毎月3万円、家に入れていた」
弁護人「定時制高校は皆勤」
被告「間違いない」
弁護人「勉強はできていた」
被告「自信はあった」
弁護人「友人に影響されたことは」
被告「あるゲームが面白いと勧められた。(このゲームの後続作品を京アニがアニメ化したと説明し)それがなかったら、『ハルヒ』も読んでいないので、小説も書かなかったと思う」
《6日の証拠調べでは、京アニがアニメ化した「涼宮(すずみや)ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」の原作小説を読んで感銘を受け、小説執筆を始めたことが明らかになっている》
《定時制高校時代は音楽にも興味を持ち、ギターなどの楽器を購入。バイクも手に入れた。東京の専門学校に進学し、ゲームの音楽を作ることを目指してコンピューターミュージックを学んだ被告。新聞配達をしながら通っていたが、3カ月~半年ほどで退学した》
《結局1年ほどで実家に戻った被告。コンビニで働きながら埼玉県春日部市で1人暮らしを始めたが、その数カ月後に父親が死亡。被告が21歳のときだった》
弁護人「父親の体調は」
被告「事故を起こした影響で、ベッドから動けなくなり、衰弱するように息をひきとった」
弁護人「死因は」
被告「実は聞いていません」
弁護人「葬式に行かなかったのはなぜ」
被告「あれだけけんかした仲で、最後の最後にお前の葬式に絶対に出ないと通告していた」
《コンビニを辞め無職に。仕事がない期間は半年ほど続き、生活保護を受給しようとしたが役所で断られたという》
被告「電気もガスも止められ、家賃も払えなかった。バケツを持って近所の公園に行き、洗濯をした。食事をとれず、スーパーの配送車から盗んだ記憶もある」
《平成18年、28歳だった被告は下着の窃盗や女性への暴行容疑で逮捕される》
弁護人「女性が住んでいるアパートのベランダで下着を盗(と)り、部屋に入って女性の口をふさいだ」
被告「はい。下着泥棒はそこそこやっていたが、女性を襲おうとしたのはその1件だけ」
弁護人「下着泥棒を何件もやったのはなぜ」
被告「性欲に困っていたというのがある」
弁護人「一番幻覚がひどかったと」
被告「人には会いたくなくなるし、仕事をするにしても体とか重いし、コンビニの時にはパニック障害でいきなり動悸(どうき)がして。2分ぐらい動悸がしている時期もあった」
弁護人「その延長線上に事件があった」
被告「そうです」
《母親と妹が面会にきたが、全て断っていた》
被告「おやじが死んでから何にも頼らずに生きていこうと思っていたつもりだった。その気持ちが一番強い時期だった」
弁護人「裁判にはどういう態度で」
被告「とにかくもう全部嫌になった」
《執行猶予付きの判決となった被告。身柄拘束を解かれると、母親と再婚相手の夫、兄と生活する。しかし、半年ほどで家を出る》
弁護人「家を出た理由は」
被告「(母親の夫と)折り合いが悪かった」
弁護人「母親や兄から精神科の受診を勧められたことは」
被告「中学2年のころにも幻覚的な症状があったが、兄は『根性で治せ』といっていたので、根性で治すと思っていた。『いかない』と突っぱねた」
《家を出て派遣社員として3カ所の職場で働いたが長続きしなかった。この日の被告人質問は終了。続きは11日に行われる》
弁護側は心神喪失による無罪、もしくは減刑を求めている。
そのための被告人質問が行われた。
続きは11日(月曜日)に行われる。
第5回は13日、第6回は14日、第7回は19日に行われる予定だ。
第4回公判
第4回も弁護人からの被告人質問です。
小説を書き始めた経緯や、京都アニメーションに関心を持った経緯について青葉被告の口から語られた。
京都アニメーションの小説コンクールに応募したが、落選。
その時は選ばれて、物書きで食おうと考えていたようだ。
またインターネット掲示板では女性の監督(自称?妄想?)とやり取りをしていて、その中で口論となる。
一時期は彼女に対して恋愛感情のようなものがあったようだ。
細かい話は分からないが、掲示板で書き込みをしているうちに犯罪歴が漏れていると解釈し、もう這い上がれないと考えこみ、小説を書く気力を失ったようだ。
自棄になって犯罪を犯し、刑務所に入る事になる。
そこで闇の人物を1度見たそうだ。
闇の人物とは政財界にパイプを持つフィクサーのようなものだ、と主張した。
弁護人は、このようにして当該事件よりも前から妄想が酷い事を裁判の中で明らかにした。
参考報道記事など
弁護人からの質問はそろそろ終わる予定である。
その後、検察からの被告人質問が行われる。
第5回公判
第5回公判も弁護側の被告人質問が行われた。
青葉被告は、事件1ヶ月前に自宅のある埼玉県で「無差別殺傷計画」を実行しようとしていた。
この計画については検察側が第1回公判で明らかにしていた。
包丁を6本持って大宮駅に向かったが、断念。
断念した理由は「京都アニメーションに対するメッセージ性が無い」というもの。
この犯行の動機はもちろん京都アニメーションに応募した小説が落選したこと。そして一部のシーンに小説のアイディアが盗用された事である。
落選を知った時は、がっかりして裏切られた気持ちだったと言う。
落選の理由までは発表されないので、青葉被告は悪いように捉え、選考に闇の人物が関わっていたんじゃないか、と妄想していた。
小説をサイトにアップしたが、PV数は0だった。
この出来事で、小説を書く気にならなくなった。
京都アニメーションとも関わりたくないと思った。そうしてネタ帳を燃やしたようだ。
青葉被告の中で盗用が濃厚になっていくのが、2018年放送のツルネ1期放送だった。
落選した事実も含めて、確信っぽくなっていた。
青葉被告は追いかけ回され、監視されている感覚があったらしい。
色々と考え、大宮駅で事件を起こそうとしたが、人が少ないと感じてやめた。
いわゆる闇の人物による手回しで公安による監視や、京都アニメーションの落選が起こったんじゃないかと思っていたようだ。
参考記事
以下、産経より引用
弁護人「放火事件を起こすことを決めたのは京都に行く前か、後か」
被告「えーと、京都に行く前になります」
《青葉被告は事件3日前の元年7月15日に自宅のあったさいたま市から新幹線で京都入りした》
弁護人「決めた内容はガソリンをまいて火をつけるということ」
被告「そうなります」
弁護人「(放火1カ月前に実行しようとした、大宮駅での無差別殺傷事件では)メッセージ性があるようにしたと。誰かに対するメッセージ」
被告「(闇の人物で)ナンバー2と呼ばれる人」
弁護人「どういうメッセージを」
被告「付け狙ったりすることはやめてくれというようなメッセージ性」
弁護人「自分に対して関わることはやめてほしいと」
被告「そうなります」
弁護人「なぜ京アニへの放火がナンバー2へのメッセージになるのか」
被告「(京アニ大賞の落選を)手回ししたのはナンバー2と考えています。そういう関連性から」
弁護人「最後のきっかけは」
被告「原稿を落とされたりパクられたり、そういったことから根に持つことが多かった。最後に狙いたいというので、京アニがあがったというのが本音」
弁護人「小説の落選は最終的なきっかけとなったのか」
被告「かなり大きなきっかけ、転機になったのは間違いない」
弁護人「平成30年11月の『ツルネ』を見たのが最後のきっかけ」
被告「それはそうなります」
《青葉被告が自身の小説の盗用だと主張する京アニ作品の一つが、「ツルネ―風舞高校弓道部―」。登場人物が割り引きの肉を買うシーンについて、青葉被告の小説に割り引きの総菜を買うシーンがあるため、「パクられた」と訴えている》
《新幹線の車内で自身の人生を振り返っていたという被告。京都に着くと犯行準備を本格化させる》
弁護人「京都に着いて何を」
被告「まず下見をしようと」
弁護人「何のための」
被告「やはり火を付けるための」
弁護人「その時考えていた火の付け方は」
被告「やはりガソリンをまくこと」
弁護人「京都の地理には詳しくない。駅員に道を尋ねなかったのか」
被告「やろうとしていることが良からぬことなので、人との接触は最小限にしようと考えていた」
《この日は京都駅近くのホテルで宿泊。翌日、駅近くのインターネットカフェで第1スタジオやホームセンターの場所を調べる》
弁護人「第1スタジオは見つかった」
被告「見つかった。(第1スタジオに近い)六地蔵駅まで向かった。川の堤防から見下ろすと第1スタジオが小さく見えるので、目星を付けてスタジオに向かった記憶があります」
《ホームセンターの場所も確認した上で、ホテルに戻る》
弁護人「寝れたか」
被告「いえ。隣の部屋の物音で」
弁護人「ほかに理由は」
被告「やはり、良からぬことをするので、熟睡できるほど神経が太くないので寝られなかった」
《事件前日。ホテルを出た被告はホームセンターへ向かい、事件で使用するガソリンの携行缶や着火剤、台車などを購入する》
弁護人「台車はなぜ」
被告「もう電車は使えないだろうと。ガソリンの携行缶に何も入っていないとはいえ、危険物に見えるものを持って電車には乗れないだろうと判断した」
《所持金が減り、事件前日は第1スタジオ近くの公園で野宿する》
弁護人「公園で何を」
被告「ぼーっとしていた。直近10年間についていろいろ考えていた」
弁護人「寝れた」
被告「寝ておりません」
《平成以降の殺人事件で最悪の犠牲者が出た元年7月18日を迎える。ガソリンを購入し、第1スタジオへ向かう》
弁護人「ガソリンスタンドの店員とのやりとりは」
被告「そこまで細かいことは覚えていない」
弁護人「スタジオ近くに着いて何を」
被告「ガソリン携行缶を乗せた台車を置いて考えた」
弁護人「何を」
被告「やるというのが好ましいことではないので。(平成20年の秋葉原無差別殺傷事件の元死刑囚も)事件を起こす前に考えたようです。自分もそういうものを実行するかどうかについては考えました。郵便局をクビになり、刑務所に入り、小説をたたき落とされたり、パクられたりした。振り返って考えたときに、どうしても許せなかったのが京都アニメーションだった」
《第1スタジオの入り口に侵入可能か下見した上で、ガソリンを持って現場に入る》
被告「(第1スタジオの)ドアを開けて入り、それでガソリンをまいた記憶がある」
弁護人「ガソリンをまくまでに見えた物は」
被告「1人、入り口近くで作画をしている人。奥のほうで女性2人が『何?何?』と言っていた」
弁護人「ほかには」
被告「それ以外は覚えていません」
弁護人「人ではなく物は」
被告「物に関しては覚えていない」
弁護人「ガソリンはどういうふうにまいた」
被告「右手で振り上げるような感じで」
《実際に右手を上げ下げしながら答える》
弁護人「その後は」
被告「すぐに火を付けた記憶があります」
弁護人「直後の様子は」
被告「周りの人も『何だ何だ』という感じだった。入ってから火を付けるまで30秒くらいかかった。周りの人も何をしているかわからないし、自分もすぐに出た」
弁護人「火を付けた後は」
被告「即座に逃げようと、すぐ外に出た。自分にも火が付いていた。地面に寝転がって消した記憶があります。救急車に乗せられ、病院で麻酔を打たれたのが最後の記憶」
弁護人「(初公判の罪状認否で)『今はやり過ぎたと思っています』と話したが、当時はどう思っていた」
被告「パクったり、そういうのをやめさせるためには事務所というか、スタジオ一帯を潰さなきゃいけないと思った」
《青葉被告は罪状認否で起訴内容を認めつつ、「事件当時はこうするしかないと思い事件を起こしたが、こんなにたくさんの人が亡くなるとは思っていなかった。やり過ぎたと思っています」と述べていた》
弁護人「確認だが今回の事件は、(闇の人物)ナンバー2へのメッセージと京アニも許せなかった」
被告「そうなります」
以上が、第5回公判の弁護人からの被告人質問だ。
次回の第6回公判からは検察側からの被告人質問なので、ここで1度区切る事にする。
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