令和2年(わ)第1282号 京都アニメーション事件のまとめ(公判第16回~第1審判決)


第16回公判

2023年11月6日に16回公判が行われた。
この会は裁判の最大の争点である「責任能力」をめぐって中間論告と弁論が行われた。

検察側は、完全責任能力を主張。
弁護側は、責任能力が問えるとはいえないと主張。

現場周辺で約10分間、逡巡したこと。
公判の中で自ら良心の呵責があったと証言したこと。
そして鑑定した医師2人とも犯罪だと理解できていたこと。行為が犯罪だと理解し、思いとどまることができたこと。

これらを検察側が主張した。

以上のことから
妄想の影響はなく、自らの判断で犯行が行われた・・・と結論付けた。

一方で弁護側は、重度の妄想性障害だったと主張した。

被告は10年以上も妄想の世界で生きており、犯行を悪いと認識しても思いとどまる力が無かった
などと反論した。
また、妄想世界での体験や怒りの影響で、善悪の区別や行動を制御する能力が失われていたと訴えた。

和田医師の評価は恣意的であること。
妄想の影響があるのに、全て「パーソナリティー」としている事に大きな問題があると主張した。

※パーソナリティーとは、個人の性格や個性、人格程度に収まっているものであって、重度なものではないという事

京都アニメーションの女性監督と恋愛関係にあることや
ナンバー2に目を付けられているといった妄想は、一連となっている。
これらの事から、妄想が現実行動に影響を及ぼしたことは明らかだと主張した。

11月8日の公判は取り消しとなり、次回は11月27日を予定している。

参考記事

筆者のつぶやき

弁護人は被告人の弁護が仕事とはいえ、医師の判断や評価を否定するなら、それなりの証拠事実をもってして主張するべきじゃないかと考える。

第3の医師の診断や評価はあったのだろうか。

ないとすると、それこそ「あなたの感想じゃありませんか?」みたいな話になる。

弁護人もそこまで抜けてるワケではないと思うので、感想で済む弁論ではないと思うが、自分が裁判員だとすると
”たかが”弁護士による主張には、耳を傾けるほどの価値は無いと思う。

第17回公判

第17回の公判が11月27日に行われた。

ここからは量刑を巡る審理が始まる。

検察側は7つのポイントを指摘

  • 筋違いの恨みによる類例なき凄惨な大量放火殺人事件

  • 被害結果の重大性

  • 犯行の計画性や態様の悪質性

  • 動機

  • 遺族や被害者の処罰感情

  • 本件の及ぼした社会的影響

  • 被告に有利に斟酌すべき事情があるか否か

斟酌(しんしゃく)とは
ようは特段の事情により情状酌量の余地があるかどうか、の話。

弁護側は「なぜ死刑が認められるのか」と主張した。
人を殺す事は悪い事なのに、死刑が廃止されていない。
なぜ死刑が正当化されるのか、それを考えてほしい。などと主張した。


弁護人が被告に対して「事件に思う事は」
「あまりにも浅はかだった。後悔が山ほど残る事件になった」
と答えた。

検察が尋問する。後悔の内容について訊く。
「ほかに方法がなかったのかと」
「正直に言えば、精神的苦痛を伴うものなので、現実として受け止められず、逃げている気持ちはある」

このように被告人が答えた。

検察官が被害の人数や事件年月日を訊いた。

死亡者数36名 被害者34名
1人1人がどのような亡くなり方をしたか、記憶に残っていることは無い。
事件は令和元年、7月19日と言った。

実際は7月18日

このように事件について後悔と苦悩を語っていたが、遺族や代理人の質問には一転して回答を留保した。

次回は11月29日に予定されている。

参考記事

筆者のつぶやき

弁護側は苦し紛れにパヨク弁護士のような事を言った。
死刑があるのはおかしいというなら、国会議員になって法律を改正すればよい。
死刑制度がある以上は、死刑が下るのは仕方がない。
そこまでの量刑になるか否かの審議に、政治的な主張を入れるのは間違いである。

第18回公判

前回に引き続き、量刑の審議。
被害者遺族らによる調書の読み上げが行われた。

内容については、ここでは触れない。

特に言う事はない。

次回は11月30日に第19回公判が行われる。

第19回公判

11月30日に第19回公判が行われた。

前回の続きで、被害者遺族による意見陳述が行われた。

唐突に弁護側は死刑制度の是非について言及したが、この点について遺族から反論があった。

当該事件において冤罪はなく、そのものの制度については別で争うべき案件であり、弁護側の訴えは全く意味のないことである。

このような意見があった。

その他の意見陳述は産経の記事をご覧いただきたい。

次回の第20回公判は予定通り、12月4日に行われる。

第20回公判

前回に引き続き、処罰感情の立証が続いた。

事件で負傷した男性社員は、被告の名前は一度も社内で出た事が無い、と述べて盗作の事実を否定した。

負傷者の意見陳述も行われた。

詳しい内容は産経の記事などを参照されたし。

次回の第21回公判は12月6日に行われる。

第21回公判

再び被告人質問が行われた。

検察官に事件の受け止めを改めて問われた被告は、初めて明確な謝罪の言葉を述べた。

あまりにも重大な被害結果に目を背けてしまった事もあると語った。

拘置されている間も、まともに動けない被告は、下の世話についても頼っている。
そんな環境下に置かれて、周りの人に感謝する気持ちを持つようになった。

また被害者や被害者遺族からの証言も聞き、深い配慮が欠けていたと語った。

被告は「やはり申し訳ありませんでした。という形にしかなりえないと思います」

と検察官からの質問に答えた。

また「やり過ぎた」とも言ったが、こんな事も言った。

「らせん階段があるとは知らなかったので、構造上の問題にするわけではないが、それによって火が早く回り過ぎて、かなり多くの人が亡くなったというのは、この所為にするわけではないと念を押しておきますが、何かそういう部分で、ツキや運がなかった部分があったと思います」


代理人から「盗作に対して放火は釣り合っているのか」と問われた際には「釣り合わないと思います」と言った。

しかし京都アニメーションが悪い・・・という気持ちは消えていない。

一方で、自身の罪は極刑で償うべきだと被告は語った。

参考記事

12月7日には論告求刑公判が開かれて、結審する予定である。

予定では残り2回の公判が準備されているが、7日で終了し、1月25日に判決が出るものと思われる。

筆者のつぶやき

謝罪をしていて、自身の犯行について後悔の言葉を言っている。

しかしながら犯行の動機や、行為の残虐性からして、重い処罰が下ると思われる。

産経の詳報を読んだ限りだが、事件当時の被告は完全責任能力が無いとは言えないと感じる。

なので責任能力の欠如などによる減刑は起こらない、と考える。

あくまでも言葉だけで感じた、個人的な印象。

訴因については建造物侵入・現住建造物等放火・殺人・殺人未遂・銃砲刀剣類所持等取締法違反。

最高法定刑は死刑となっている。

だが、無期懲役になる可能性もある。
この事件は世間の注目が大きい。それによって判決が変わる事は、あってはならない。

第22回公判

12月7日、最後の公判が行われた。

検察からの論告求刑に続き、弁護側が最終弁論を行った。

弁護側は精神障害により刑事責任能力が無かった。
もしくは、あったとしても限定的として死刑の回避を求めた。

裁判長から最後に意見が無いか問われた被告は「被告人質問で答える事をちゃんとしてきたので、付け加えることは無い」と述べた。

弁護側は

  • 死刑は残虐な処罰にあたること

  • 事件当時は治療せず服薬もなしで責任能力が減退していた

  • 被害が想定外に多いのは構造によるもの

以上を理由に量刑に考慮するべきだとした。

検察側は「ガソリンの放火を想定した訓練などはなく、どのような対策も無力。弁護側の主張は犯行の責任を理不尽にも、被害者側に転嫁するものだ」と批判した。

7日で結審。判決は1月25日に行われる予定だ。

参考記事

筆者のつぶやき

詳報などを読んだ限りではあるが、刑事責任能力はあると考える。

なのであとは量刑。

最高刑は死刑だが、無期懲役もありえるだろう。

どうなるかは分からないが、死刑になる可能性の方が高いと思っている。

1月25日の判決を待とう。

判決

2024年1月25日、予定通り判決が行われた。

京都地裁での予定は10時30分だったが、手続きに不備があった事により11時に延長。

また、主文後回しとなり昼を挟み、13時45分頃に主文。
被告人に対して、死刑判決が下った。

被告人代理人弁護士は26日付けで、大阪高裁へ控訴の手続きをした。

控訴審が開かれる日程については不明。


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