ryu hamaguchi

隠れキリシタンの末裔。聖画家。 特に殉教者の人物像、背景や生き様の絵を描くための物語を…

ryu hamaguchi

隠れキリシタンの末裔。聖画家。 特に殉教者の人物像、背景や生き様の絵を描くための物語を作成しています。ある程度資料に基づいていますが小説としています。乱筆乱文、誤字脱字はご愛敬、温かい目で読んでいただけると幸甚です。

最近の記事

シモン清田卜斎と同志の小倉殉教

 1549年、天文18年8月15日アジア布教を志したフランシスコ・ザビエル一行は日本に初めて上陸した。ザビエルは初め鹿児島に上陸し、平戸、山口、大分に出向き宣教活動を行った。日本を去るザビエルは蒔いた種が絶えないようにコスメ・デ・トーレス神父やルイス・デ・アルメイダ神父に任せ、多くのキリシタンやキリシタン大名が生まれることとなった。豊臣秀吉から毛利姓を改めるように命じられた頃、毛利勝信は小倉6万石を受けた。本人はキリシタンではなかったが、高山右近の旧家臣団を小倉に受け入れ小倉

    • 元和大殉教 ~イザベルとイグナチオの物語~ Bento

      はじめに神は天と地とを創造された。 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。 (創世記一章一の三十一) 朝焼けのころ、静寂が鳥のさえずりと共に空を青く徐々に染め、山々から黄金に輝く光を放ちながら地を明るく照らしていく。 野は青々を茂り、我先へと背丈を伸ばし地や丘を緑に染めていく。 緑の葉の間に色とりどり花は赤や黄色と着飾る者もいれば、ひっそりと咲く者もいる。 蜜集めに虫たちが花に集まり、さらに着飾る蝶も羽ばたきに陽に反射して輝く。 地の獣は美し

      • アントニオ一家の元和大殉教

        「Laudate Dominum omnes gentes 神をほめたたえよ」 スピノラ神父が歌い始めると次々と柱に縛られた殉教者が声を合わせて歌った。スピノラ神父は柱に縛られてもなお、役人や立ち会った周囲の人々に熱心に訴えかけた。 「我々は国を奪う為に来たのではない。救いの道を教える為に来た。我々を殺してもキリシタンは決して滅びない。一粒の麦が地に落ち、死ぬことで多くの豊かな実を結ぶ。キリシタンが火に打ち勝つ時を楽しみに、よく見るように。」 1622年元和8年9

        • 光を掲げて ~レオナルド木村と同伴者の殉教~

          「西の方に見えるあの光はなんだろう。」 1600年も前に学者たちは東の国では見たことのない光を求めて旅を始めた。その光は幼子の上にある星であった。彼らは光に導かれ救い主と出会った。 ・迫害の始まり 1616年、元和2年に家康が死去し秀忠が本格的に幕府の実権を握る事となった。日本には34人のイエズス会士、フランシスコ会士5人、ドミニコ会士56人、アウグスチノ会1人、教区司祭5人が追放を逃れ潜伏していた。秀忠は権力を見せんとして先代に増して迫害の度を強め、日本に残っ

        シモン清田卜斎と同志の小倉殉教

          長崎の聖マグダレナの物語      主とともに  ~ Tu mecum es ~

          「マグダレナ」 「生きるのです。」 山の色が黄や赤に染まり始めた頃。青々と茂る緑の中でひっそりと椿の花が咲いている。 世は戦国の時代。豊臣秀吉により26人の尊き人々が信仰の為に処刑された。天下を取った徳川家康は天下の秩序を守るためにキリシタンへの迫害を行った。しかしこの頃は通り雨程度。秀忠が本格的に幕府の実権を握る事となってからの迫害は嵐のように一層激しくなっていった。三代将軍家光の時代になってもキリシタンに向かう嵐が静まることはなかった。毎日死んでいく多

          長崎の聖マグダレナの物語      主とともに  ~ Tu mecum es ~