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広告のない街が見たい。

キューバの街には、広告の看板がないらしい。

社会主義国なので当然なんだけど、「広告のない街が見たい」という理由でキューバを訪れる人はけっこう多いという。みんな広告に疲れてるんだな。

僕も、たまに都内に出て新橋や原宿を歩いていると、それだけで疲れてしまうのは、目に映るあらゆる場所に、これでもかというくらいに大量の広告が溢れていて、その情報処理に頭が追いついていないせいかもしれない。

「これいいよ!」「これ買わない?」「これがないと幸せになれないよ」

って、いつでもどこでもセールスされてるって、考えたらちょっと異常だ。それは最もわかりやすい資本主義のかたちではあるけれど。

オードリーの若林さんは、ニューヨークやキューバを訪れて、「死ぬほど働いて死ぬほど何かを買うことが幸福」という価値観、新自由主義みたいな思想に対する疑念をあらためて実感したという。

そういやいつの間にか、僕もそういう価値観に染まっていたのだなあと最近よく思う。

海を眺めて、本を読み、物を書き、外で遊び、家内がこしらえてくれる料理を食べ、家族でテレビを見て笑う。

そういう、ささやかで静かで心地よい幸せをすでに生きているのに、なぜか心がざわつくときがあるのは、もっと、もっともっと働いて、もっともっとお金を稼いで、もっともっともっといろんなことをやらなくちゃならないって、誰かに言われているような気がしてしまうからかもしれない。

僕が海や登山や自然が好きなのは、きっとそこに、広告__他者の言葉__がないからだ。

そして若林さんの青臭さに頷けるのは、僕自身もまた、〈競争社会に勝って華やかな生活を送る〉という新自由主義的な価値観を、じつは求めていないからかも。


成功って、幸福か?


っていう、青臭いけど、けっこう大事なところを、あらためて振り返る。

ネットなんて、広告ばかりだ。僕の書いてるブログだって広告がたくさん貼ってあるし、ブログそのものが、製品や思想のセールスだと言えなくもない。

たくさん働いてたくさん買ってたくさん体験することも楽しいけれど、いつもそれじゃ疲れちゃうんだ。

この豊かな時代に、とてつもなく恵まれた社会の中で、それでも人々の顔が曇りがちなのは、こういうところにも一因があるのかもしれない。

もうあるのに、必要なもの、欲しいもの、大切なものはすでに持っているのに、毎日いろんなところで「これいいよ!」「これ買わない?」「これがないと幸せになれないよ」って言われているような世界。

だから僕は、毎日海を眺めて、たまに旅をして、自然の中でキャンプをして、ネットや街から離れて、独りになる。

すると、もうすでにいろんなものを持っていて、いろんな人に支えられているのだと気づく。すこしだけやさしくなって帰ってくる。

そしてまた、ネットを眺め、物を買い、広告にまみれて暮らすのだけれど。

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