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東京生まれ野島伸司育ち不健全な奴はだいたい友だち。

さっき唐突に気づいたのだけれど、僕は東京で生まれて野島伸司で育ったのだった。

huluで田村正和&常盤貴子主演の往年のドラマ「美しい人」を見つけたのをきっかけにウィキペディアを調べてみたら、今でも僕の心に強烈な杭が打たれて血が滴っているのは、野島伸司脚本のドラマばかりだった。

愛しあってるかい!(1989年、フジテレビ)
愛という名のもとに(1992年、フジテレビ)
高校教師(1993年、TBS)
この世の果て(1994年、フジテレビ)
人間・失格〜たとえばぼくが死んだら(1994年、TBS)
未成年(1995年、TBS)
聖者の行進(1998年、TBS)
美しい人(1999年、TBS)
プライド(2004年、フジテレビ)

他にも『101回目のプロポーズ』や『ひとつ屋根の下』など、ヒット狙いのラブコメもコメディもなんでも書けちゃう多才な氏であるが、やはり真骨頂は『愛という名の下に』『高校教師』『聖者の行進』などに代表される、ときに陰惨で息苦しい人間の心の闇を描いたディープな作品群だ。

今思えば、若き僕にとって野島伸司のドラマとはパンクロックだった。
自らの身体を刃物で傷つけ、客に唾を吐きベースで殴りかかり、二十歳そこそこで恋人と一緒にヘロイン中毒で夭折したシド・ヴィシャスと同じ〈狂気〉を、野島ドラマに見いだしていたのだ。そしてそれらを自分の中に取りこむことによって、心に巣くう制御不能な若く青い負の衝動を薄めていたのだと思う。

希代のヒットメーカーである野島伸司も、最近はコンプライアンスのリスクに追いまわされて、なかなかディープな作品を書けないのだという。ちょっとでも差別的だったり残酷な話を描くと、すぐにネットを通じてスポンサーに苦情が放火されてしまう。

若者は、いや若者に限らず大人だってそうだけど、人は何かを否定しなければやっていられない〈時期〉というのがある。理想と異なる自己を否定して、できない自分を悔やみ、責め、その痛みに耐えられなくて、反動で世の中を呪う。

そういうとき、野島ドラマとかパンクロックとかブンガクとかホラー映画とか、大人が眉をしかめる〈健全でないもの〉に触れることによって、僕らは〈呪い〉を浄化して、自分の中に〈健全〉さを取り戻していくのに、最近はそういう表現や猶予が、社会から押し出されている気がする。

マフィアがいなくなると犯罪は増えるというが、世の中を健全なものばかりにしようとすると、必ずどこかに綻びが出てくるものだ。

表現はマイナスをプラスに変えることができる。美は汚物の中にのみ見つかる。闇があるから光が見える。そういう物語を、もっと見たいのだけれど。


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