iMacにコントロールされる男。
週に五日、都内の実家で生活しているときは12インチのMacBookを使っていて、週末は茅ヶ崎の自宅の書斎で27インチのiMac Retinaを使っていました。
ディスプレイの大きさだけでなく、CPUやメモリなどスペック的にもiMacのほうが断然上なので、毎週家に帰る度にその快適さにちょっと感動すらして、iMacに頬ずりしたくなっちゃうほど。
でも、あまりに見やすくて、快適で、何でもできてしまうと、iMacから離れられなくなるんですね。
仕事を終えても、いつまでも音楽を聞いたり、ネットを徘徊したり、メールをチェックしたり、映画を見ようとしたり、あれこれ何周もしてようやく、「今ぼくがコンピュータでやることはないのだ」と気づくのです。
これは週末のバカな僕が無為な時間をもてあましているからなんだけど、同時に、「端末に日常を支配されている自分」に気づいて、ちょっと怖くなりました。
本当はソファで本を読んだり、さんぽしたり、コーヒーを飲んだり、考えるべきことを考えたり、掃除をしたり、公園に出かけたり、違うことがしたいのに、iMacやiPhone、iPad、Kindleと、あらゆる端末が日常に食いこみすぎているせいで、ぼくが選択する行為そのものが端末によって決定されているかもしれないとしたら。
AIに支配される近未来、なんてSFなところまでいかなくても、ぼくのようなふらふらと流されやすい人間は、とっくにデジタルデバイスにコントロールされてるじゃないか、なんて大袈裟なことを考えた秋の朝でした。
最近本当にガラケーにしようかなって思うことがあるんだよな。
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