実は主人公は牧場主兄妹ではないのでは……~映画『NOPE』~

※ネタバレしないと何も書けそうにありません。






「なんか奇妙な映画だった」
これが『NOPE』を鑑賞し終わったあとの、率直な感想でした。
他の映画を観る前に流れる予告編の段階から「なんか変」と思っていましたが、この「なんか変」は実際に映画本編を観てみれば解消する、と考えていたのです。
しかし、そう考えていた自分が甘かった、と言えるでしょう。

簡単に言ってしまえば「UFOは実は生きていて、人を食う怪物だった」という映画です。
「UFOが実は生物だった」という設定自体は、特に目新しさがあるとは言えません。
「UFO生物説」自体は1958年にはすでに唱えられています。
(ちなみに私は、漫画『地獄先生ぬ~べ~』でこの説を知りました)

UFO型生物「Gジャン」はその後変形し、まるで『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する使徒のようだ、と言われていましたね。
私は『宇宙大怪獣ドゴラ』を想像したのですが、後でよく見てみたらそんなに似ていませんでした。
「なんか空を飛んでるクラゲみたいなやつ」というイメージは合っていると言えるかもしれませんが。

そんな感じでいろいろと思うところはあったのですが、鑑賞が終わってちょっと考えてみたとき、一番最初に思い浮かんだのが「この映画の主人公は、牧場主兄妹のようだけど、実は違うんじゃないか」ということでした。
では誰が主人公なのか、と言えば「リッキー”ジュープ”パク」、テーマパークの支配人です。

私は、この「ジュープ」こそが、あのUFO型生物「Gジャン」を生み出した本人なのではないか、と考えています。
「Gジャン」が一体どうやって生まれたのか、それは映画のなかには出てこなかったので、完全に私の妄想ですが。

ではなにが「ジュープ」が「Gジャン」を生み出すきっかけとなったのか、と言えば、劇中でも何度も登場する「ゴーディ家に帰る」事件なのではないでしょうか。
あの事件では「ジュープ」の共演者がチンパンジーの「ゴーディ」に襲われ、重傷を負っています。
そこで「ジュープ」の心には、見世物となる存在の恐ろしさ、いつ人間を傷つける存在になるかわからない、というトラウマが植え付けられているはずです。

それでいて「ジュープ」は、自分で事件の関係資料を大量に集めた「私設ミュージアム」とも呼べる施設を作り上げています。
これはまさに「魅入られた」とでも言える精神状態であって、トラウマとなっている一方で、ゴーディのような存在に強く心惹かれている、と言えるでしょう。
そして「ジュープ」と「ゴーディ」の最後のシーン、お互いに両目を自分で指さし合い、そして「ゴーディ」は次々に人を襲って血まみれになった手を「ジュープ」に伸ばして「ジュープ」もそれを受け入れようとします。
残念ながら「ゴーディ」はそこで射殺されてしまい、ふたりの交流は成立しませんでしたが、この経験で「ジュープ」は人を襲う存在、人知を超越した存在との交流ができる、と考えるようになったのではないでしょうか。

この「ジュープ」の歪んだ経験、精神が、あの「Gジャン」を生み出した、と私は妄想しているわけです。
「Gジャン」が「目が合った相手を襲う」のは、つまり「ジュープ」と「ゴーディ」がお互いに両目を自分で指さし合った、お互いに「お前の存在を確認したぞ」という行為が基となっているのではないでしょうか。

こう考えると、なぜ「ジュープ」が「Gジャン」の存在をあらかじめ知っていて、しかもそれを「ショーの一部」として飼いならせると考えていたのか、の理由も付けられるでしょう。
きっと「ジュープ」は「Gジャン」と心が通い合わせられる、と考えていたに違いありません。
結果は残念ながら、でしたが……。

何度も書きますが、これは私の妄想ですので、的外れに感じる人も多いでしょう。
しかし『NOPE』の面白さは、ただ映画を観るだけでなく、観た後の考察にこそありそうです。
こうやっていろいろと考えてみる、場合によっては考えながらもう一度劇場で観てみるのも、アリだと思うんですよね。

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