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KANちゃん、たくさんの愛と優しさをありがとう。

『KANちゃん   亡くなった』

11月17日、病院で病理組織学的検査の結果を聞いた後、ランチをして店を出た時に姉からLINEが届いた。

KANちゃんが、11月12日に旅立ったことがニュースに流れたのだった。

心がザワリとして、悲しみがゆっくりと、でも着実に注ぎ込まれていくかんじ。
満タンになって溢れて、道端で涙がこぼれそうになった。
ある意味で、自分がガンだとわかった時よりも大きな衝撃だった。

私がKANちゃんと出会ったのは小学生の時だ。
代表作の『愛は勝つ』よりも、KANちゃんが作曲したやまだかつてないWinkの『さよならだけどさよならじゃない』のメロディに魅せられた。

その後、本格的にKANちゃんのファンになったのは、中学生で聴いた『めずらしい人生』だった。

憂いを感じさせるようなピアノではじまるイントロ。
『レレレレドシラシドシラ この音階に根拠なんかなくて 目的もあやふやで秘密もない』で始まる歌詞。

そのすべてに、モラトリアムにすでに片足(もしかすると両足)をつっこんでいた私は、一瞬で心を奪われた。

あれから、KANちゃんの愛と優しさに満ちたたくさんの音楽が、いつも心に寄り添ってくれた。

Songwriter
REGRETS
まゆみ
すべての悲しみにさよならするために
エキストラ
言えずのI LOVE YOU
東京に来い
ライバル
桜ナイトフィーバー
牛乳のんでギュー
…などなど、あげだしたらキリがないので、この辺にしておく。

心を震わす音色もあれば、ポップだったりラブリーだったり、クスリと笑えたり。
とにかく多彩で、いつも私たちを楽しませることを考えてくれたアーティストなのだ。

2002年にはフランスに留学し、音楽院で学び直すというその意志をも尊敬していた。
帰国後に発表された『小学3年生』は、なんとも言えない「おフランス感」があって最高だった。

そして、姉と一緒に行った『弾き語りばったり』ツアー(ピアノだけの単身弾き語りツアー)は、私の人生の宝物になった。
あまりにすばらしいライブで、そのあと姉とはしゃいでアホみたいに飲みすぎたのも良い思い出だ(笑)。

その後の『弾き語りばったり』ツアーやバンドツアーは、迷っているうちにチケットがソールドアウトになり行くことが叶わなかった。
そうこうしているうちにコロナ禍が来て、ようやく今年こそはまた行こうねと姉と話していた矢先に、メッケル憩室ガンの公表とツアーの中止が発表された。

大丈夫。また会える。

そう思っているうちに自分もガンになった。
自分の手術から1ヶ月後、病院で検査結果を聞いた日に届いた悲しい知らせに、その日の夜は何度も号泣した。

まったくもって筋違いかもしれないが、私は今もまだ生かされているのに、どうしてKANちゃんは旅立ってしまったのだろう。
迷ったりしていないで、どうしてもっとサクッとライブに行くって決めなかったんだろう。

そんなとりとめもないことが頭の中を巡って、そしてまた、ポッカリと空いた胸の隙間にうまく向き合えずに過ごしていた。

でもここ数日、YouTubeでKANちゃんと親しかったアーティストの方々の追悼ラジオを聴いていたら、その言葉のひとつひとつが、私の悲しみを癒してくれた(感謝)。
だから今日は、KANちゃんのことをnoteに綴ろうと思った。

KANちゃんは旅立ってもなお、私にたくさんの愛と優しさを届けてくれた。
そして、後悔のないように今を生きることを、より深い実感を伴って伝えてくれた。

ありがとう、KANちゃん。
これからも、あなたの音楽とともに生きていきます。

私の大好きな『よければ一緒に』、12月ということで『KANのクリスマスソング』、そしてMr.Childrenの桜井さんと歌った『and I love you』を置いておきます。
良かったら視聴されてください。
愛と優しさがあなたの心にもきっと届きます。

KANちゃん、ご冥福をお祈りします。


↓楽しそうに歌うKANちゃん。私もこんなふうに生きたい。


↓もうすぐクリスマスですね。


↓桜井さんとも楽しいことをたくさんしていたKANちゃん。
もう新しいパフォーマンスを見れないのは寂しいけれど、たくさんの思い出をありがとう。


※姉と話す時、いつも『KANちゃん』と呼ばせていただいていたので、その呼び方で執筆させていただきました。
ご了承ください。

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