瑠衣の為になんて笑われるかな#22

ここに来た理由はもうひとつあった。
音楽療法について学ぶことだ。

だけどそんなことどうでもよくなった。
待ってる人がいる。こんな僕を待ってる皆がいる。

それに僕は僕たちはもうきっと誰かを癒していたと思うから。
Moon Raver の理念というか訓辞のようなものがある。

‘‘心の叫びに寄り添って‘‘ 
これの言葉に添うような音楽をどんな風になってもやっていこう。
三人でそう決めた。誰かを癒せるとか大それたことは
考えてなくて、僕等の叫びを一つにしていた。
でもそれを聴いてくれる人たちがいる。
心なんて見えない。どこにあるのかもわからない。
目に見えない音楽だからこそ、そこに触れる、問いかける
そんなことができるのかもしれない。

父さんと一緒にいて、僕は僕なりに考えて本質に
気付けた気がする。
何年も音楽をやってきて今更過ぎるけど。

このベースが引き継がれた物なんて聞かされて無かった。
二人が離れた理由も分からないけど、父さんは今でも母さんを
愛している。それだけはわかった。

それは母さんも同じだろう。じゃなきゃ、このベースは
ここにない。僕はここにいない。
Moon Raverも無ければ、瑠衣と出逢うこともなかったかも知れない。
音楽なしでは僕の人生は語れない。

三人は何をしているのだろう。
僕はここで今、なにをすべきなんだろう。
原因がわかったとて、治ることはない。共存していくしかない。
本当にそれしかないのか。

出来ることなんてなかった。

音楽以外なかった。

よくというか、ふと思う。

学生時代の周りのバンドで話に持ち上がっていた。ご飯が食べられるとか食べられないって話。そんなんじゃなくて
食べられなくちゃ音楽しちゃいけないのか、と疑問符を浮かべていた。

楽しいから、好きだから、
それだけじゃだめなのか?と

どうせプロになれないからとか
そんなのどうでもいいんじゃないか?と
プロになること前提で何かを始めなきゃいけないなら、いずれにせよハードルは低くないし、何事にも物怖じしてしまう。そしてまだプロ、アマ、なんて垣根が存在しないジャンル。これには手をつけていけないことになる。

プロだとどこからか、勝手に呼ばれてお金をもらってしまって、それからの苦悩だって多い。
好きなはずの音楽を嫌いになりそうになるときもある。
なんでこんなことしてるんだ?と自分で選んだはずの今を疑いたくなる。

音楽の仕事だけに絞らずとも
その道のプロとして
お金を貰うってことは
好きって気持ちだけじゃ
やっていけないと思う。

自覚とか、プライドとか、
忍耐とか、適応能力とか、

職種を跨ぐと、
あげだしたらキリがない何か
好きだからこそ要る、特別な、何かが必要なのかもしれない。

でも僕がしてきたこと、それには
音楽という名前がついていて

名前の通りで楽しくないならやる意味がないし、楽しんでない音には誰もついてこないように思う。

結局何事もこれに尽きるのかもしれない。楽しい、嬉しい、それに準ずる
アップテンポな気持ちをその環境の
どこかで感じることができないのなら、
少し違うどこかを見つめてみても、いいのかもしれない。

だけど、結果や答えなどといった
プラスマイナス因子を持った対価はそんなにすぐについてこないことの方が多い。
ローマは一日で出来上がったわけじゃない。
今日、埋めた種からすぐ花は咲かない。
初めて会った人とすぐ喧嘩なんて起きない。
今見える月が突然、欠けることもない。
時間の経過や積み重ねがそういった事象をもたらす。

近年の僕等、人類は
急ぎすぎているように思う。
子供の頃、あんなに待っていた
父の日、母の日、誕生日、お正月。
春の陽気と虫たち、夏の色花と人混み、秋の木枯らしとマフラー、
冬の飛んでくる雪玉とはしゃぐ声。

思い出せばどれも遠く懐かしい。
待っていた。どれも待っていた。
今はどうなのか。
気がつけば通り過ぎて
しまっているのではないか。
何処かで出逢っていた運命の人にも
今生の別れを告げることもなく、目線を合わせることもなく。

いつかの僕を助けてくれた音楽。

その音楽に楽器にその道の先人達に感謝したい。
恩返しがしたい。

ストックの中からまた選び、トキオにメールで送付する。

この音源もまた僕の心で、メンバーに、世界に届けと願う。

誰かに届いて、その人が誰かに伝えて、また繋がって、
時代が流れても、これいいよね、懐かしいね、
そんな風に忘れられずに流れるとまた心に灯るような音楽。
歌詞が音がその人を形創る一部になる。

いつかの僕がそうだったように。
まずはこの曲が、瑠衣に届きますように。


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