見出し画像

暇も忙しいも作れる。「時間」を言い訳にするな!

「私は忙しい」

「俺は暇」

生活している上でこのような表現を使う人は多いだろう。実際、筆者もよく使う。特に暇という言葉に関しては多く使っている気がする。

なぜこんなことを書くのか。日頃の活動からすればサッカーに関係ないことであり、特に書く必要はないだろう。だが、違う。

自分自身の中にある考えを外に出してみようと考えた。別にこれを見て納得する人が大多数いるとは思わない。むしろ、否定派が多いと思う。ただ、そんなこと一切恐るつもりはない。

では、本題に入って行くがまずこの言葉を見て欲しい。

「忙しいから時間がない」

この言葉を見て率直にどう思ったか。

何か引っかかったという人はおそらく筆者の考え方に賛同してくれるのではないだろうか。

そもそも「時間」というものはこの世に生きている誰しもが平等に与えられているものである。(よく決まり文句みたいな形で使われているが。)

その「時間」は色を付けていかなければならない。そうしなければ何も起きない。何も出来ない。ただ、真っ白な空間を過ごすことになる。

だから、人は仕事や学校、そして遊びなどを「時間」という白い空間に対して付け足していくことで色を付ける。

ここで問題の本質について触れて行くが、まず「時間がない」はただの言い訳であるということ。実際、その「時間」をコントロールし好きな色に描いていけるのはその人自身である。

誰にも邪魔されない空間=時間

というわけだ。

時間」を言い訳にしているのならそれは単純に逃げているだけである。

例えば、部活に入っている生徒A君がいるとしよう。その子は一週間のうちに部活動が6回ある。中々、遊びや買い物などの娯楽、休暇などが取れていない。

一方、B君は帰宅部で一週間を自分の好きなように描いている。趣味や遊び、勉強やアルバイト。

ここでA君はB君にこう言った。

「なんかお前暇そうでいいな。俺なんてほぼ毎日部活でお前と違って遊んでる暇なんてないよ。」

A君の部活の状況にもよるが、A君の意思で部活に入っているのであって、B君がそれを比較され、勝手にA君>B君という状況になっている。

各々に与えられている「時間」を好きに描いているだけなのに何かマイナスな言葉を浴びさせられる。

なにかおかしいと思わないだろうか。

「時間」を彩る中で規制などは何もない。自由に決められるからこそ、「時間」に優劣は存在しない。A君は単純に自分が他者よりも忙しい環境にいるという風に誤解している。A君自身が自分で決めたことかつ誰にも強制されてなければ今、A君が置かれている状況は必然的である。

結果論からすればA君が部活動をやめればいい。そうすればA君はB君と同じような「時間」を過ごせるかもしれない。「時間」がないことを言い訳にする前に「自分自身の意思決定」に焦点を当ててみる。それによって「時間」の色付け方も部活動に対しての捉え方も変わり、部活動を続けられる原動力になるかもしれない。

この具体例で分かったように筆者が言いたいのはここであって、「自分で決めたことに文句を言うな」ということである。

同じような例でアルバイトのシフト問題がある。

よく『◯◯連勤だ〜』と言っている人を見かけるが、率直に『そのシフトを組んだのは誰ですか』と言いたくなる。いや、むしろ言っている。

確かに、アルバイトはその職場によって「この曜日は入ります」や「ここは入ってもらわないと」等の理由がある。ならば、そこを出勤希望で提出すればいい。それ以外は自分の好きなように予定を作るなりすればいい。

ただ、稼がなければ経済的な障害が様々な所で生じる。そうなればシフトに入って稼がなければいけない。

この道筋は理解できるが、いざ、シフトを提出してそれが確定し、出勤日になった時には『バイトだ。めんどくさい。』このような発言が出てくる。

非常に納得がいかない。『他人の予定なんだからどうでもいいでしょ』と言われてしまえば何も言うことはなくなるが、筆者自身の考えをぶつけた時にすんなり受け入れる人は多くないだろう。そして、『俺は忙しいから』と言われて流されてしまう。

ただ、繰り返しになるが言葉を悪くして言えば『お前が決めた予定に対して文句を言うな』ということ。

物理的に忙しい状況は誰にだってあるだろう。だが、それをコントロールできるのかできないのか。ここの差は非常に「時間」を彩る際に影響を与えるはずだ。

冒頭で筆者は暇という表現をよく使うと書いたが、実際自分が予定を空けていたところが暇になってしまい何をしようか悩む時がある。

そんな時は予定がない同じ暇という状況にある友人を誘って暇を埋めてもらっている。

筆者はあまり忙しいという状況を感じたことがない。実際に物理的に忙しい状況や多くのタスクが出てきた時に「この状況を作ったのは自分だから」と思っているからなのかもしれない。多くのタスクがあったとしても一つずつ潰していかなければなにも解決しないというのもあるが。

どんな状況も自分が決められる範囲内であれば暇も忙しいも作ることができる。「自分の決めたこと」を棚に上げ「時間」のせいにするというのは言い訳であり逃げている。「時間」のせいではなく「自分」のせい。この本質は絶対に変わらない。

何度も言うが肯定されても否定されてもなんでもいい。自身が思ったことを発信することに意味がる。だから今回は筆者なりに考えを言語化してみた。非常にいい機会を設けられたと考えている。

最後まで読んで頂いた方には是非とも暇と忙しいをうまく作り出して今以上に充実した生活を送って欲しいところだ。

RYUJI.I


サッカーライターを目指し投稿中。 更新頻度は異なりますが、思ったことを投稿していければ。 川崎フロンターレを応援しています。