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「普通」を騙る君へ
こんにちは、リョウです。
以前の記事にも書いたが、僕はずっと「普通になりたい」という意識(西井さんが言うところの「未達の感覚」)に囚われ続けていた。
「普通におしゃれして、普通に恋愛して、普通に友達作って、普通に趣味作って、普通に、普通に、普通に……」
まだ劣る、変わってる、浮いてる、変な目で見られてる。いくら自分を変えようとしても、根底にはまだ「普通でない」自分がいる。
あるとき気がついた。
「普通になること」が僕には無理だ。
僕は変わった洋服が好きだし、今まさにこのnoteのように、気にしなくても良いようなことを考え込むし、周りが「良い」といってやまないコンテンツを必ずしも理解できないし。
他のみんなが勉強とかスポーツとかを、どこかのタイミングで諦めるように、僕は「普通になること」を諦めたのだ。
「普通になること」に時間を費やすくらいなら、そもそも最初から「普通になる」才能なんて無いのならば、そんなものは放っておくしかない。そう思った。
同時に、「普通になる・ならない」の議論自体が、周りをキョロキョロ見回して、おびえているのと何ら変わらないという事実に気がついて、そしてそれに疲れている自分に気がついて、それ以上、考えることをやめた。
誰に言う訳でもないが、僕のnoteは僕が叫ぶためだけのものだから、どうか叫ばせて欲しい。
僕をいくら思いやって、為になると思って、親切心でよかれと思って、「おしゃれな服、流行りの歌、恋愛、etc……」そういうものを押しつけるのを止めてくれ。君のその「優しい」気持ちは分かったから、君が「普通でない」自分を見て哀れんでいるのは分かったから、君から見た僕が、君のような人間を目指して必死にもがいているように見えたなら、それはもう飽きたから。
僕が僕の幸せのために、僕の好きなヒト、モノ、コトだけを追って生きて、それを家族と数人の友達が応援してくれて、そうやって生きていたら僕以外の誰かが少しでも幸せになってくれて、それを知るか知らないかくらいのタイミングでぱったり死ぬ。そんな人生が送れたら、それが僕にとっての幸せなんだと気がついたから。
それでもなお君の「普通」を押しつけられると、君といるのが心の底から嫌になってしまうから、頼むからやめてくれ。
僕の不協和音のような叫びを、ここまで読んで、耳を傾けてくれたあなたに伝えたいことがある。
あなたの周りの誰かの生き方や考え方に、思わず口を出したくなったとき、「アドバイス」してあげたくなったとき、少し踏みとどまって欲しい。口を出して教えたかったものがあなたの思う幸せでも、それはその誰かの幸せではないかもしれないから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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