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ただ、好きやったから、やってただけ

才能も努力確かにあるんやと思う。
だけど、やっぱり、一番は好きかどうかが大きい気がする。

なんか自慢のように聞こえてしまうかもしれないけど、
私は、昔からある程度まではそつなくこなしてしまう子やった。
すごく上手いわけでも、すごい下手でもないけど、
なぜか、上手いとか頭良いとか、良い方に過剰評価されてしまうような。

最初は褒められて嬉しい、解けて嬉しい、勝てて嬉しいから始まり、
夢中で楽しんでいるからこそ、辛さはない。

ある程度進むと、壁にぶち当たり、焦る。
だけど、できなくなる事はプライドが許さない。
その頃には、それ自体が楽しい事ではなくなり、
必死に頑張ろうとするけど、やりたくないが心を支配する。
最終的には、サボる・辞める・離れる。
みんなの中で、私が優である間に。

それに気づいた時、私は何と腹黒く、計算高く、醜いんやと
自分で自分が嫌になった。
今でも、それは私を苦しめるけど、最近もう一つ分かったことがある。

じゃあ、何がしたいん?
何なら続けられるん?

と自問自答をする中で、
好きなものは、倍の時間やっても難しくても、
食欲も睡眠欲も忘れるほど夢中でやれるって気付いたんよね。
普通の事やと思うけど、自分のなかでは普通すぎて、
周りから言われてたのに、受け取ってなかった中の一つやった。

元々、褒められたいのに、素直に受け取れないという、
面倒くさい奴代表だった事も大きい。

例えば、ブラインドタッチ。
小さい頃、ワープロが家にあって、
私は、ワープロで文字を打つのが好きやった。

資料を作るわけでもなく、好きな歌の歌詞を打つだけ。
保存も印刷もせず、毎回打つだけ。
大学生になって、パソコンを使うようになる頃には、
すでにブラインドタッチになってて、いつそうなったかも覚えてない。

そう言えば、仕事もそうやなって。
私からしてみれば、表からグラフを作る事なんか普通やし、
すごいグラフを作ってるわけでもないのに、めっちゃ感謝されて、
たいしたことないのに大げさに褒められて恥ずかしかった。
更には、そのせいで私ができる人と認識されて、
あれこれ人に聞かれ、私が分からない事が多くて、
検索して、調べて、答える事の方が多いし、解決しないことも多い。
それでまた落ち込んで、「だから、私はできんのやって!!!!」
と、イライラしだす。

こうやって書くと、怒る事やないって分かるんやけどねー。
ただの癇癪、八つ当たり、一人芝居。

周りに聞いてもらったおかげで、調べて、身につけてきたことがほとんど。
どうにか解決したくて、効率よくしたいと自分でも思ったから、
調べている時間自体は、苦ではない。
それは、謎解きゲームをしているような気分で。

それがわかると、何か聞かれたり、
新しい業務をいかに効率よくするかを考える時間って、
私、好きなんやなーって思った。
なんで、どこ行っても新しい事ばっかりやらされるんやろうって、
お前らが考えろよ!とか思ってたけど、適材適所やったんかもなー。
あの人達は、細かい事を綺麗にしていくのが得意やなかった。
私は、そういうのが嫌いやなかった。
それだけの事。

社会に出てすぐの時から言われて、やらされてたことやのに、
今頃気付くとか・・・。
んで、きっと、これからも似たような事で悩んでイラつくんよね。

という事はさ、
悩んで、イラついて、苦しむのも好きなんかな?
どんだけMなんよって、そう思うと笑えるw

読んでいただいて、ありがとうございます。何か響くものがあったのならば嬉しいです!