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インターネットの世界に浸るということ

養老孟司さんに改めてハマっています。
何冊か本を読みましたが、今は図書館で借りてきた「神は詳細に宿る」を読んでいます。やっぱり刺さるフレーズがたくさんあったので備忘録も兼ねてここに書いておきたいと思います。

インターネットに書くのも変かもしれないけど、あえて書きたい。

インターネットにある情報だって全部、済んでしまった火事なんですよ。そこにはこれから起こることは入っていないんだから。もし何かが起こるとしたら、誰か人間が入れるんです。そして止まって、誰かが入れるまでそのままになっている。〜中略〜そう言う意識を持たずに、ニュースやインターネットを見て、何か新しいことが起きていると思っていませんか?あらゆるニュースは済んでしまったことです。と言うことは、インターネットをずっと見ていると言うことは、徹底的に過去に頭を突っ込んでいると言うことですよ。

養老孟司 神は詳細に宿る P161より

この言葉はすごくモヤッとしていた部分を的確に表現してくれたな〜という気持ちになりました。

そう、ネットの情報は、全て「過去」なんだ。

新しい情報だとしても、すでに過ぎ去ったことなんだ。新しい情報が出てくるというのは、誰かがそれを(結構多くの場合、承認欲求とか、営利目的などで)作っているということなんだ。それを意識しておかないと、「意識」つまり「過去」ばっかりに囚われ過ぎてしまって、自分の感覚が置き去りになってしまうんだと思う。そういうことに対する人生の先輩からの警鐘なんじゃないかと私は受け止めました。(はぁ、養老先生、とても素敵な文章をありがとうです・・・)

私は、今はこの文章を「書いている」。だから私にとって書いている行為は今と繋がれる時間だけど、今コレを読んでくれているあなたとは「過去の私」と繋がっているということになる。あなたが読んでいる「今」私はきっと全然違うことを考えている。もちろん、今ここで考えていたことがすぐに帳消しになるっていうことは多分ないだろうけど、それだって確実な補償ができるわけではない。人の気持ちというのは変わるのが当たり前なのだ。

という前提、これがインターネットと接するときにとても大切なんじゃないかと思いました。
よくいろんなところで「今を大切にしましょう」と言われるのは、こういうところの逆説とも捉えることができると思います。過去の情報、頭の中にある実態のない「情報」に今の感覚を支配されてしまっては、今なのに今がない、みたいになってしまうということかなぁ。

いやー、本当にこれ、自分もよくやっちゃうんです。涙
だからこそこの文章が刺さったんだと思います。そうならないためにはどうしたら良いか、いろいろなアイディアはあると思うのですが、一つはこのように「発信すること」だと思います。「インターネットに要注意」と一口で語っても、それをただ眺めるのと、こうして頭と指を使って発信するのは全く違う行為です。(もちろん、動画だったらもっといろんなものを使いますね)

実際私も、養老孟司さんの本を読んで、すごくハッとさせられる何かがあったので、こうして今文章を書こうと思ったからです。この「ハッとさせられる何か」っていうのも読書の醍醐味だと思います。こういう感覚、いいよね〜。これもまさに「今」ということなんだと思います。

私の今年のテーマは時間を上手に使う、にしたいと思っています。

情報の誘惑に勝つためには、自分のやりたいこと、何が自分にとって大切かを明確にしておくことも有益だと思います。私の場合は、仕事、表現、仲間、運動、勉強、家族、自分のための時間などかなぁと思います。特に、表現することやそれを通じて出会ってくれた仲間、家族、新しい考え方を広げられる勉強は大切だと感じます。

その一環として、今も文章を書いてみたのでした。

あんまり纏まってはいませんがそんなに完全にすぐにまとめきれないのがリアルですよね。というわけで本日はコレにて失礼したいと思います。読んでくれてありがとうございました。

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