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自分で考えられない人は、写真が上手くなりません。

YouTubeをやっていても、写真講座で教師をやらせていただいていても、長いこと変わらなく本質的に思うこと。それは、「自分で考えられない」のに、写真が上手くなりたいと思っている人が圧倒的に多いということです。

何かを覚えれば、その機材さえあれば、その設定にさえすれば「良い感じの写真」が撮れる魔法のアイテムや知識があって、ただその「魔法だけを教えてくれ」「とにかく何かいい設定を教えてもらっていつも上手な写真だけを撮れるようになりたい」みたいに思っている人があまりにも多いのです。なかなか面と向かっては言えませんが、そういう人たちは、はっきり言って、根本的にマインドを入れ替えないと無理だと思います。無理っていうか、多分、そういう気持ちで写真を撮り続けても、いろんなことを試しては壁にぶつかったり、ずっと狭いところだけを巡ってしまうというか。視点が上がらないので、続けても面白くないから飽きるし、続かないと思うんです。

写真は「取りあえすシャッターさえ押せば誰でも写る」という意味では非常に手軽で身近で簡単な表現ツールです。でも、本当に「表現する」ことを追求するならば絶対に自分なりに道筋を立てて考えていくことが必要です。絶対です。もしくは本当に一部のごく天才のような人だけは別かもしれません。でも凡人が手抜きして撮れるのは手抜きなりの写真だけです。そのレベルを越えるためには、「ただ押せば形になる」写真というものを、自分で咀嚼し、また構築するプロセスが必要なのです。

咀嚼して構築するプロセスというのは、要するに被写体と写真をしっかりと見て、要素を分析するということです。しっかり見るっていうのがポイントで、これは多分慣れていないと難しいと思います。試しに以下の写真をしっかり見て下さい。

春だなぁ

別にこの花が好きか好きじゃないとか、たいして上手じゃないとか思ったとしても、そういうことは一旦おいて考えてみて下さい。私はこの梅の花を撮るとき、こんなことを考えていました。

まだ寒い日でしたが、ふわりと柔らかい光が当たっているところで、ピンク色の梅が鮮やかに咲いているなぁ、というのを見つけました。小さく一生懸命咲いている姿が、なんとなく嬉しく思いました。花があるのを見つけた位置はまだ遠かったので、もっと花の近くまで歩いて行って写真を撮ってみようと思います。多分20歩くらい歩いて木の近くに到着しました。そこで、よく花を観察して、花の向きや咲いている密度的に「主役にしたら良さそう」と思う花を一つに選び、カメラを構えて画角(どの範囲を写すか)を検討し始めます。今回は105mmマクロレンズを使うと事前に決めていたのでレンズは変えませんが、複数持っていたらレンズを検討するのもこの時になることが多いです。そして、実際にファインダーを覗いてピントをしべに合わせ、その際に光の向きが逆光になるようにして、さらに背景にグリーンが入るフレーミングを選ぶためしゃがんだり近づいたり撮る位置を微調整して、手前の前ボケの花が画面内に入る大きさも気にして、風で揺れていたので何枚かシャッターを押して……色々細かいことを気にかけながら実際にシャッターを押していきます。そして、後からベストな1枚を選んでいます。という感じで、決して偶然ではなく、「この状況だったらこうなるだろうな」というのを組み立てて考えるからこういう写真を撮ることができるのです。

別に全ての写真がこのように考えて撮るわけではありませんが、こうやって考えられるといいことがたくさんあります。どんな状況でも、何の被写体でも、冷静に撮ることができますし、無理なら不必要に撮らない、という判断ができるということです。こうやって状況を見て、自分なりに感じたことを表現するのが写真の醍醐味だと思います。被写体=「現実に存在しているもの」と「そこから作られる写真」の関係を正確に把握すること、とも言えるかもしれませんね。それが面白いんですよ。自分の都合のいいように部分的に切り取ることもできるし、多くの人がこういうふうに感じるだろうなぁっていう素直な切り撮り方をしてみても良い。そういうのを分かっていて選ぶ、というのがわざわざカメラというツールを使って写真を撮る、一番面白いところじゃないでしょうか。

撮ることができれば見ることもできます。何か素敵な写真を見つけた時、まずは写真はビジュアルですのでガツンと「おぉ!すごいかっこいい!」みたいに感じたとしても、それで終わりになりません。しっかり見ていくと「あぁ、この写真はこの光がポイントで素敵なんだな」とか「モデルさんの表情がとにかくいいんだなぁ」とか、何が良かったかを深く理解することができます。そういう理解を自分のモノにできるので、また自分が撮るときの幅を広げることができるのです。そういうふうに自分の理解度の解像度を一段一段上げていき、幅を広げていくのです。ね、自分で考えるのって楽しそうだと思いませんか。その時に必要なのは自分のスタンスであって、別に機材とか、魔法のアイテム云々とか、そういう問題じゃないっていうのもお分かりいただけますでしょうか。

厄介なことに、写真という趣味の場合は魔法のアイテムらしきモノ…最新のいい機材やら、レンズやら、プロが使うマニアックな設定やら、フィルターやら、編集ソフトやら。なんだか凄そうなモノ、そして未知のものがとっても多く、またそれらを売るビジネスで成り立っている側面もあります。それらのアイテムを使うと出来ることが一時的に広がるのは事実です。でも、それは、あくまでも表現をするための「ツール」に過ぎません。だから、そんな「ツール」は補助的に使うものだろうと、私は思っています。使っちゃダメなんじゃなくて、使ってもいいけど、そのスタンスが重要なのです。自分で、「このためにこのツールがあったら良いな」と思うから導入するという方が自然だと思うのです。そうじゃないのにツールありきで買ってたら、全部のアイテムを試さなきゃいけません。時間とお金と管理場所が無限にあるなら良いですが、そうじゃなければキリがないと思いませんか。だから、自分で考えることが重要なんです。

でも、そういう「考えを自分で組み立てること」を放棄して、「ただ魔法だけを教えてくれ」みたいな大人が多いのは、一体何なんだろうと思ってしまいます。だって、それは写真以前の問題だと思うからです。そもそも生きていれば正解なんてない問題…例えば、どこの大学に行くのがいいのか、何を食べれば健康になれるのか、子供には何の習い事をさせるのかいいのか、結婚はした方が幸せになれるのか、相手のためを思う嘘をついてその場をやり過ごすのは本当にいいことなのか、小説は読んでも役に立たないから無駄なのか、ダイエットのためにはケーキを我慢すべきか、いや自分へのご褒美は必要か・・・みたいなことばかりです。そういう時は、信頼できる誰かの意見は聞きつつも、バランスを見ながら自分で決めてやってみて、間違っているようなら軌道修正する、みたいに生きていくのが普通だと思います。誰かのせいにするのではなく、どんな結果になったとしても、「最終的に引き受けるのが自分」という覚悟って、大人になったら自然に身につくものだと私は思っていたのですが、どうやらそうでもないようです。そういうのができてない大人ってどんな気分なんだろう。

仕事であればいかにも日本人的な「迷惑をかけないこと最優先」みたいにして、マニュアルを良く読んでとにかくことを荒立てないことが大事というやり方もあるのかもしれませんが、少なくとも写真を撮るという表現の中ではどう表現しようが自由なのです。(立ち入り禁止の場所に入ったりして迷惑をかけることなど以外は。)その自由を楽しむ感覚を味わってほしい。それが私の一番想っていることであり、YouTubeで発信している理由であり、講師をしている理由です。

でもそれは写真以前の問題が大きいので、なかなか伝わらないのも事実です。でもさ、なかなか伝わらないからこそ、続けていくことで、「あ、もしかして、これでいいのかも」って思ってくれた時は本当に嬉しいものです。だって、それってとりあえず最初は写真だけかもしれないけど、その感覚は結局、その人のその後の人生の全てにおいて共通することなんだからね。そう思うととってもワクワクします。大袈裟かもしれないけど、写真を通じて人生を豊かにしたい、っていうのは本当にそういうことなんです。

私の話をしておくと、自分自身は、とにかく組織が苦手で忖度とか派閥とか誰かに気を遣って本質的に必要なことができないというのが一番のストレスでした。だからずっとフリーランスとして生きてきたので、表現することが生業になっているからこそ、そうできていない人たちにも、この感じを味わってほしい、それを伝えたいと本当に思っているのです。みんなに、全員に伝えるのは無理でも、1人でも2人でも本質的な部分が伝わって、変化が起きてくれたらいいなぁと本当に思っています。

だから、まぁ何が言いたいかというと、写真に近道はないけど、表現をする楽しみが分かると人生の視点が変わるということです。いや、近道はあるかもしれないけど、近道するより遠回りしてもっと楽しんでみてもいいんじゃない、という提案です。
あと、私と話してみたかったらオンラインサロンで待ってます、ということです。ありがとうございました。


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