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写真を講評するということ

色々な人の写真を見せていただいて、それについてコメントをする機会があります。本当は、写真は、見た目が全て。だから、たとえ先生だろうとなんだろうと、他人の感想をもらって一喜一憂してほしくない。あとは自分で見て考えてくれ!と言って逃げ出したいところですが(笑)そうは言っても、完全に黙っているわけにもいかないので私はいつも何か「その人が自分の視野を広げるヒントになるように」と考えてコメントをしています。

例えば、写真には自分なりのものの見方(捉え方)のクセが出るものです。クセは必ず誰にでもあります。写真1枚ではわかりませんが、長く付き合いながら見させてもらったり、何枚かまとめて見せてもらうと、「その人らしさ」は滲み出てくるものです。何に興味があるか、どんなことを考えているか・いないか。なんとなく写真から感じ取ることができます。
それを悪く言えば偏見・よく言えば個性です。私にもあります。(私は割となんでも整理してはっきりさせすぎる傾向があると自覚しています。自覚だから違うかもしれないけどね)でもそういう「クセ」って、大抵の場合、自分がいつも無意識にやっていることだったりするので、良いものであっても、悪いものであっても、自覚がない場合が多いんです。なので、それに気づいてもらうためのコメントをしたりします。クセ(=無意識でやってしまっていること)を自覚できれば、もっと他人に伝わる写真になるはずなので。

例えば、初心者によくあるのは、いつも真ん中に被写体を配置したり、モデルさんだったら笑顔でカメラ目線しか撮らなかったり。自分が注目した被写体だけドーンと置いてあるけど、背景がぐちゃぐちゃだったり。そうすると、よく言えば素直ですが、悪く言えば何の深みもない浅い写真となります。

浅い写真とはどういうことかを具体的に説明してみたいと思います。たとえば、自分の子供がクレヨンで一生懸命描いてくれた似顔絵は可愛いし、親だったらもらって嬉しいですよね。あぁ、いとしの我が子が私のために描いてくれた。多少変な顔でも、空白だらけでも、子供が頑張ったところが思い浮かぶから、嬉しいのです。でも、赤の他人(大人)が同じようなクオリティの絵を描いて寄越してきて「どうですか!?あなたの似顔絵描きました!受け取ってください!素敵でしょ!」と言ってきたら、嬉しくないというか、迷惑ですよね。「あ、一生懸命描いたんですね、頑張ったね…アリガトウゴザイマス(とは言え、正直もらっても困るなぁ)」と、なると思うんですね。浅い写真というのは、このような「すごく主観的で、良いと思っているのは自分(と自分のことを好きな人)だけ」みたいな写真のことです。私は、写真を教えるからには、「浅い写真」で終わらせて欲しくないというのが根底にあります。そもそも浅い写真で満足なら、他人の講評を受ける必要はないし、高価な機材は必要ありません。子供が親に似顔絵を渡して、その母親の「ありがとう」で満足するように、その写真を評価してくれる身内同士や同じ感性の仲間と集い、褒めあえば良いと思います。けど私は写真をプロとして撮って見ている、赤の他人です。私が講評するからには、他人に伝わる写真、自分が言いたいことが伝わる写真を撮れるようになってほしいと考えています。だって、そうなった方が絶対楽しいからね。それで伝わる価値が写真の真価だと思っているのです。写真を撮りたい・それで何か表現したいという気持ちのある人の熱意をせっかくなら育てていきたいし、継続する環境を提供したい。それができるのが私の立場であり、役目だと思っています。世間では写真教室=サービス業になっていて、写真を教えてもらえるのではなく、特に難しいことは考えなくても写真が撮れる環境を提供しているようなサービスの方が多いみたいです。チンするだけで食べられるお惣菜みたいに、教室に申し込めば押すだけでキレイに撮れるよ〜。みたいな。そういうのは、私はあんまりやりたくないんですね。みんなが元々持っているものを引き出す手伝いをしたい。ずっとそういうスタンスでやっています。

幸いなことに私のオンラインサロンでは、ある程度写真を見て悩みや困っていることを聞いたり、表現したい方向性を聞いて、講評をして、そしてまた撮るということを繰り返しているうちに、多くの方が、何かしらメッセージやテーマ、その人なりの方向性や好みを感じられるようになることが多いです。その辺りは本当に人それぞれですし、時間がかかることも多いです。一方、なかなかうまく意思疎通できないことも正直あったりします。ある程度の落ち着きと、聞いて、考えて、試す力やオープンなマインド、好奇心は必要になると思います。

最初は「この人ってなんでこんなに変な写真ばっかりなんだろう……」と感じるような人も、話を聞きながら、撮影を繰り返しているうちに「なるほど、こういうことだったんだな」と写真が整理できてくることが多いのです。そこに本人の自覚(この観点が抜けてたから、今までの写真は伝わらないものだったんだな、のような感じ)が伴ている感覚があると、私はサロンを続けてきてよかったな〜と思える瞬間です(涙)みなさんいつもありがとうございます。

写真(というかあらゆる表現・芸術)は自己満足も大切ですが、人に伝わってこそな部分もあります。そのバランスも難しいですが、せっかくこの写真をカメラで撮るということを真剣にやっている人が少ないご時世に写真を本当に楽しみたい人と繋がれるのはとても楽しいし、有意義です。だから、その場をこうして継続できていることに、改めて感謝します。色々なところに住んでいるのに写真をいう共通の趣味で繋がれるってやっぱり改めて考えてもすごいことですよね。少人数制のオンラインサロンで、お待ちしております。


もしサポートいただいたらいつも他人に譲ってしまう傾向のある心やさしい旦那さまと、彼の大好きなカニを食べに行きたいです。応援よろしくお願いします。