佐藤さんから知る世界

最近、近所だけどあまり行ったことのなかったスーパーのポイントカードを作った。

先日、たまたまそのスーパーに立ち寄り、並んだレジの女性に「あの、ここのポイントカード作りたいんですけど」って訊いてみたら、その若い女性が笑顔で「ありがとうございます」って言って、僕の後ろにお客さんが並んでいないことを確認して、熱心に丁寧に時間をかけてカードの仕組みを教えてくれて即時発行してくれた。

あまりにも親切なので、いい意味で不意を突かれて嬉しくなって、その女性の胸のネームプレートをそっと見たら「佐藤」と書いてあった。

佐藤さん、佐藤さん、かあ。ああいう人がパートとはいえ働いてるスーパーはいいお店なんだろうな、なんか心が満足してクルマを家まで走らせてその日は帰った。

それから、週1、2度、そのスーパーで買い物をするようになった。生鮮だと、鮮魚は安いとか、調味料は明治屋並みに豊富だとか、お惣菜は高いなとか、少しづつこのお店の特徴を覚えていった。レジの人は4、5人いるので、毎回ではないが、佐藤さんがいると、ああ今日も頑張ってるんだな、お疲れさま、と心の中で呟いて、佐藤さんの列に並んだ。

今日もスーパーに行った。佐藤さんがいた。でもレジではなくレジそば近くのお惣菜のコーナーにいて何やらチェックしていた。

買い物を済ませレジに並んだ。佐藤さんはバックヤードに入って行った。レジを済ませ、奥の台に移動した刹那、「若いからって、あの娘も真面目ねえ。なんでも言うこと聞いてかわいいこと、ふふ」というレジの女性同士のおしゃべりが聞こえてしまった。振り向くと、そのお局的レジのおばさんたちは、佐藤さんが消えて行ったバークヤードの扉の方をニヤニヤして見ている。

一挙に了解してしまった。

僕の関係妄想だと思いたいけど、佐藤さんは、少しルックスが良くて愛想が良くて、若いということで快く思われない標的にされているんだと思ってしまった。

胸が痛んだ。そんな行為をして自分たちの卑しい気持ちに溜飲を下げているレジのおばさんたちに怒りを覚えたのではなく、これが、人の住む世界なんだという諦念が僕の心に植えついてしまった。

佐藤さん個人への同情、感懐だと思われそうだけど、そうではない。

これはこの社会のひとつのロールモデルだということだ。

なぜ、人は、組織は集団は、成り立つのか。それは、共通の敵、標的を作るから。それで悲しい団結力が生まれる。その、人の住む社会の性質を、スーパーという生活の断面で、自分が改めて思い知らされただけだ。

帰宅の途、なんともいえない辛さを感じた。僕にも、集団とは上手く交われない性質があると思っていて、佐藤さんの生きづらさを想い、このスーパーも、そこで働くレジのおばさんも悪くはない、これが社会だと、何度も自分に言い聞かせた。

佐藤さんが、僕みたいに過敏でなく、鈍感力があって欲しい。そうでなくても、佐藤さん自身の為でもあるけどそればかりでなく、この生きづらい、きれい事ではない世界が、万が一に起こる幸せの邂逅の場所であって欲しい。自分の為にも、佐藤さんの為にも、あのレジのおばさんたちの為にも、そして今日を生きているだろうあなたの為にも。理想バカで平和ボケの頭でそう思うのです、本当に。

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