自分の文体に思うことと、書くことに必要なマーケット志向について。

自分の書き方、文体を思うと、特にこのnoteに書き始めて、色々表現も増えて、内容も濃いものが書けるようになったと思う。ただ、感性などは自身、独特でオリジナルなものがあるようだと最近思うのだが、そのことを文章にする際に気になっていることがある。

文章を書き始めると、いいこと、いいポイントを捉えてはいるのだけれど、説明調過ぎるし、表現の言い回しも少し難解だと感じている。

なぜ、そのような表現至上主義、説明至上主義になってしまうのだろうか。例えば、前にnoteに上げた「東山魁夷展を観て。」(有料ですが、興味がある方は、読んでみてください)は、本当に自分としてはよく書けているし、感じたことその通りを書いたものになっているが、これを読んでくださった方にとって、その感じ方が十全に伝わっているかというと、かなり疑問が残る。実際に読んでみて、何を書いているのか分からない、という意見も多そうだ。これでは難解なさかしらな美術批評のような、一般性のないものでしかない。

分かりやすく書くということ、これが、自分の頭の思考回路にかなり欠落していることだと、改めて最近思う。「分かりやすい」と、「面白い」は密接な関係性があるはず。そこをもう少し意識して、自分の凝り固まった表現至上主義、説明至上主義からの脱却を図りたい、簡単に言うと、オリジナルな感性はありそうだから、それをもっと一般性を持った文体で書けるようになりたいと思っている。

また、面白いことを書くと言うことの話で言えば、どう言った分野のこと、映画、音楽、美術展、書評でもいいが、今、読者がいちばん知りたいことをテーマに持っていくことも、とても重要だと、最近感じるようになった。それは、noteでフォローさせて頂いている方が、分かりやすい文体で、決して難しい文章でもなく、とても毎回面白いので、何でだろうと少し考えてみたら、その方はマーケット志向が強いと以前noteに書いており、そのマーケティング力が、面白い、皆に読まれる文章が書ける大事なスキルになっているのだと考え及んだ。そのためには、もっと最近皆がどんなことに興味があるか、街に出て、看板でもいいし、本屋の人気本コーナーでもいいし、また、映画の興行ランキングでもいいから、アンテナを張って、これは、と言うものをリサーチしなければならない。時代の潮流というと、これもまた説明至上主義っぽくてあれだが、そういうトレンドをキャッチするマーケット志向も身につけたいと思っている。

まずは、繰り返すが、表現至上主義、説明至上主義の脱却、その分かりやすい文体の模索から、手始めに始めてみたいと思っている。

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