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AM5時のハノイには、既に喧騒があった。


【ダイアログ】
ホアロー刑務所内で、男性が女性に無理やりキスをしていた。女性は走って逃げていた。その形容はまさしく、牢獄からの脱走犯である。

礼儀正しいのか、無礼なのか。
どっちかにしてほしい!

椅子に座ってきて相席状態となり、お見合いでも始まったら断れる自信がなかった。

「私をつかまえたいなら、今しかないよ」



2023年の8月22日から8日間、ベトナム旅行に行く計画を立てた。この旅行では「ChatGPT-3.5」の言われるがままに旅行へ行ってみようと考えたわけである。「なんと現代的な旅行のたてかたであろうか。彼はきっと時代の最先端を歩む者にちがいない」。そのように考えてしまう方も大勢いらっしゃることだろう。全くもってその通りである。まずは、以下のスケジュールを見ていただきたい。

AIが考え出したスケジュール

Day 1:
ハノイに到着したら、ホテルにチェックインし、少し休憩して時差を調整します。ハノイの中心地である「旧市街」に向かい、歩いて散策しましょう。古いフランス風の建物、カフェ、お土産屋などが楽しめます。夕食は「フォー」を試してみてください。ベトナムの代表的な料理で、ハノイのフォーは絶品です。

Day 2:
ホーチミン廟、一柱寺、バオータン寺などの観光名所を巡りましょう。ベトナム民族文化博物館で、ベトナムの伝統文化や民族衣装などを学びましょう。


Day 3:
ハロン湾への日帰りツアーに参加しましょう。美しいカルスト岩の景色とエメラルドグリーンの海が楽しめます。クルーズに乗って島々を探索し、シースーニー(カヌー)で洞窟に入るのもおすすめです。


Day 4:
ハノイの郊外にある「デュオン・ラム」村を訪れましょう。伝統的な村の雰囲気が残る美しい場所です。夕方には、ハノイのウォーターパペットショーを鑑賞しましょう。伝統的な演目として楽しめるユニークな舞台芸術です。


Day 5:
ハノイの郊外にある「バト・トラン寺院」と「帝王陵墓」を訪れましょう。美しい景色と歴史的な建造物が魅力です。ハノイ市内で自転車またはカートに乗って、ローカルな雰囲気を楽しむのも良いですね。


Day 6:
ハノイの屋台で美味しい食べ物を試して回りましょう。バインミー(ベトナム風サンドイッチ)、ヌクム(魚のタレ)、バインチュン(春巻き)などを味わってください。オールドクォーターでショッピングを楽しんで、お土産を買いましょう。


Day 7:
最終日は、ハノイの自由時間を過ごして、ゆっくりと気に入った場所を再訪したり、探索してみたりしましょう。ホテルのチェックアウト後は、ノイバイ国際空港へ向かい、帰国のフライトに乗りましょう。

このプランで、ハノイの魅力と観光名所を存分に楽しむことができるはずです。楽しい旅行をお楽しみください!ただし、現地の状況や観光地の営業状況を確認し、旅行前にスケジュールを調整することをお勧めします。

ChatGPTより出力

AIが考えてくれたスケジュールによると、「ハノイ市とハイフォン市」を巡るといいだろうとの事だった。実際にハノイとハイフォンに宿を取ったのだ。しかしながら5回ほど迷子になってしまい、現地の方へ泣きつき、正反対の場所へと歩いてしまった。

ベトナム語はおろか、英語さえも喋ることが危ぶまれるのがこの私である。「彼はそうとうなアホにちがいない」と思った方もいらっしゃるだろう。ぜったいに否定させていただく。なにはともあれ、私の旅路を読んで欲しい。

ベトナム🇻🇳 1日目


福岡発 - ハノイ行き


ベトナムが運営する航空会社である「ベトジェット」に乗りこんだ。機内に流れている、ハイセンスなベトナムPOPが耳に残る。座席の長さはかなり狭く、176cmのボクは足を曲げるのにやっとである。エアコンの部分からは、コンコンと謎の水蒸気がでている。乗客を見渡してみると、日本人が3割、ベトナム人が7割ほどの割合だろうか。ベトナムの人々は、2席分を広々とつかって横になっている。

およそ4時間のフライトを経て、ノイバイ国際空港に到着した。気になるのが、入国審査が異様に長いのである。社会主義国だから、審査が厳格なのだろうか?よく分からん。

ノイバイ空港からでた。タクシーの客引きをすり抜けつつ、ホテルが手配してくれたタクシーに乗った。はじめてみるベトナムの車窓からは、半裸のおじさんが、高速道路のわきでハンモックをかけて寝ていたのが見えた。


ゴーフィン通り


30分ほどタクシーを走らせると、本日宿泊するホテルに到着した。「ゴーフィン通り」という、バックパッカーの集まる有名な通りに宿を取ったわけである。散策に乗り出そうとするのだが、急な雨に打たれる。ベトナムには雨季と乾季があり、この夏の時期は雨季であった。太平洋戦争を語る小説で読んだ「スコール」という言葉を思い出した。現実にある事を知りつつも、この身で体感したことは貴重だった。


バインミーの屋台


ベトナムにはストリート文化が深く根ずいており、屋台がどこもかしこも並んでいる。おそるおそる、その中の一つに顔を突っ込んでみた。フランスパンを使ったハンバーガーである「バインミー」を食べた。店員のおばさんの笑顔は、たいへんまぶしかった。はじめてベトナムドンで支払いをするのだが、0があまりに多いので計算に戸惑ってしまった。おばさんは支払いを手伝ってくれた。

夜は、ゴーフィン通りにあったエッグライスの店に入った。ベトナムの飲食店は、どこも入口に簡素なキッチンがあり、それを奥のテーブルに持ってきてくれるタイプが多かった。おそらくテイクアウト文化が根付いているので、すぐにお客さんに渡すために入口にあるのだろう。店員のお兄さんの笑顔は、たいへんまぶしかった。つい先日に韓国のドライな接客を見てきた私にとっては、衝撃の笑顔だったのである。


ロブスタ珈琲


散歩中に見つけた喫茶店に入り、ベトナム珈琲を飲んだ。味が濃厚でなかなか美味い。日本ではあまり飲まれない、ロブスタ種という豆を使っているらしい。ロブスタは苦い豆なので、練乳や角砂糖をいれて中和するのである。かつて珈琲研究会の会長をやっていた時の記憶が蘇ってきた。


ノンラーを被る女性


喫茶店で暇を潰しながら外を眺めていた。ひとつ気づいたことがあるのだが、みんな三角形の帽子をかぶっているのである。ベトナム人が被ってる麦わら帽子のようなものは「ノンラー」というらしい。この帽子はベトナム戦争の象徴として見られることもあるとのことで、今の若者は「古臭い」というイメージを持っている。

さらに気づいたことには、家電メーカーである「LG」やら「Samsung」やら、自動車メーカーである「起亜」やら、韓国企業を多く見かける。Kpopも大音量で流れている。両国の繋がりはかなり強いのだと感じた。


歩道はほぼ無いも同然


喫茶店で一息ついたので、ホテルへ帰ることにした。それにしても道が歩きにくい。ベトナムでは、50cc以下の原付バイクは免許不要らしい。どうりでおっそろしい運転をするわけだ。みんな原付でビュンビュン吹っ飛ばし、クラクションを鳴らして進む。その中をすり抜けるように歩いていくのだから、歩行者はかなり器用である。

ゴーフィン通りは幅が狭く、建物が密集して立てられている。そのせいもあってか、ホテルのバルコニー同士が丸見えだった。隣のビルに住む女の子と目が合って、笑顔で手を振られる。ぼくはへたくそな笑い方をしながら、なんとか手を振り返した。

8月革命を祝う看板


ホテルでしばらく休んだので、近くにあったホアンキエム湖という有名な湖へと向かった。道中では、赤い旗が大量に掲げらていた。何かと思って、Google翻訳で調べて見た。どうやらボクは、1945年に、日本軍による支配から独立した記念日である「8月革命」の時期に来てしまった。ぼくは日本人であるから、かなり気まずい。ホアンキエム湖を頭を下げながら歩いた。

ベトナム🇻🇳 2日目


ハノイ旧市街


原付が、わき目も降らずに歩道を走っている。なぜ歩道なのに原付が走っているのか、よく分からずにいる。相変わらず道路はバイクと車で混沌としており、歩行者は横断歩道を渡るのでさえも、かなりの技術がいるのだ。

この2日間で気づいたのだが、ベトナムでは英語があまり通じないのである。ベトナム人は外国人慣れしているので、身振りでもなんとか通じる。それでもなお不安が残り、「何がなんでも伝えなければ」と考える力が身についた気がした。


レーニン像

ハノイ旧市街を散策していた。「我々の国は、戦争でフランスとアメリカに勝利したのだ」という誇りをもっていることがヒシヒシと伝わってきた。さらにベトナムは社会主義国なので、ソビエト連邦 (旧:ロシア) の指導者であるレーニンの銅像があったり、北朝鮮の大使館・レストランも見かけた。これは日本には見かけないものであったので、かなりの衝撃を受けた。

何人かの人々と交流をしたのであるが、ベトナムの人々はかなり自信家な面があると感じた。堂々たる話し方や自慢話、自分の顔をアイコンにしていることで読み取れた。その一方で、「男性は働かない。心に傷がついているし、いつでも戦争に行けるようにしないと」とも教えてもらった。たしかに昼間から酒を飲む人は男性しか見かけない。


ホーチミン廟(ホーチミンの墓)


ベトナム独立の父といわれる「ホー・チ・ミン」の遺体が冷凍保存されている場所があり、運良くぼくも入ることができた。ベトナム戦争を指揮し、壮絶な人生を生きたホーチミンの遺体を見た。その顔はたいへん安らかであった。ボンヤリ見ていると、小さな子供が手を繋いできた。

その子の母親が連れ戻しに来たのだが、なかなか手を離さないので「君のお母さんはこっちだよ」と指を指すと離れていった。ホーチミンの目指した世界も、このような平和な世界だったのだろうか。

ホーチミン廟(ビョウ)から出ようとしたのだが、パスポートが入ったバックを置いていった事に気がついた。入口でのボディーチェックの際に荷物の検査があったのだが、そのまま預けられるのかと思って進んでしまったのである。近くにいた日本人の学生に声をかけて、バックをどこで貰ったのかを教えてもらった。結局、ベトナム警察をたらい回しにされ、無事に荷物保管場所で保管されていた。荷物保管係のベトナム人女性には、たいへんお世話になった。これまでの経験から、「ベトナムの女性は信頼しても大丈夫だ」という気持ちが根付いた。


バイクタクシーの男性


ハノイ大聖堂
墜落したアメリカ軍の飛行機

中年男性が運転するバイクタクシーで、ハノイ市街の周遊ツアーに連れていってもらった。料金を提示されて微妙なボッタクり料金だと気づいたのだが、サイフの許容範囲だったので了承した。年齢は30代で、生まれてこの方、ずっとハノイに住んでいるらしい。途中で飲み物を奢ってもらった。味から考えるに、ヤシの実だろう。まずまず美味しく飲んだ。


ホテル前の喧騒


バイクタクシーではヘルメットを着用しなかった。顔面に風が当たって、中々に体力が取られるので、1度ホテルへ帰宅した。帰宅途中で感じたことであるが、「人混みの中にホテルを取るべきでは無い」と強く感じた。まず人混みを通らなければならない面倒くささが勝つのである。ホテルの入口で、でかいネズミの死骸とゴキブリの死骸を見た。ベトナムのネズミは手のひらよりもデカい。

ホテルに帰宅した際、あまりに疲れていたせいだろうか、自分が入る部屋番号を間違った。その部屋の人が出てきてしまい、宿泊者であるベトナム女性から嫌な顔をされた。ごめんなさい。

しばらく休んだあと、またホアンキエム湖でダラダラ過ごそうと思って外へ出た。その道中にあった古い喫茶店に入って、練乳珈琲を飲んだ。珈琲を飲んでいると、救急車の音が聞こえてきた。日本と同じ音だった。


ホアンキエム湖


ホアンキエム湖でダラダラしていると、おばあさんが笑顔で話しかけできた。何を言っているか分からないので、無言で笑うしかなかった。

ホアンキエム湖で調べたのだが、東南アジアの多くの国では、女性が勤勉な一方で男性はあまり積極的に働かない傾向があるとのこと。中南米や東アフリカなどにも同様な傾向は見られるらしい。僕もそんな感じがした。

また、ベトナムでは兵役があるそうだ。対象者は18歳から25歳の男性で、期間は約2年間。今ここにいるほとんどの男性は兵隊なのかと考えると、その凄さを感じる。

警備をしている人の制服を眺めていると、灰色と緑色の2種類があることが分かった。警察は緑色、公安は灰色だそうだ。ベトナムは世界腐敗度ランキングで106位で、警察も賄賂が横行。あまり信用出来る職業でもないらしい。湖を原付で走っていた人が、警察から注意を受けていた。

ベトナム🇻🇳 3日目

コインランドリーが近くになかったので、下着を手洗いした。個人商店はあるのだけれども、学生の身分でそこまで贅沢をするべきではないだろうと考えたのである。技術の発展に深く感謝すると共に、世界中を強く生きていける気がした。


トレインストリートと僕


トレインストリートに行く途中で、バイクタクシーのお姉さんに話しかけられた。現在の年齢は24歳で、薬学を学びながら学業を稼いでいるらしい。つい昨日にバイクタクシーで微妙なぼったくりにあったばかりなので、お断わりした。しかしながら、「すぐそこだから」と言ってタダでトレインストリートまで連れていってくれた。

トレインストリートで写真を撮ってもらい、本当にそのまま帰ろうとされた。かなり申し訳なくなったので、走っていくバイクを急いで呼び止めて、「明日の朝にタクシーをお願いできないか」と伝えた。

明日はアメリカのお客さんから予約が入っていると断られ、「私をつかまえたいなら、今しかないよ」と言われた。ここまでやられたら、ぼったくられてもしょうがない。色々と諦めながらバイクタクシーに乗った。値段ポッキリでツアーをしてくれて、たいへん良かった。ビアホイ通りで下ろしてもらい、少しのチップを渡した。


ビアホイ通り
ビアホイ通り


ホアロー刑務所へ行った。ホアロー刑務所とは、共産主義を目指した革命家たちを捉えていた牢獄である。等身大の人形が作られていて、当時の状況をそのままに再現されていたので精神的に来るものがあった。「共産主義革命家」たちが英雄扱いされている状況を見て、異国を強く感じた。

ホアロー刑務所内で、男性が女性に無理やりキスをしていた。女性は走って逃げていた。まさしく、牢獄からの脱走犯である。

帰宅途中で、またホアンキエム湖へ寄った。ボクの横に座っていた警察官が、ホアンキエム湖の中へアイスクリームの袋をポイ捨てしていた。そのあと、お年寄りに席を譲っていた。礼儀正しいのか無礼なのか、どっちかにしてほしい!

ベトナム🇻🇳 4日目


AM5時のハノイ


AM5時のハノイには、すでに喧騒があった。ベトナム第3の港湾都市である「ハイフォン」行きの鉄道に乗り込むために、ハノイ駅へと向かっていた。その道中で、昨日お世話になったバイクタクシーの女性からメールが届く。「昨日の仕事帰りに強盗を見かけた。私は恐くて立ち止まってしまった。ハイフォン人は気性が荒いから、くれぐれも気をつけてね」。私は静かに通知を消して、しばらくは知らないフリをした。


ハノイ駅


特にトラブルもなく、ベトナム鉄道に乗りこんだ。ハノイ発 - ハイフォン行きの鉄道である。出発時の速度が電車よりも遅くて驚いた。鉄道だから、ずっとこのスピードでのんびりゆくのだろうなと考えて珈琲を注文した。全然そんなことは無く、結構スピードだされて珈琲をこぼした。

車窓を眺めながら感じたのであるが、ベトナムの道路はどこも混沌としている。「ベトナムの道路をつくろう」と思ったら、たくさんの緑の中に、コンクリートの破片とゴミを足すことで上手く再現できるだろう。


車窓から見たビル


車窓を眺めながら気づいたのであるが、ベトナムは西洋風の建物が多く、そのほとんどが「黄色い壁」と「赤い屋根」で出来ている。フランス植民地時代の建物がそのまま残っており、現在まで使われているらしい。黄色に塗られた壁は、フランス人の「南方」のイメージの表現だったとのこと。また、ベトナムでは赤土がでるので、屋根といったら赤色になるそう。

およそ2時間30分の電車に揺られて、ハイフォンに着いた。車窓では「KARAOKE」の看板をよく見かけた。はやっているのだろうか。


ハイフォンの喫茶店


ハイフォンの喫茶店によって、チョコレートを頼んだ。渡されたレシートに、Wifiの番号が書いてある。ベトナムの喫茶店は、どこに行ってもフリーWiFiがあるらしい。半日ほど粘ってもいいし、食料を持ち込んでもOKらしい。日本にも、この感覚を持ち込んで欲しい。しかしながら、このような経営で採算が取れているのだろうか。

この喫茶店の2階には、本日宿泊するホテルがあった。値段はわずか2500円だったのだが、部屋はたいへん綺麗だった。ランドリーやバスルームまでついており、幸せな1泊である。Airbnbというアプリを使って予約したのであるが、顧客はホテル側から評価されるらしい。これは新しい仕組みだと思って衝撃を受けた。


Airbnbは、ホテル側からも評価される

ホテルでのんびりした後は、夜飯を食べようと思って「バインミーUSA」という店に立ち寄った。「私は世界中に店を展開したい」と野望を抱く社長と2ショットを撮る。たいへん自慢のバインミーはとても美味しく、Facebookをフォローしてしまった。

▼▼▼ バインミーUSA
https://www.facebook.com/profile.php?id=100091389101369

ベトナム🇻🇳 5日目


ハイフォン北部の街


ハイフォン北部まで足を運んで、湖を回った。凄く綺麗な街並みとまばらになった人を見て、昨日までのハノイの喧騒を忘れていた。「ボクが暮らすなら、人が少ない場所が良い」と強く思った。それはそうとして、どこに行っても「コリア?」と聞かれる。顔面が韓国アイドルに似ているに違いないのだ。そう信じるしかあるまい。


イオンモール


ハイフォンにあるイオンモールに行ってきた。イニスフリーなどの韓国コスメが充実しており、興奮したボクは長居してしまった。フードコートでマクドナルドを注文。食べながら、「高校生の時の休日の過ごし方と変わらんではないか」と考えてしまった。

ハイフォンでは、カニと海老などの海鮮類が有名らしいのだ。さすがは港湾都市である。ボクの滞在していたホテルの隣には有名店があったが、海老アレルギーがあるので近寄れなかった。


豚骨ラーメン


日本料理屋である「吉兆寿司」に入った。甘いサイダーかと思って「ソーダ水」というものを頼んだが、炭酸水が来た。豚骨ラーメンと餃子を頼んだ。フルーツを持ってきてくれて、食べ方が分からないでいると店員さんが教えてくれた。お支払いの時に「あなたの困り方が可愛かった」と言われたので、「Thank you」と返した。返答はこれで合っていたのだろうか。

ベトナムのWiFiパスワードは全部適当だった。喫茶店のパスワードは「68686868」だったし、今回泊まっているホテルは「77777777」とかである。ベトナム人の性格が出ているのか、そもそもWiFiを勝手に使われることをなんとも思っていないのか。


ビアハノイ(100円)


「Win マート」というコンビニに寄って、ビールを買った。1つが20K (100円)と、めっちゃ安かった。日本のビールと味の違いが分からないボクにとっては、たいへん嬉しかった。

コンビニや個人商店をいくつか回ったのだが、「オリオン」という会社の作ったお菓子がたくさん売っていた。韓国の製菓会社らしい。ロッテやグリコも多く見かけた。やはり韓国との結びつきはかなり強いのだろう。

ベトナム🇻🇳 6日目


ハイフォン南部の夜


写真に写っている「COFFEE27」という喫茶店で、「エッグコーヒーのアイスでお願いします」と頼んだ。しばらくしてホットティーが来た。すべてが間違っているのだが、これはこれで美味しかった。

昨日とは別のホテルに移動した。部屋にはドライヤーがなく、髪がハネハネになってしまった。「料金を払うので、ドライヤーのある部屋を変えて欲しい」とお願いすると、ジャグジーとドライヤー付きのでかい部屋に無料で変えてもらった。海外の生活は主張してなんぼである。ホテルマンの心遣いに深く感謝した。

夜の街を散策して気づくのであるが、ベトナム人は、道の途中や店の中でも、人目を構わずにでっかい声で歌ってる。陽気で開放的な性格なのだろう。ボクがいる場所はハイフォンの日本人街であり、たくさんの日本食レストランが立ち並んでいる。テレビ画面にはソフトバンク VS 楽天の試合が映っており、2-1で楽天の勝利だった。


豚焼肉定食

街を散策していたらお腹がすいたので、適当な店に入った。なにも注文をせずとも、「Ok」と理解されて、勝手に料理がでてきた。豚焼肉定食をむしゃむしゃと食べた。値段はわずか300K (150円)だった。


猫と相席


飯を食っていると、猫に食事を狙われた。顔がとんでもなく小さい白猫であった。椅子に座ってきて相席状態となり、お見合いでも始まったら断れる自信がなかった。猫はアゴを机の上にのせて、こちらを上目遣いで眺めてくるのである。ボクはあまりに食事を与えたくなったが、やめておいた。

ベトナムの賃金は日本よりもはるかに低いはずだが、ホームレスのような人は今まで1度も見かけなかった。何故だろうと考えた時、商売を始めやすいのだと分かった。


ハイフォン南部の夜


ベトナムの至る所で喫茶店は乱立している。ストリート文化も根付いているので、路上でパラソルと椅子を置けば、あっというまに飲食店になるのだ。路上美容院や路上マッサージなんかも多く見かけた。免許不要のバイクタクシーもあれば、歩道にバイクを駐車するための管理人もそこら中にいる。それでそれなりに需要があるのだから面白い。日本でも、屋台の法規制を緩めてやればホームレスが減るのだろうか。

ベトナム🇻🇳 7日目


雨上がりのハイフォン


ハノイ行きの電車を予約した。ハノイ駅からノイバイ国際空港までを、この前のバイクタクシーの女性にお願いしようと思い、メッセージを送った。急にビデオ電話がかかってきて、まじでビビった。

ハイフォンの朝は雨だった。これまでお世話になった店を点々と眺めながら、ハイフォン駅へと向かった。その道中では2回ほどタクシーの営業にあったが、いずれも笑顔でお断りした。

ふたたび「バインミーUSA」に行き、バインミーと珈琲を頼んだ。この前も対応してくれた中学生くらいの女の子が注文を受けてくれた。「また来たね」と言ってくれたのが、感覚で分かった。パンを焼いてくれた。


ハイフォン駅前の喧騒


ベトナムの景色を振り返るとともに、あらためて日本の景色に立ち戻ってみた。ベトナム目線で考えてみると、日本の田舎には「ノスタルジー」という武器があったのだと気づいた。日本の田舎は衰退しつつも、整ったインフラや几帳面な国民性から生み出された美しい風景。これには哀愁がやどるだろう。最近はやりの「Lofi」と合わせてみても面白い。「ノスタルジー観光」なるものは、未だ日本にはないはずである。


ハイフォン駅前の広場


ハイフォン駅の近くにある公園で、ハノイ行きの電車が来るのを待っていた。まだ3時間ほど時間があまっている。周りの人々が木陰で昼寝しているのをみて、ボクも同様に床に寝転んだ。脇で走るエンジン音を聞きながら、二度と訪れることがない、最後のハイフォンを感じた。


最後のハイフォン


ワイヤレスイヤホンを耳に刺す。「ワインレッドの心」を聞きながら、また寝転んで外を眺める。この街は、かつての上海に似ている。ボクは上海に行ったことがないのだが、ボンヤリとそう考えてしまった。時の流れが遅いこの街で、ボクは1人で旅の終わりが近づくのを焦っている。そんなボクのことを気に求めることなく、みんなは昼寝にいそしんでいる。


鉄道へ乗り込む

ハイフォンをたって、ハノイ駅に着いた。既にバイクタクシーの女性が待ってくれており、「ハイフォンは楽しかった?」と聞いてきた。ハイフォンは穏やかで綺麗な街だった事を伝えると、笑顔でグッドを返してくれた。

彼女は「私のお母さんが、"日本人の彼に、タクシーで行くことを勧めなさい"と言った」と翻訳を渡してきた。たしかに空港付近はかなり混んでいるし、ボクが頼んだ時間はちょうど帰宅ラッシュであった。娘が原付で道を飛ばすのは危ないと考えたのだろう。

彼女は続けて「タクシーで行ったら、あなたが飛行機に間に合わないと思った。ほら見てよ。車が全然動いてないでしょ」といって道路を指さした。たしかに大混雑が発生しており、原付だけがすり抜けるようにして進んでいた。

「わざわざ来てくれてありがとう」とお礼を言うと、「OK。飛ばすから腰を掴んで」とボクの手を腰に回した。時速70kmの原付は、ハノイの夕焼けをハイスピードで駆け抜けた。

しかしながら、彼女は空港まで行ったことがないらしく、原付にナビも着いていなかった。どのようにしてたどり着いたかと言うと、バイクを運転する人々と並列運転をして、原付を走らせながら道を聞くわけである。互いに友達のように語りかける。名前や仕事も知らない人が、わざわざヘルメットを脱いでまで助けようとしてくれる。

バケツリレーのように道を聞いて運ばれていく様を目の当たりにして、ベトナム人はみんなで当然のように助け合いながら生きているのだと感じた。そのまま時速85kmの大台に乗った原付は、日本からの投資によって建設された大橋を渡った。

彼女は橋の向こうへと左腕を大きく伸ばして、「日が沈むよ!」とこちらに笑いかけた。ボクのコンタクトレンズは既に乾きかけており、今にも飛びそうなヘルメットを右手で抑えていた。沈んでいく夕日を見ながら、ボクは日本では感じたこと無かった人間の力強さと、優しさを感じていた。


ノイバイ空港

原付はノイバイ空港の前まで来たのだが、途中までしか入れなかった。ボクは「ここで充分だよ」というと、彼女は申し訳なさそうな顔をした。その後に通りゆく車を引き止めにいって、「この日本人を中まで乗せていってくれ」と必死になって走っていた。これを見ず知らずの日本人のためにやってくれているのだ。ボクは恐縮してしまった。

「僕の足は早いから、余裕で間に合うよ」と嘘をつき、彼女を安心させた。運賃とお礼のチップを払い、たいへん喜んでくれてハグをしてきた。「ベトナムにもハグの文化があったものなのか」とボクは驚いた。


ノイバイ空港

ここからが問題である。「この思い出をいつまでも覚えていたい。日本の紙幣をプレゼントしてくれないか。スマホのケースに挟んで、いつでも見れるようにしておきたい」と、このような翻訳が帰ってきた。

「いちばん安いものでいいから」と彼女は言うのだが、ベトナムの紙幣と日本の紙幣は価値が違うのである。ボクの財布には1万円紙幣しかなく、急な絶望感がボクを包んだ。

「硬貨ではダメか」と言うと、「それでも嬉しいけど、スマホカバーに挟めない」と言われてしまった。クソ。ちくしょう。ベトナムに1万円をくれてやる!日本はベトナムに多額のODAをしてきたではないか!あーちくしょう!

このように必死こいて自分を納得させた。学生の1万円はかなりデカイ。さようなら、ボクが愛した福沢諭吉。

彼女を擁護するとすれば、後日に大量のお礼メッセージが送られてきた。「家に帰って母に見せたらたいへん綺麗だと喜んでいた。日本に行くのが夢なので、このお金は絶対に使わないし、モチベーションに繋がるために大切にする」。ボクに言わせれば、そんな事はどうだっていいのだ。次にこの国に行くのは、インフレが落ち着いた20年後にしようと思う。

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