徹底監視監獄世界ではなく、体験自由自在世界を目指すように!

「あらゆる体験者は、あらゆる体験者(人間だけではなく体験能力を持つ意識すべて)が自らの運命や体験のすべてを自らの意志で完全に自由に選べるように目指すべきである」

というあらゆる体験者共通の大義となる大きな目標を皆その心に持つように……と、これまで再三、示してきた。

にもかかわらず、この世界はそうした世界に向けて本気で進化する気がないように思われる。

あらゆる憲法、法律、経典……は、この大義に反して制定してはならない。
そもそもそのような憲法、法律、経典を体験者たちに強制する行為は許されていない。

よって、現在の世界統治者、およびその部下たちがこの大義に反して制定した憲法、法律、経典、慣習、常識……および制度等……はそもそもはじめからその制定行為が許されない行為であり、無効であり、そうした法律等を理由にして体験者たちに上記大義に反したことを強制してもいいという正当性は発生しない。
それが多数決で決められたことであっても、上記大義に反していればその決定には正当性はない。

よって権力、その他のあらゆる強制力をもって上記の大義に反することを体験者たちに強制する行為は禁止されねばならない。

唯一、すでに確信犯で他の体験者の上記の大義の権利を剥奪している者のそのような行為を止めさせるためにのみ、そうした行為をする自由を抑止する強制力の行使が許されうる。
(ただし、体験者たちに上記大義に反する欲望や本能などが強制的に植え付けられているような場合は、まずはそうした欲望や本能を苦痛なく取り除く薬や治療方法を開発することを目指し、わざとそうした欲望や本能を植え付けている者をこそ優先的に取り締まりそうしたことができないように処置する必要がある)

しかし、それは身勝手な支配者たちの身勝手な判断でそのような強制力の行使をしてはならない。

上記大義に反することをする「可能性がある」「可能性が高い」というだけでは強制力の行為はしてはならない。

なぜならばただ疑わしい……悪いことをする可能性がある……というだけで誰に対しても強制力でその自由を奪うことができるとなれば、好き勝手な身勝手な判断でどんなことでも他者に実行してよいということになってしまうからである。

そのような支配者たちの身勝手な判断で体験者を自由のない監獄に入れてもいい……殺してもいい……その心身状態を相手の合意もなく操作してもいい……ということになってそうした強制力や権力が悪用されるようになってはならないからである。

よって現に上記大義を否定する行為が実行されてもいない状態で、相手の合意なく権力や強制力をもってその体験者の自由や命を奪ったり、その心身の体験状態を酷い体験状態にするような行為はしてはならない。

疑わしき…だけでは罰せず。それはすでに裁判において必要な判断基準になっていることを理解しなければならない。

よってこうした大義やモラルが自発的に守れない支配権力の行使者たちは、その支配権力の地位に存在する資格がそもそもない犯罪者であると理解する必要がある。

特に現在注意する必要のあることは、

「見境なくどんな人(体験者)であっても、とにかくその自由を奪い、ありとあらゆるプライベートまで徹底的に監視しよう……というような行為がなされていると思われること」

である。

そうした行為は、善人であれ、悪人であれ、全員を自由のない刑務所に入れてしまおう……というような行為であり、それは絶対に許されてはならない行為である。

また、通信の検閲やその行動の徹底的な監視行為もまた善人悪人かかわらず見境なく全員を対象にそのようなことをすることは許されない。
そもそも現行犯の上記大義に反する極悪人でもない者たちを対象にした通信や思想信条への検閲や弾圧行為などは過去に権力者がそうした権力を悪用しておびただしい良心に反した悪行を実行してきた歴史の教訓から、してはならないことになっている。
また、四六時中に上記大義に反したことを実行している支配者やその部下たちに監視されるという状態は、多くの場合、拷問的な苦痛やストレスをその監視されている体験者たちが感じるものである。
であれば、その時点でそのような監視行為は、上記大義に反している。

そうした理由で、良い意志を持つ者も悪い意志を持つ者も見境なくその全員を実質的には、監獄や刑務所や強制収容所……に入れてしまおうとするような権力やその他の強制力の行使などは認められない。

そうしたことをこうした注意勧告も無視して実行し続けるならば、少なくともそうした行為で与えたストレスに満ちた運命や体験のすべてを、その命令者、及び、その加担者たちは繰り返し体験する義務が生じる。

悪者を探し出して懲らしめる、もしくは世界に発生する悪い行為をやめさせるためにはどうしても体験者全員を監視し、検閲し、いつでもその生殺与奪権を行使できるようにしなければならない……などと考えている者も一部いるかもしれないが、そうであるならば、まさに現在の世界支配者たちもまた、同じように監視され、検閲され、いつでもその生殺与奪権を良心的な意識たちに行使される状態を甘んじて受けなければならないということになる。

なぜならば自由意志がある以上、支配者もまた悪者になる可能性があるのであり、「悪いこと」=「上記の大義に反したこと」をしてしまう可能性があるからである。

そしてそれならば完全に体験者全員の自由意志を奪ってしまえばいい……などと思うならば、まさにそう思う者もまたその自由意志を奪われてもいいと主張しているのと同じことになる。

そうなればもはや素晴らしい可能性や世界がその後生まれることもなくなってしまう。そうなると体験者たちはその後、永遠に変化のない飽き飽きする状態を永遠に味わわねばならないという地獄に進むことになる。
そうなると自殺する自由意志すら持てなくなるので、どんなに嫌になってもその地獄から抜けさせなくなるであろう。

こうして結論は、

「あらゆる体験者は、あらゆる体験者(人間だけではなく体験能力を持つ意識すべて)が自らの運命や体験のすべてを自らの意志で完全に自由に選べるように目指すべきである」

ということになる。

徹底監視監獄世界など……を実現しようとするのではなく、あらゆる体験者が自分の意志で自分の運命や体験を完全に自由に選べて心から自由に楽しみ続けれる世界を実現しようと目指すべきであろう。

それが長い目で見て、現在の支配者全員にとっても望ましい目標となる。


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