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貧すれば鈍するというけれどさ~中学生準備編~

そんなことを考えてばかりいる。

「貧すれば鈍する」というのは、「貧乏になるとその性質や頭の働きまでも愚鈍になる。」 (『日国』)という意味で、「鈍」は「愚鈍」の「鈍」すなわち、無知で間抜けなという意味である。

ジャパンナレッジ https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=70

どうしてそういう話をするのか。結論から言えば。いま貧乏だからだ。どう考えても貧乏だからだ。それは明日の食事もままならないようなレベルから、遊びに行くお金がない程度まで幅はある。そのどこに当たるのかといわれれば、子どもの中学校の準備資金の捻出ができずに頭を悩ますぐらい、である。

ぼくは、お金がない。いや、ここにも幅があるな。どのレベルかはっきりすると、生活に必要なお金(家のローン、食費、光熱費、通信費、税金)を差し引くとほぼ何も残らない程度だ。つまり、エンゲル係数が40%に迫る生活である。そう、とてもじゃないが裕福ではない。ああ、生活に必要なお金にはエオルゼアの市民税も含まれいるのであしからず。

つまり、収入=毎月の支払で消える。そのため、毎月のやりくりさえ気を付けていれば、なんとかなる。だが、お金はない。もっと言うと、余裕がない。そんな中、子どもが中学校に進学する時期がきた。そうすると準備にいろいろとお金がかかる。それは予想はしていたので、ある程度ためる努力をした(約10万だけど)し、両親にもそれとなく相談して援助してもらった。そして迎えた中学生準備シーズン。結論から言うと、足らなかったのだ。お金が。

どうしてこう足らなくなってしまったのか。大きく分けて2つの理由がある。一つは毎月の生活費が高騰してしまった。具体的には光熱費。あと、水道代。これが少し前の倍近くとなっている月もある。これが地味にいたい。もともとギリギリで設計している自分のライフプランは見事に崩れ、結果、貯蓄を切り崩すこととなった。そして、ためていた貯金も目減りするばかりか、こうして両親の援助を受けることになった。

もう一つの理由。それは、中学生準備資金の見誤りだ。つまり総額でかかる費用として、大きくわけて制服関係、ジャージやバックなどの必要品、ここまではある程度予測通りだったのだが、なんと、アレをわすれていたのである。それは何か。そう、自転車だ。

自転車。そんなもの、と思われるかもしれない。いや、僕もそう思っている。自転車なんか、いま使っているものがあるのだからそれでいいではないかといいたい。だが、中学校では「学校指定の」自転車でないといけないルールがあるらしい。

この学校指定の自転車。これが高い。とても高い。自転車がいま平均金額がいくらするのかは正直興味がないので知らない。だが、さきほどの「学校指定の」自転車は、おおよそ8万~10万。もっといいものはそれ以上、という価格帯だ。なんだその高級な「必需品」は。

それらを中古で手に入れられないか検討はしてみた。だが、そうするとやはりかなりボロボロである。これから3年とか、下手したら6年とか使うことを考えたら、とてもじゃないが持たないだろう。そうするとまた新品の自転車を買うことになる。つまり安物買いの銭失いになる危険性がはるかに高い。

そういう意味で丈夫な、自転車を指定するのはまああとから考えればわかる。だがしかしだ。こういった「学校指定の必需品」を、まるまる家庭の費用で賄えというのはなんというか教育の横暴ではないのかと思う。

家庭環境によっては買えるところとそうでないところがでてしまう金額だ。それを近所の知り合いから譲ってもらうなどするのだろうか。あいにく、私にはそういった知り合いがいないので、やはり中古店で買うか、諦めて新品を買うかという2択しかない。そしてあらゆる可能性を考慮したが、やはり先ほどの安物買いの銭失いという理由で中古は断念。新品で最低ラインを揃えることにしたのだ。

だが、最低でも8万。これを高いとみるか安いとみるかは、6年使うことを思えば安いのかもしれない。だが、それを「はい、中学校に上がるので8万はらってね」というのでは、初めての子どもが中学校に上がる自分のような親からすると寝耳に水だろう(税金でやれよ)。これは、両親から聞けばわかりそうなことではあるが、残念ながらそういったリサーチをしてこなかった自分にも責任はある。そこはもちろん認めるが、それでも、知らなかったからと言ってそれだけの過失で払える払えないという究極の2択に追いつめられるとは思わなかった。

世の子育て世代がどういった状況になっているのかはわからない。調べているわけでもない。だが、わたしは先ほど述べたように毎月の資金繰りで必死で、先のことを考える余裕がない。それが「お前が安月給だからだろ」と言われればもう何も言えない。そこに原因があることは重々承知している。

だが、どうだろう。ぼくは、数年前から生活を小さくすることを自分に課してきた。大好きな音楽との付き合い方も、これまでcdやレコードを所有する接し方から徐々にサブスクに変更。そしてついにはサブスクも解約。現在はTIKTOKである。エオルゼアの市民税は仕方がないとして、あとは、x(旧Twitter)の課金か。xの課金についてはもう何度やめようと思ったかわからないが、いまはまだその判断はできずにいる(これがずるずると費用負担増になっていることは分かっているが)。

あと。食費。これも対策した。コンビニで買うのを辞めた。いま、ペットボトルすら高級品である。おにぎりってなんで100円もするの?高すぎるよ。家から水と食料を持ってホットスナックを1個買う。これがぼくのランチである。

だが、光熱費はどうにもならない。先ほど言ったように、電気代も約2倍。水道代も2倍のときがある。先月は最高額を更新。具体的な金額を言っても仕方ないので言わないが、これには本当にびっくりした。いつもそうだが、光熱費は請求時に金額を知ることが多いので「ちょっと多いから減らそう」という考えになりにくい構造である。もちろん、毎日使用料をチェックするようなまめさがあればできなくはないが、そういったことを毎日考えることは、毎日株価をチェックして一喜一憂するのと同じくらいにストレスの原因になると僕は思っている。

冒頭に話を戻そう。貧すれば鈍するのだろうか。貧すれば鈍するが、ぼくに当てはまるのかという問いと言い換えていい。鈍しているのかぼくは。敢えて自分に貧乏を許容するようにしているのに。敢えてね、っていうと意識高い人みたいでちょっと癪だけれど。生活のダウンサイジング、ミニマム化といってもらえるとちょっとかっこいいなとは思ってしまうけれど。

それでも生活費が足りないような状況に陥ってしまうようであればそれは問題だろう。まさか自分がそういう状況になるとは思っていなかった。生活を一定に保ちながら日々の潤いをエオルゼアやsnsや音楽から得るという最高のエコシステムを構築したはずのこのぼくであるが、まさか光熱費や水道代で自分の生活基盤が脅かされる日が来るとは。

光熱費や水道代を削るには並大抵の努力ではできないだろう。なぜなら家族全員の協力が要る。それに当然、これまでのようなゆったりとした使用感ではなくなるため家の中でストレスを抱えることにもつながる。ああ、ここがとても嫌だ。蟹座で出不精で、HSP気質の僕にとって家の中は最高の安全地帯なのだ。そこに微塵でもストレス要素を残したくない。そのためなら、外食もすべてなくていいし、コンビニも上級国民だけの高級店でいいし、自動車ですら最低限のぼろでいい(ぼくの住む名古屋のはずれは車がないと生きていけない場所)。

つまり、現時点でストレスをかけずに削れるものはほぼないと思っている。食費を減らせないか検討はするが…。さきほどもいったように可処分所得の約半分を食費にとられる自分からするともはや不可能といっていいレベルなのだ。うーん、これは困ったぞ。

貧すれば鈍するという言葉を改めて思い出す。貧しているぼくは、確かに鈍しているところがある。それは新しい情報や今後のリスクに対する情報アンテナが鈍っているということだ。これをいうのであればその通りである。新しい情報や、起こりうるリスクを見て見ぬふりしているようでは、それは鈍していると言えるだろう。だから、貧すれば鈍するという言葉はやはり正しい。ぼくは貧した結果、起こりうるリスクに目と耳を閉じ、じっと家の中に籠ることで、まさにあらゆる感性が鈍しているのである。ああ。ごめんなさい、昔の偉い人。

あと、貧した人に最後に残された唯一のエンタメは、怒ることである。
まさにそのとーり!!うへえ。

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