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AO入試について

TwitterのトレンドにAO入試がワードとして上がっていた。

蓮舫さんが、高校生を集めて入試制度について議論させた会議のことをツイートしたのが波紋を呼んでいるらしい。

色んな人のツイートを見ると、AO入試は楽だとか、一般の人の方が苦労を知っているだとか、いやAOの人も努力しているとか、一般は公正な試験だとか、AOは貧富の差を拡大させるとか、云々、言われている。

ざっと見て、AO入試否定派が多いのかと思う。

まぁ、こういう議論自体長いことあったもので、推薦組と一般組との間に深い溝があるのは確かだろう。

今回は、事の是非は置いておいて、私の経験を踏まえて雑感を述べようと思う。


私は今の大学には推薦で受かった。指定校推薦ではない。自主応募制による推薦入学者選考とかいうやつだ。いわゆるAO入試として分類して問題はないと思う。

志望理由書に高校時代に頑張ったことや、大学でやりたいことを書き、学校推薦書を担任の先生に書いてもらい、小論文の試験を受けた。主にその3つで合否が決まった。

小論文の試験は主に2つの内容から成る。

一つは、15ページほどの文章を読み、そこに引かれた傍線部についての説明を300字×2つ書く。併せて、同じ文章に引かれた4行ほどの波線部を英訳する。これも二箇所。なので計4問。これを2時間でやる。これが一つ目の試験。

もう一つは、短めの文章を読んでそれについて自分の考えを書く。400字を1時間。これが二つ目。

難易度としては、形態がかなり違うので比較しづらいが、一般とそこまで差は無い気がする。そんな試験だった。

(そういえば、この試験のことをいうと、意外と聞かれるのが、「面接はないの?」という質問。

うん。無かった。

(だから受けた、という気持ちも無きにしもあらず))

そんな試験を受けたから、AO入試=面接だけ、とか、AO入試=一芸入試とか、AO入試はボランティアとか留学してる人が有利なんでしょとかいう意見を見ると、「AO入試の実際を知らない人がなんか言ってる」という風に思ってしまう。AO入試の為だけに、ボランティアや留学をする人なんかいるのかね。


ーーここから口調が乱れますーー


というか、別に楽じゃなかったんだが???

試験に受かるために、過去問を何年ぶんも漁って解いて、添削してもらって書き直して、英作文も書いては提出し、添削してもらって書き直して、試験は11月だから皆がまだそこまで追い込んでない時期に、(一般も受けるつもりだったから)一般試験のための勉強と並行してやって、楽できた印象なんてほとんどない。

いや、別に努力自慢をしたいわけではないのだが、なんか早期に受験が終わったっていうだけで「楽してる」なんて印象を持たれてる気がする。

AOを受ける人だって努力してる。

それが一般試験の人とは時期と方向が違うだけだ。

そこに優劣もない。

入学時の学力がどうのこうのとか、社会に出てからどうのこうのとか、そんなの誰が測れるのか。

大学に入って、社会に出て、伸びるとか成功するとかいうのは、試験の形態に依るのではない。その人がどういう意志で行動してきたかに依るものだ。

いや、分かりますよ、自分が頑張ってる中で、遊んでいる奴がいたらキレるし、努力して入った大学に推薦で自分よりもバカな奴が入ってたら自分の努力が無駄だったような気になるのも。

でも、それはAO入試が悪いんじゃない。遊んでいるのを見せびらかすような奴、バカを見抜けない大学が悪い。ただ、そういう奴は、それ相応にうまくやってその大学に入ってる。何もせずに口を開けていたわけじゃないはずだ。自分と同じ形の努力をしてないからと言って他人を否定するべきじゃない。

てか、そんな言うんだったら受けてみれば良くない?そこまで行きたい大学があるのなら。AO入試で早期に決まれば一般で沢山受ける分の受験料浮くし、かなりの親孝行よ?面接で言えるほど頑張ったことがない?そんな無気力な生活を送ってたん?それならAO入試のためでも何か行動を起こしてる人を責める資格はなくないか?

もちろん、AO入試のあるべき形はあると思う。第一志望で、かつ、勉強への意志が強い人を大学は取るべきだし、それが所謂青田刈りのように人を集める手段になるべきではない。生徒も、一般よりも楽そうだからといって志望もしていないところを受けるべきではない。それを待っているのは無気力な大学生活だ。

行きたいところ、学びたいところへの一つの手段として、AO入試は存在する。それは、一般入試と同等の然るべき選択肢である。そうであって欲しい。

ーー暴論終わりーー

大学入試の不公平さ、不透明さが嘆かれて久しい昨今、入試制度改革もあって受験生は大いに惑わされている。アルバイトをしている塾の生徒を見ると酷くそれを痛感する。

学歴社会がいまだに根強い日本社会においては、どの大学に行くかは人生を左右する問題であり続けている。現に、就活をして実感する。学歴がないと入れない会社がある。

だからこそ、きちんと努力が報われる制度設計が為されて欲しい。しかし、その努力を測る尺度は、一つに限ることはないのではないか。頑張り方は人それぞれだろう。

特別な体験や能力がなくてもポテンシャルを示せるのが一般入試であるが、だからといって全員をそれで測る必要はない。特別な体験や能力があったのならそれを示せる機会があってもいいだろう。その基準の違いは、そもそも大学がそれぞれの入試制度を実施する目的に違いがあるのだから、違って当然だ。一律には語れまい。

受験勉強に表れない努力を評価するオルタナティブな選択肢として、AO入試はあってもいいんじゃないかな、と思う。


なんか書き終わって見直したらとんでもないクソ駄文が出来てた。これが小論文を受けて文学部に入った大学生の書くことかよ。説得力ないな。


まぁ、なんでしょう、実際のところ、今一番言いたいのは、文科省がやろうとしてる入試制度改革は、今のところ悪でしかないので、大人しくセンター試験をそのままやってくれっていうことです。

そんな感じ。


失礼します。



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