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八雲立つ

過去ブログの転載です。

2020.6.19
 

自粛期間中は
WOWOWでたくさん映画を観て
アプリでたくさん漫画を読みました。


私は生粋のインドア派。
家にいることが全く苦痛ではなく
むしろ率先してstayhomeし続けたい。。
ずっとそうするわけにはいかないとは分かっていますが…
今だけは胸を張って家にいることができる幸せを噛み締めています。
さて、たくさん読んだ漫画の中でも
一番ハマったのが

『八雲立つ』

という漫画です。

マンガparkというアプリで読んでいました。
 
マンガparkは主に
白泉社発行の雑誌で掲載された
漫画が読めるアプリです。
白泉社といえば花とゆめですね~。
小学生の頃よく読んでました。
安定の白泉社です。
マンガparkは最初の数話は無料で、
後にフリーコインが必要になりますが
朝と夜の9時に
4話分のフリーコインが発行されるので
無料で1日に8話まで読むことができます。
 
八雲立つ を説明しようと思ったのですが
うまく説明できそうにないので
Wikipediaさんのお力をお借りします。
 


日本の神話にからめたお話なので
神話好きな方やミステリー系が好きな方は
きっと好きなはず!


主人公である二人、ナナチとクラキの
前世ともいえるお話も
古代編としてたまに描かれるのですが
これがまた胸熱なのです…。


その古代編「神問ひ」の中で
シャーマンとして神を下ろしたクラキが
とある国の王から
彼が見せられたビジョンは何なのか、

「答えてくれ神よ!」

と問われます。
神と一体化したクラキは

「語らぬ。神とは語らぬものよ。

 そなたの見たまま、それだけが答えなのだ。」

と返すのですが、こ・こ‼️
 
私もまさに、「神とは語らぬもの」
と思うのです。
 
「ああしなさい。こうしなさい。」
と自分に命令してくる
目に見えない存在がいるとしたら
それは疑わなくてはならない、
それは決して「神」などではない、と。
 
私がこう思うに至ったのには訳があります。
私の祖父は八百万の神を信じていて
幼少期より
「火の神様、水の神様、木の神様、森の神様、海の神様、、神様はいろんなところにいるんだ」
と教わって育ちました。
両親が共働きだったため
祖父が私の面倒を見てくれましたが
今時の「じいじばあば」たちのような
かわいいかわいいというかわいがり方ではなく
お箸の持ち方を教えてくれたり
ひらがなの読み書きを教えてくれたり
「誰も見ていなくてもお天道様は見ている」
と教わったり。
 
なんというか
人間としての基本を教えてくれた人でした。
 
一方、私の母はクリスチャンで
唯一無二の「神様」を信仰していましたが、
幼心に不思議と矛盾は感じていませんでした。
 
母の信仰する「神様」も
祖父の言う他の「神様」と同じように存在している、
そう思っていました。
 
私はとにかく「イイコ」でした。
親や祖父の言うことを信じて
非行も反抗もせず
いつもおとなしく本を読んでいるような子でした。
 
だけど19歳になった頃、
アトピーがそれはそれはひどく悪化してしまいました。
毎朝、枕に湿潤液で顔が張り付いて
それをべりべりとはがし
顔を洗ってもその体液は止まらず
アトピーがひどすぎて学校を休むこともしばしばでした。
私は毎日神様に祈りました。
「健康な皮膚をください」
「いいこにしていますから」
「悪いことなんて何もしませんから」

しかし祈っても祈っても
アトピーは良くなりませんでした。
 
すると段々、こんな思いが芽生えます。
生まれながらに健康な皮膚を持っている人もいるというのに…
私はこんなにもイイコにしているというのに…。
私の願いはいつまで経っても聞き入れられることはなく
そう、今でも私はアトピー体質のままです。
 
どんなに祈っても願っても
「神様」はそれを叶えてくれはしない。
そうだ、そもそも神という者がいるとしたら
何故、世界中から戦争が無くならないのか。
残虐な暴力がなぜ無くならないのか。
なんの罪もない人たちが
通り魔に襲われたり
殺人事件に巻き込まれたりするのは何故か。


そこで私は気づいたのです。
神なんていない、と。
いたとしても、それはただ居るだけ。
ただ存在して、ただ、
人間たちがすることを見ているだけ。
それが「神」なのだ、と。
 
それから私は信仰を捨てることに、、
したつもりだったのですが
三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので
染み付いてしまったものはなかなか消せませんでした。
でも、19年間信じていたものが覆る、
というのはものすごい経験でした。
そこから数年(数十年?)かけて
神なんて居ない、いや居る、居るけど
ただ居るだけ。
そんな思考に落ち着いていきました。
 
神とはただ、我々を見ているだけの存在。
救いを求めたり何かを願うのは間違ってる、
今もそう思っています。
 
八百万の神、のほうがしっくり来ます。
至るところに神様はいる、
だけど「それ」は
私たちに何かを求めたり
私たちの願いを叶えるような者ではない。
そんな確固たる想いが
私の中にはあります。

『八雲立つ』に戻りましょう。
 
王が自分に都合の良いようにビジョンを解釈し、
クラキの元を去った後、
クラキはこう言います。


「人とはおろかな。
私はただ流れ込む幻想を見せるだけ。
所詮、己の欲した答えに幻想を合わせるだけではないか。」


ウンウン…( ´・_ゝ・)
 
私も
人は自分の見たいものを見るだけ、
聞きたいことだけを聞くものだと思います。。
物語は最後こう締めくくっています。
 
「それでも人は
 問わずにはいられない。
 神よ、何故に、と…」
 
ウンウン…そうなのですよね…
いないと分かっていても
問いかけたくなる時もあるのです。。
それはもしかしたら
自分の中の「内なる存在」に対しての
問いかけなのかもしれません。
 
八雲立つ とにかくときめきますオススメです‼️


引用元:樹なつみ 著 「八雲立つ」神問ひ編

ここまでは2020年に書いたものですが、今この時期(2022.7月終わり)に読み返すと、なんだか現在の世の中にこそこういう考えは必要なのではないかという気がしてきます。

世界中で日本が一番、例のカルト団体の被害が大きいと言われています。

なんでそんなにたくさんの人が引っかかるのか。あれはもはや宗教ではなく、ただの詐欺集団なのに、それを宗教だ救いだと信じてしまう人たちには、「宗教」の素地が無かったのではないかと思っています。 

私が祖父や母から受けたような家庭内での宗教教育が、実は大人になってから怪しいカルトに引っかかることを防いでくれていたのかもしれない、そんなふうに思います。


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