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感動は素材に依存しない

子供が遊びで家を作る時、木の板で作るのか、それともダンボールで作るのか、そのどちらかで子供の感動的な体験の質が変化すると思いますか? 心の動きは、外の何かで変化する事はありません。外の何かを使って、あなたが自分の心を映し出し、それに感動したり幻滅したりするのです。 あなたが自分の素材はダンボールだからという理由で、家を作るという感動的な体験を、やりたいのにやめておくといったことは、あなたの心が疲弊するだけです。 あなたの作った物に感動する人々はあなたの使った素材にではな

    • 表現

      色んな表現があって、自分は全然好きじゃなくてもそれを評価する人は沢山いて。ああ、色んな表現があっていいのだと思えた。 だからこそ、自分は自分の表現をしようと思えた。だって自分は、沢山の素晴らしい表現の中の一つにしか過ぎないのだから。

      • 地球レポート

        コーヒーを飲んだら、パンが食べたくなった。食パンを焼いて、バターを塗って食べたら満足した。焼くだけの一手間で幸せになった。愛ある一手間を、私はぱくぱく食べて幸せになる。 愛しい景色に心を打たれるたび、自分はここで何をしたいのだろうと思う。溢れる想いに応えるように、地球は私の心を映し出す。地球の夢を、今日も私はみている。夢から退場するまでは、私は私を生きようと思う。

        • 怒りと火

          怒りを覚える出来事があったのだが、その後夢でこんな夢をみた。 怒りとは火です。煙が出ている場所にいれば、火が出るのは自然なこと。あなたに必要なのは、火が出たらすぐに消すことではなく、煙の出ていない場所に移動することです。 そして煙(怒りにまつわる不快感)に気づけるようにしましょう。あなたが怒りを覚えた相手は、あなたに風を送っただけ。あなたが煙の立つ場所にいなければ、風は通り抜けるだけなのです。 とのこと。納得。

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        • イラスト
          2本

        記事

          タイトル無し

          おいおい知ってるぞ。金のために芸術の表現をしているやつらがほとんどなんだろ。自分の魂をかけて表現しているやつなんてほとんどいないんだろ。救いはほとんどなだけで、いるにはいるだろうってことだ。俺は金のために表現したくない。金のために生きるなら、自分の命は誰か他の子供とかにくれてやる。生き延びるために生きてはいないんだ。ただ魂をかけて生きて行きたいんだ。保身も地位も名誉もいらんから、自分の命を輝かせたい。生きてきたものを爆発させたい。自分の命に炎を灯したい。 ただ自分の心をみて生

          タイトル無し

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          めぱち

          photoshopで初めて動画つくりました。目をパチパチさせるだけです。 youtubeに投稿しないとnoteにのせれないのはちょっとめんどくさい・・・

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          ラーメン(#テレ東ドラマシナリオ)

          #テレ東ドラマシナリオ ④聞こえるはずのない声 二流漫画家とコメントされたことを気にしている男性(26歳) ある日友人とラーメン屋に行くと、ラーメンが喋っていることに気づく。自分に妄想だと言い聞かせなんとか友人にバレずに済んだが、その後自分の彼女からB級グルメラーメンフェスに誘われてしまう。 あちこちからラーメンの声が聞こえる中、彼女にバレないよう振る舞う男性だったが、自分の買ったラーメンが彼女の財布がなくなっていることを指摘する。男性はラーメン片手に犯人を探し出す。B級

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          春夏秋冬

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          森羅咆哮!

          シャドウバース森羅咆哮きましたね! ラティカちゃんがお気に入りです。ボイスの気だるそうな感じが出つつ、溢れる強キャラ感がたまらない。「草ー」のボイスが特に好き。リザのスキンも当たったのでラティカちゃんと共に自然エルフで頑張りたいのですが、リノセウスデッキ以外はエルフあんまりなのかな?リノセウスはあんまり好きじゃないので他のデッキで頑張りたい・・。 今回のパックはやっぱり、全体的にカードパワー強めに感じます。ナテラというドローソースが全体に配られたのも大きいのかも。みんな分

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          絵を描く喜びはただ側にいた

          絵を描くのが辛かった。自分でジャッジをしていたからだ。他の絵と比べて自分を貶めていた。辛さしか感じれなくなった時、自然と絵を描くのをやめていた。気持ちをごまかしてまで絵を描くことはできない。 本当にただ諦めていた。自分の絵に価値はない。お金にもならない、人から褒められるわけでもない。間違いじゃないでしょ、と。でも描きたいという気持ちは度々現れた。そして少し描いて、自分でジャッジして終わり。こんなものに価値はないと。 でも絵を描くことの価値は、そういうものではなかった。

          絵を描く喜びはただ側にいた