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自己肯定感を上げる子育て?とは

  ※目安:約2500文字

最近、世の中で
「自己肯定感を上げよう」みたいな言葉が広まり
身近なところでも頻繁に耳にしていて
ここ一か月で何度この話題になったかというほどです。

先日は
「自己肯定感の低い子どもになったらと考えると
怖くて子どもが欲しいと思えない」
的な
不思議なご相談をいただいたので
自己肯定感にまつわる
個人的な考えを書きたいと思います。

もし興味を持っていただけたら
ぜひ最後までご覧くださいませ。

1.ご相談への答え

まず、こんな感じの質問をくれた人には
「前提として子どもは大人の思い通りにならないので
あまり気にしない方がいい」と答えました。
第一、子どもは一つの人格なので
意外と全て生まれ付きの資質みたいなものがあると
感じてきているからです。

というのも
自分自身も世に言う自己肯定感というものと縁遠いというか
自分に自信を持つことがあまりなかったというか
そういう感じだったので
息子が同じような人間に育ってはいけないのではないかと
注意をはらいつつ息子と接してきたつもりですが
幼稚園に行く頃には
すっかり自分と同じような子どもになっていた。
そんな経験があったからです。

それと、子どもが欲しくないという点においては
絶対的にいなければいけない存在ではないんじゃないかな、と
実はちょっと思っています。

成長過程で
親がいろいろしなければならない事があります。
離乳食期とか、トイレトレーニング期とか
そういう類の自立にかかわるものです。

その時期に親の計画通り進まず
その後、意に反して
文字通り自分の二世が完成してしまった我が家では
「そういうものなんだな」というのに
早く気づけたのかもしれません。

生活面だけでなく学習面や将来性まで
親が「こういう子どもにしたい」という理想を強く持ちすぎるのは
子どもの人格を信じていなかったり否定していたり
間違った期待をかけている場合も
たぶんあるんじゃないかと思っています。
親が否定していたら、子は肯定できません。

親が持つ「子の理想像」に向けた計画に
子どもがついてきてくれている場合は
たまたま子どもにその資質があって
拒絶せずに付き合えるほどのエネルギーが
偶然備わっているからだと思っていて
その場合は親の望む結果が手に入りやすくなるだろうけど
もしも親の理想と子の資質の相性が悪かったら
……恐ろしいですね。
なので、過度な期待は危険だと思います。

2.自己肯定感とは

自己肯定感の上げ方など検索してみると
自分自身を日々ほめたり
小さな目標を日々叶えようと行動したり
それによってガンバリを周囲に認められたり
そうやって低かった自己肯定感を高めた
という人の発信をみかけることがあります。

起こった事象に感謝したり
頑張った自分を素直に認めたり
そういうのはあっていいと思うし
モチベーションを保つのに有効とは思うのですが
それが自己肯定感を上げる方法なのかというと
少々疑問に思っていました。

自他の誉め言葉や承認の声に気分がよくなるのは
「自己肯定」ではなく「満足」「優越」じゃないのかな
と感じたからです。

自分の思う「自己肯定感」とは
その状態が良くも悪くも
これが自分であると肯定するだけの感情
なのではないかと考えています。

それと「自信」
自分を信じる力は別だと切り分けています。

つまり
現在の自分の姿をきちんと見る事ができる力であって
上げたり下げたりするものでは
ないんじゃないかな、と思うのです。

そこから自分自身を良くしたいと思うのは別の力で
「良く」というのは
当人の価値観が強く作用してくるはずです。
周囲の「良い」に応えて賞賛を得ようと言うのは
つまり承認欲求です。

なので、理屈っぽい人間だと言われても
「自己肯定感が低い子どもには
たくさんほめて成功体験を積ませて自信をつけ
自己肯定感を上げてあげる」
という言葉には素直にうなずけないのです。

更に言うと、最近ちょっと目にしたのですが
「ほめない、おこらない、育児」というのも
何も認めないという事なのかな?
褒められも叱られもしなかったら
何の自覚もできないんじゃないかな?
と、若干疑問です。

3.自分二世のその後

幼稚園入園の頃
文字通り自分の二世という感じに育った息子は
その後の幼稚園生活も
小学校生活でも
かつて自分自身が抱えていた問題に近いものを抱えていて
こうやって自分のような人生を歩むのかなと
思っていたのですが……

たぶん今はそんなに似てないのです。

別に特別な何かをしてきたわけではなく
してきた事といえば
その時々の変化や問題に寄り添って
一緒に解決する方法を考えてきただけです。

そして、一緒に考えてはきましたが
最終決定者はほぼほぼ本人です。
幼稚園の頃からずっとです。
お弁当の中身を毎日変えないでほしいと言ったのも本人です。
小学校に通わないのを決めたのも本人です。
高校に進学をすると決めて塾を決めたのも本人です。
したい仕事を見据えて今後の進路を決定したのも本人です。

もしかすると
生まれ持った個性で『息子自身』が選択決定していく中で
自分が過去に選択してきた人生と違う分岐を迎え
本人なりの人生に乗って行けたのかもしれないと
少し感じています

長くて遠回りだったとは思うけど
これが息子には最適距離だったのでしょう。
自己肯定感というのは自分自身をちゃんと見る力で
上げたり下げたりするものじゃない。
我が家の場合はそれでいいんだなと思います。

ただ、これらは
二人家族だったからこそできたのかもしれないと思う部分もあるし
親子の姿は各家庭で違っていていいとも思います。

でもやっぱり子どもは一つの人格なので
親の思う通りにはならないし
自分の未来が見えないように
子どもの未来も見ることはできません。

考え方はいろいろなので
「こうだ」というつもりはないのですが。
こういう実例もあるということです。

4.つまり

冒頭の質問をくれた人は
少し気が楽になったと言ってくれました。
その場に一緒にいた
小学校教諭をしている人も
とても分かるし、
教師としても父親としても
似たような感覚を日々実感している
と言ってくれました。

でも、これはあくまで一例なので
子どもと親の向き合い方というのは
子どもの数だけあると思っています。

そこに絶対的な正解などないんじゃないかなぁ
「こうしてあげなきゃ」なんて
間違いのないレールを探すのではなく
その時々を適切に関わっていければいいのだと思います。
まぁ、それも一つの形でしかないんですが。
結局全て解決できる正解なんて、幻想ですね。

最後まで読んでいただきありがとう
ではではまたまた

梅本 龍

最後まで読んでいただきありがとうございます!