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個性とは結局何なんだ

  ※目安:約3200文字

結構長いこと
見聞きを広げていけばいくほど
違う視点に気付かされて

自分の視点がおかしいのかなと思いつつ
人それぞれだと開き直る自分もいて

共感されることは少なくて
気の利いた事が言えなくて
ならいっそ、1人でいることの方が楽だなぁと
一歩ひくのに慣れて
決して我慢してるわけではないから
哀しいわけでも寂しいわけでもなく
それが苦にもならない人生です。

でもやっぱり
人間は一人では生きていけないので
ならばみんながそれぞれに
お互いも自分自身も尊重できたら
きっとみんなが少しずつ生きやすくなるよなぁ
というお話です。

1.自分の波形

もし、こういうグラフが読める方がいたら
見ていただくのが一目瞭然だと思うのですが
ある検査をしたときの結果です。
つまり、これが自分の能力的な個性のようです

『言語』『記憶』などのワードがあるところが
極端に低いですよね

これが自分にとっての劣等感
・一時記憶が苦手
・頭に浮かんだ事が言葉になるのに時間がかかる
などにつながる部分なのかもしれない
ということが分かったんですけど
それを教えてくれたのは心理士さんでした

心理士さんは所見もいろいろ書いてくれて
結果から分析できる自分の性質とか
思考パターンからのアドバイスとか
いろいろ教えてくれました。

凹対しての劣等感が強いのは
凸が凸すぎる故だとも教えてくれました。

でも、なんかこのグラフを見た時
自分の形が見えたような気持ちになって
この凹を埋めようとか
ガタガタしたグラフを滑らかにしようとか
そういった気に全くなりませんでした。

そうなのか。これが自分の波形か。

そんなふうに思ったわけです。
「現状を受け入れた」と言うと
もしかしたら聞こえがいいのかもしれませんが
いい意味で頭が悪かったからこそ
この結果をどうにかしようとか
思わなかっただけかもです。

2.つまり単純ってことじゃないか?

この検査と同時に
全部で三種類くらいテストしたので
所見としては総合的に分析されたものですが

その中で
・非言語的な視覚情報(概念)の理解
・目から入る断片的な情報の統合
・法則や解法の理解
などが特に得意と書かれていて

だからこそ
「客観的」「合理的」
という性質を持っていると指摘されていました。

これらを説明されて
自分の中に落とし込んでみたら
つまり単純ってことじゃないか?
と、自分の普段の思考とベストマッチしたのです。

目に見えた物を事実として見て
合理的な法則をみつけたら
自分にとってはそれが正解
……みたいなところは確かにあります。

何事にもシンプルを求めがちなのは
こういうところなのかなと思いました。

3.期待に沿う答えが言えない

一方で
・大きくなったら何になりたい?
・好きな先輩できた?
・誰の音楽聴くの?

生きていれば聞かれる
こうした質問の数々ですが
結構こういうのに困っていました。

大きくなったら

最初にこの質問で困ったのは
幼稚園の時の卒園アルバム?みたいなものに
書くネタ?として聞かれた時です。

大抵職業のことをきかれていると思ったので
手近なところで親の職業を答えました。
でも、心の中では
別になりたい職業ではありませんでした。

たまたま知っていた職業だっただけです。
この答えを聞いて
周囲の大人がどう思うか
なども全く考えてなかったです。

大人はどうしてこういう事をきくのかなぁ
今から決められるわけないのになぁと
漠然と感じていたんですが
その後進路を決めるころには
もっと早くちゃんと考えておけばよかったと
プチ後悔することになります。

好きな先輩?

中学生になって陸上部に入ったら
間もなく二年生に囲まれて困った質問。
「好きな先輩できた?」

いやいやいや、中学生になったら
憧れの先輩って作らないといけないの?
と内心疑問だらけでハテナを浮かべつつ
少し面倒くさいなぁと思いながら
「まだよくわかんないです」と返答。

女子中学生はそういう話題が好きなのかなぁ
と困惑したものの
やがてアキレス腱をケガをしたので
陸上部を辞めることになって
次に入った吹奏楽部では
特に何も聞かれなかったので
たまたまその先輩たちが好きな話題だったのかな
と思うようにしました。

でも対人関係にサッパリしすぎるのは
やっぱりあまりよくなかったなぁと反省し
もっと人に興味を持つ子ども時代を送ればよかったと
これまたプチ後悔するのです。

誰の曲聴くの?

これは作家でも芸能人でも
良くきかれがちな「好き」の話題ですね
クラシック音楽だと有名作曲家とか
歴史上の有名画家とか
好きな傾向を知るには
良い質問だと思うのですが

特に好きな分野ならともかく
そんなに思い入れのない分野だったら
その時そのタイミングで
気に入ったものを見聞きするので
多少傾向はあるかもしれませんが
固定で好きな有名人などは特にいませんよ

と、今なら言えます。
大人になって
言葉で頭の中を多少説明できるようになったので。

ただ子どもの頃は
その概念を言葉にすることが難しかったので
「別にいない」
と言うのが精いっぱいだったから
そこで話は終了します。

まぁつまり、こうしていたら
ただでさえ脆弱な凹の能力が
人との関りがシンプル過ぎる故に
更に経験を積む機会を失いますね。
そのせいで今みたいになってしまったのだとすると
やっぱりプチ後悔です。

4.でも後悔が「プチ」なのは

子どもの頃の自分は
イメージが頭の中で先行して広がりすぎて
瞬時に適切な言葉選びができないために
頭の中と話し言葉の間に
ギャップが生まれているという事に
気づいていませんでした。

次第に上手くいかない人間関係が
若干面倒くさくなって
逃げていったわけです。

ただ、言い訳ではないのですが
大人になって今になって
一周回って「別にこれでもいいじゃん」と
思えるようになってきました。

小さな時は
同調とも言える共感であったり
平均値であったりふつうであったり
そういうものが求められがちなのに対して

大人になると
そうではないものも許容される世界があるからです。
勿論ベースに「共感」や「ふつう」があれば
尚良いのかもしれませんが
それがなくてもある程度大丈夫です。

確かに
面白いことを言ってみようかな
などと思って頑張って発した言葉は
大抵共感を得られず面白くないし

逆に場を和まそうと言ってくれた
ユーモアを全く理解できず
期待に沿った反応を返さないので
場を冷たくしてしまうこともありますが

「こういうやつなんだな」

と思ってもらえれば
無理して面白発言をしようと努力せずに
いつも事実に基づいた事だけ言っていても
気を遣ってユーモアを織り交ぜた一言を言おうとしなくても
逆に、特に言う事がなければ無理せず黙っていても
周囲はそれで受け入れてくれるようになりました。
こちらが変なことをして空気を凍らせてしまうよりは
よっぽど潤滑に場が回るとお互いが理解できたからです。

大人になってからそういう経験をしたので
「堂々と、ちょうどいい個々を生きる」
という言葉が自分の中から出てきたのだと思います。

だから検査結果を見た時に
こんな波形を持っているのもアリなんだな
と感じたのかもしれません。

5.みんな、それぞれの波形がある

冒頭の検査は
医療的に必要じゃない場合に行うと
保険が適用されないので
費用が結構掛かるみたいですが
もしもみんながこういった検査をしたとしたら
みんな違う波形が現れると思うのです。
指紋みたいに。

このことに気付けたのは
きっとガタガタの波形を持っていたからこそで
人との関係に難があったからこそで
それでも接してくれた人がいてくれたからこそで
そんな自分だからこそ
これからできる事もあるんだ、と信じています。

話し言葉は苦手だけど
時間をかけて言葉を選べる書き言葉なら
頭の中との齟齬が減るなというのにも気づきました。
それもきっと個性なのですね。

みんなそうやって
自分の波形を磨いていけば
良いんだと思ってます。

同時に、違う波形を持つ周囲の人も
ひとつしかない波形を持つ自分も
ちゃんと尊重して
みんながちょうどいいバランスで
堂々と生きられたらいいなぁ
という理想は持ち続けたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとう
ではではまたまた

梅本 龍


最後まで読んでいただきありがとうございます!