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【小説】KIZUNAWA⑲        休日・上田市陸上連盟

 限られた時間は残り一週間になっていた。駅伝部部員とサッカー部・陸上部の部員に集合が掛かったのは金曜日の放課後の事である。
「明日の土曜日は駅伝部の練習を休みにします」
宮島は村田の了解を取ったうえで部員に告げた。
「休んでも大丈夫でしょうか?」
雅人が不安そうに聞く。
「張り詰めた糸は切れやすいものです。残り一週間です。心と体を休めて日曜日から再開します」
宮島は雅人の肩に手を置いて「君たちは頑張り過ぎです」と言った。
「それと、京都入りは木曜日にします。現地コースを二日間行って土曜日のレースに挑みます。ただし、西之園君と楠君それと広江さんは火曜日の朝に出発して下さい。特に三人は、現地練習を無理せずに行いコースの雰囲気に慣れましょう。宿の了解も得られましたので桜井さんお願いします」
「かしこまりました。移動はお任せ下さい」
いつの間には小講堂の隅に桜井が立っており、その声を切っ掛けに桜井は全員の注目を浴びていた。
「最後に、生活面は桜井さんにお願いしますが、走行技術やコースの相談はこの方たちに行って下さい」
宮島は茉梨子にメモを渡した。メモには仲長孝(なかおさたかし)、藤咲保男(ふじさくやすお)の名前と電話番号が書かれていた。
「この方達は?」
「私たち教員はそれぞれの引率があります。この方達は上田市陸上連盟の役員の方々です。引田さんのご協力で京都まで応援に来て下さる事になりました。広江さんがいれば大丈夫だと思いますが、お二人はお仕事を休んで来て下さるのです、必ず礼儀を怠らない様にして下さいね」
茉梨子が頷いた。
「広江さんがいれば大丈夫の一言が気になるよな」
太陽が達也の耳元で囁いた。
「それだけ広江さんがしっかりしていると言う事じゃない」
達也が笑って言った。
「以上が駅伝部」
「次! 陸上部とサッカー部」
村田がホワイトボードを引いて来た。
「サッカー部は前々日出発で大阪泊、大阪学園と大東大大阪高校と練習試合の後、前日に京都入りで良いですね」
村田は渡野辺を見て確認した。
「駅伝部の全国大会終了後も二試合組んである。サッカー部は三泊四日で関西の強豪と練習をするので覚悟しておきましょう」
渡野辺が付け加えた。サッカー部員がざわついていたが村田は続けた。
「陸上部は前日京都入り、到着したら一区の位置決めをします。レース当日一区は二〇〇メートルおきに部員がベンチコートを着て立つ事は前に伝えてあるわね。当日のコースはギャラリーで溢れると思うので、諏訪はこのベンチコートを目印にラップタイムを計算して走りなさい。応援隊は前日に二〇〇メートルおきに印をつけておき、当日は、三時間前にその位置に陣取ります」
「先生! どうやって二〇〇メートルを測るのですか? 後、どうやってアスファルトに印を付けるのですか?」
「良い質問です。これを使います」
村田は輪にしたロープをかざした。
「このロープは二〇〇メートルです。これを伸ばして印はこれで付けます」村田は一本のロウセキを生徒たちに見せた。
「さてこれは何でしょうか?」
「石?」生徒の一人が言った。
「惜しい!」
「チョークかな?」
「君たちはあまり見た事がないかもしれませんが、これはロウセキと言って、先生たちが子どもの頃には、これで壁に落書きをして良く怒られていた代物です」
宮島と渡野辺が昔を思い出して笑った。
「これでアスファルトに印を書けば二日は消えないでしょう」
「先生! それなら三区と四区の八キロも付けましょうよ」
陸上部の部員が言った。
「一日では難しいでしょう?」
「ロープをもっと作って皆で協力すれば出来ます」
その場の全員が頷いた。
「やって見ますか」
村田が言った。
「中継地点にはサッカー部員が各二人ずつ付いて、一区で諏訪が通過したら応援隊は三区に移動、残った人は四区に移動! 五〇人でピストン移動を繰り返しましょう。ただし無理はしない事、逆井と鳥海はもしも応援隊が立っていなかったら自分の目印を決めておいてラップを計算しなさい」
宮島は子どもたちの輝く瞳を見て「この子達はクリスマスに奇跡を起こすかもしれない」と感じていた。
「先生! 一言良いでしょうか?」
雅人が手を挙げた。
「私からの連絡は以上ですよ」
村田は雅人に場を譲った。
「皆、俺たちの我がままに付き合ってもらって本当にありがとう! 何とお礼を言って良いのか分からないよ。何のお礼も出来ないけれどランで返す。ここにいる皆が繋いでくれる絆を、いや、絆輪を必ずゴールまで届ける。本当にありがとう」
雅人が深々と頭を下げた。同時に駅伝部全員も頭を下げる。
 
 その晩、西之園家の玄関ベルが六回なった。駅伝部員が突然集まって来たのである。大慌てに成ったのは桜井だ。夕食の買い出しは三人分しかなかったからだ。
「桜井さん大丈夫よ」
茉梨子は両手に牛丼を抱えていた。しかし、皆が同じ考えでいた事には気が付かなかった彼女は、四人分しか買い出しをしてこなかった。次から次へと駅伝部員がやって来たが、皆四人分の食料しか持ってこなかった。
「牛丼にハンバーガー、フライドチキンがこれだけあれば充分でしょう」
太陽は舌なめずりをした時だ。
「達ちゃん! 今晩泊めてもらえるかな」雅人が言った。
「お部屋は御座いますが、皆様のご家族はご承諾なさっておりますか?」
桜井が心配した。
「私は了承貰っているわよ」
茉梨子が言うと部員全員が頷いた。
「魔女、いや広江様もご宿泊ですか?」
「私は駄目? 魔女って何?」
「いえ、ご婦人をお泊めするのでしたら、お掃除とベッドメイキングをしてまいります」
「ねえ、魔女って何?」
「……楠様にお聞き下さい」
桜井は慌てて二階の部屋に避難した。
「……」
太陽も両掌を上に向けて首をすくめて誤魔化した。
 久々に賑やかな夕食であった。桜井は達也の笑顔を見て泣いていた。
「明日、私は上田市陸上連盟のお二人にご挨拶に行こうと思うの」
茉梨子が言った。
「それなら皆で行かないか?」
雅人の提案に全員が頷いた。
「でも、何処の誰かも分からないよな」
常に現実的な哲夫が言った。
「……」
沈黙が襲った。
「引田さんに聞いてみよう」
太陽が冴えた。
「そうか、引田さんに聞けば分かるわね」
茉梨子が嬉しそうに言って「そうだ手土産にクッキーを焼いて持って行こう」茉梨子は、突然思いついたアイディアを言った。
「お前が焼くのか?」
太陽が首を傾げる
「助太刀いたします」
桜井がクッキーを作る用意を始めると
「桜井さんは何でも出来るのですね」
部員たちから称賛の声が上がった。
「洒落以外だけれどね」
ただ一人水を差す少年を除いてはである。
「結果に関わらず、京都から戻ったら鎌田先輩の墓前へ報告に行こうと思っているのだけれど、皆も行かないか?」
雅人の提案に全員が即座に頷いた。
「では今日と同じものを皆で持ち寄って、先輩のオリジナル告別式にしよう!」
豊は何時も明るい。
「そうだよな。告別式では不義理をしてしまったからな」
健次郎が呟いた。
「良い報告が出来る様に、必ず襷を繋がないとな」
優生が言ったのには理由があった。達也との襷リレーの練習をしていなかったからだ。実際その時間も無かったので現地練習で補う予定になっていたのである。
 
 翌日の休日は部員全員で電車に乗っていた。河山駅に降り立つ、右手の交番には八木巡査ではなく若い警察官が立っていた。ロータリーを大きく回り部員たちは引田サイクルの前に着いた。店内には引田の他に二人の客がいて何やら談笑をしているようである。
「お客さんがいらっしゃるみたいだから、取り敢えず私だけ行くね」
茉梨子が言った。
「了解をもらえたら、俺たち全員で挨拶をさせて欲しい」
そう言う雅人に茉梨子は軽く頷くと店内に入って行った。
「失礼を致します」
茉梨子が店内に入ると引田をはじめ来客の視線を、茉梨子は一斉に浴びた。
「やあ! いらっしゃい」
引田が笑いながら言った。
「今よろしいでしょうか?」
茉梨子が真剣に礼儀を尽くす。
「彼女ですよ」
引田が来客二人に言うと店内は大爆笑に包まれた。
「……?」
「貴女ですか、植え込みに突っ込んだマネージャーは?」
背の高い客がいった。
「……は、はい」
言いながら茉梨子は、顔から火が出るかの如く真っ赤になっていた。
「怪我はなかったの?」
背の低い客が笑いながら聞いた。
「はっ、はいお陰様で」
「それは良かった、良かった」
また大爆笑になった。
「それで、今日はどんなご用向きです?」
引田が真面目な顔に戻り茉梨子の真っ赤になった顔を見た。
「実は上田市陸上連盟の藤咲さんと仲長さんが私たちを助けて頂けると先生から聞きました。お忙しいのに京都まで来て頂けるそうなので、出発前にご挨拶をさせて頂きたいと思い、引田さんにお聞きすればお二人の会社が分かるかと考え伺いました」
茉梨子が事情を説明すると再度店内は爆笑になった。
「そんな事は気にしないで、貴方たちはレースに集中して下さいよ」
笑顔で引田が言う。
「今日は練習が休みなので全員でご挨拶をしたくて皆来ています」
「北高の校風はそうなのですね? 私の会社でも北高の卒業生が働いてくれていますが、皆働き者の良い子ばかりですよ。失礼、日産スプリングの藤咲です」
背の低い男が立ち上がり名刺を差し出した。
「仲長です」
そう言って出された名刺にはパッケージプラザ仲長と印刷されていた。
「……」
名刺を受け取り茉梨子は絶句してしまった。
「皆さん来ているのですか?」
引田が聞いた。
「はっ、はい! 外に」
「遠慮しないでお入りなさい」
引田は笑顔で言った。茉梨子が外にいる仲間を手招きして呼ぶ。
「失礼します」
次々と若者たちが店に入って来た。引田は店の奥で自転車の修理をしていた従業員に飲物を買って来る様に頼んだ。そして、奥からパイプ椅子を出して来て緊張している若者たちに勧めた。
「ご迷惑ばかりお掛けして申し訳ありません。お忙しいのに僕たちが自力で出来ないものですから、本当にありがとうございます」
雅人が緊張しながら礼を尽くすと、仲長が笑いながら言った。
「気にしなくて良いのですよ。上田市から全国大会に出場する高校が出るなんて思ってもいませんでしたよ。市の陸上関係者として誇りに思います。思いっきり走って来て下さいね」
「はい! 頑張ります」
突然豊が叫んだのでまた店内は笑顔に包まれた。
「それで京都に前乗りするのはそこのお二人かな?」
藤咲は達也と太陽を見た。
「西之園達也です。宜しくお願いします」
「自分は伴走の楠です。陸上は素人なのでご指導下さい」
「伴走はある意味選手よりも大変ですね。選手を安全にゴールまで導き、選手より先にゴールしてはいけない。完全な裏方だし、障がい者ランナーの目にならなければいけない。コースの状況把握、選手のラップタイム管理、健康状態の把握まで全てが伴走者に掛かっています。繋げるのは襷だけではなく、心が大切ですよ」
仲長は大学時代に箱根駅伝への出場経験があり、引退してから一度だけ視覚障がい者ランナーの伴走経験があった。その言葉を真剣に聞いていた太陽は改めて気を引き締めた。
「現地練習では仲長がお二人を伴走します。何せ六〇歳を行ったり来たりしている爺(じじい)ですので、若者に付いていけるか不安ですがね。ハハハ」藤咲は笑った。
「伴走者の伴走をするのは私も初めてだな」
仲長も笑った。六〇歳を行ったり来たりしている爺という藤咲のジョークは完全に無視された。
「よろしくお願いします」
力強い助っ人に達也と太陽はほっと息を吐いていた。
「村田先生から前乗りは三人と聞いていますがもう一人は?」
「私です」
茉梨子が手を上げた。
「なるほど、京都には植え込みが無ければ良いですね。ハハハハハ」
仲長の冗談に茉梨子の顔から再度火が噴いた。
「では、現地で会いましょう」
藤咲の言葉で皆は店を後にした。
「引田さんから健常者に混じって障がい者が走ると聞いた時は、無謀だと思いましたが、もしかするとあの子たちは奇跡を起こすかもしれない。人をそんな気にさせる力がある素晴らしいチームですね」
仲長は店を後にする若者たちを見送りながら呟いていた。

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